2010年1月26日火曜日

フォークの歯はなぜ四本になったか

本屋にフラリと寄ってみたら。。。
世界一の道具オタクこと、ヘンリー・ペトロスキー氏のあの名著「フォークの歯はなぜ四本になったか」が、文庫本化されていた。古本屋でプレミアム価格がついていたのに、これからは1785円!

昔、図書館で読んだときは、全部読んでも「なぜ四本になったか」は良くわからずじまい。肝心のフォークの話しもすぐに終わってしまう。でもそんなことはお構いなし!ペトロスキーさんの執着心によって、あらゆる生活道具の知られざる「成功と失敗」の歴史が紐解かれます。


2010年1月25日月曜日

訃報、ボブ・ノールダ死去

Bobnoorda

http://yeslogo.files.wordpress.com/2008/10/metro-noorda.jpg BoB Noorda logo MM redesign







ボブ・ノールダというデザイナーが1月12日ミラノで亡くなったそうだ。有名企業のCIマークは見たことがある人も多いはず。ブルーノ・ムナーリ、マックス・フーバーらから続いて、ミラノの有名デパート「ラ・リナシェンテ」のグラフィックも1960年代からずっと担当していたらしい。

(via ブルーノムナリけんきゅうかい

2010年1月22日金曜日

世界中のオシャレさんをバッチリ撮り続けるサイト




写真家Scott Schuman氏のストリートスナップ集、昨年秋に書籍化されて以来、amazonではずーっとファッション写真部門のトップをキープしている。パリ、ニューヨーク、ロンドン、メルボルンなど各国都市の日常を撮影している。お爺さんや子どもの写真もすばらしい。ブログはこちら。これこそ、ガジェット化してほしいなぁ。

  

2010年1月21日木曜日

美女コンテンツ、まとめ。

ここ一年くらい、美女に囲まれて幸せですね。
といっても、インターネットアプリケーションの話しです。




地方都市の「普通の子」に焦点をあてたフリーペーパー
美少女図鑑





美人が時間をしらせてくる、美人時計
パリや台湾など、海外のロケも始まりました。


今日の注目GIRL

こちらは日替わりコンテンツ、
オリコンのオシャレスナップ



http://jakushichi.net/mv_seed/file/images/20099615axe.jpg

無数の女子がでてきて、動画で「好きですっ」を連発してくれる、
AXEの広告ページ。


http://mixiapplication.com/wp-content/uploads/1channe.jpg
2枚の写真から好みの髪型を永久に選び続ける、
「みんなのヘアカタログ」
mixiアプリにジャンプ

2010年1月20日水曜日

特別講演会のごあんない 太田幸夫「目でみることば」




太田幸夫先生の退任記念・特別講演会が行われます。
入場は無料、詳しくは上のバナーをクリックしてください。

非常口マークをディレクションしたデザイナーとしてあまりに有名になってしまいましたが、太田先生の仕事はピクトグラムだけに限らず、都市空間のサイン計画、インフォメーショングラフィクス、モーショングラフィック、VI、視覚伝達論など広範囲に及びます。
勝見勝氏とも親交が深く、まさに現在グラフィックデザインの礎ともいえる仕事をこなしてきた太田幸夫先生の30年に及ぶワークの集大成を、たったの2時間で振り返ろうという無謀な企画ではありますが、(たぶん)機関銃のようにまくしたてられるであろう一発一発の話題は、これからのデザインをつくってゆく我々に大変な予見を与えてくれるはずです。
どうぞ、奮ってご参加ください。

2010年1月19日火曜日

サルとオリジナリティ

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f1/Monkey-typing.jpg

「もう一息、あと3万年ほど待ってくれるかな?」


インタラクション・デザインは、発想を「記号上のイノベーション」に頼るところが多い。それはまるで文書を書くかのように、簡潔な抽象概念から生まれる。抽象概念の長所でもあり最大の弱点は、「伸縮・交換が自在なこと」だと思う。これが、クリエイティブの世界に大変な制約をもたらしている。

プロダクトデザインで、「伸縮・交換が自在なこと」といったら、ごく限られるだろう。それはマテリアル、スケール、色の調整といった具合だ。プロダクトデザインで色や素材を交換しただけのものは「マネッコ」だと言われるように、インタラクション・デザインのコンセプトが重複していたら目も当てられない。

プロダクト、インタラクション、プロダクト、ぶつぶつぶつ。。。
プロダクトデザイナーは陸軍兵士のようだ。地にはいつくばって、泥にまみれながら愚直に手仕事をこなしている。インタラクションデザイナーは、現代の水兵のようだ。船は「象徴」として布石のように置かれ、船の存在自体が紛争地帯において大きな「意味」をなすものの、実際に大砲が火を噴くことは無い。同じ場所に2つの旗艦(フラッグシップ)を配置することはできない。それは物理的な衝突(コリジョン)であり、同時に権威とアイデンティティを失うことになるからだ。
プロダクトデザイナーは職人のようだ。カラダに染み付き、自分の気に入った手法で日々もくもくと作業している。インタラクションデザイナーは俳人のようだ。5/7/5という規定の中で言葉を選ぶ。しかし5/7/5の世界と決定的に違うのは、俳句ではまずありえない事故、すなわち「たまたまアイディアが一致する」という不幸(コリジョン)が世の中で沢山起こっている点にある。

サルのタイプライター
訓練された夥しい数のサルが、一心不乱にタイプライターを適当に打っている。来る日も来る日も、何世代にもわたって打ち続ければ、いずれシェイクスピアのような名作が生まれる。
これは良く確率論の例えで使われるジョークのようなものだけれど、計量言語学的にはそんなに悪い話でもないらしい。(詳しくは名和 小太郎氏博士のエッセイ調の論文を読んでみるとよい。あるいは、無限の猿定理を参照されたい。)

サイバネティクスで知られるウィーナーは、タイプし続けるサルの群れを「科学者のことだろう」と野次ったらしい。大天才ウィーナーにとって、無意味な論文を書き続ける輩は、ひょっとしたら事実そんなふうに見えたのかもしれない。
ウィーナーが生きていたら、インタラクションデザインをどう見るだろうか。無目的にデザインする自分をふとみると、「タイプし続けるサル」になっている時があるのかもしれない。

2010年1月15日金曜日

サスペンス映画化された「デザイン」 (その2)


拡張現実(AR)、三次元ディスプレイ、クラウド、三次元プリンターといった先端技術が、プロダクトや情報にかかわるデザインに新しい予見を与えつつある。組み込み技術やネットワークサービスの進化によって、情報デザインとプロダクトの境界があいまいになっている。
めまぐるしく変わりながら、しかし決定的な「キラーアプリ」が出ないなか、我々は「いつかスゴイものができるのではないか」という期待を胸に、技術開発をしたり、投資したり、プロトタイプをデザインしたり、コンセプトスケッチを描く。

サスペンスに夢中
例えば情報デザインの時代を少しだけ振り返れば、そこには「ユビキタス」とか「第五世代コンピューター」といった「墓標」がごろごろとしている。ユビキタスの価値観を「幻想」だと笑う人がいて、第五世代コンピュータに人生をかけた人たちを失笑する人が沢山居るけれど、それらは的を得た表現ではないように思う。
正直なところ、今も昔も、

  • 宙吊り(サスペンダー)は、実に気持ちが良い

のである。そこには、サスペンス映画を観るようなワクワク・ドキドキがある。サスペンスという知的欲望を刺激しつづける悪魔に心を鷲掴みにされたデザイナーの姿がある。こうした現象は、ITや情報デザインに限らず、プロダクト、建築、マーケティング理論、工業デザイン、新興国ビジネスなどいたるところに見てとれる。
「サスペンスの悪魔」は、俯瞰すればアポリア(行き詰まり)ともとれるし、見方を変えれば必要悪のようにも思えてくる。

サスペンスとの付き合い方
創造的な人種である「デザイナー」の方々と付き合っていると、この「サスペンスという悪魔」と実にうまくやっているように思える。彼らの処世術は、このように分類できる。


エヴァンジェリスト(伝道者)
  1. 自らサスペンスの大ファンであり、その面白さを積極的に他者および他社に伝える人。
  2. 悪魔の手先。
  3. そのサスペンスが続く限り尊敬され、社会的評価を得て、サービス業として無形の価値を生む。
  4. 上流のデザイナー、大学教授、コンサルタントやメディア関係者に多い。

アルケミスト(錬金術師)
  1. サスペンスそのものを「創造」してしまう、ごく一部の天才のこと。
  2. 自らの強い意志から、時代に左右されない強い「ビジョン」を提案できる人。
  3. イノベーターであり、サスペンス自体にはあまり興味が無かったりする。
  4. 前田ジョン、石井裕、坂村健、マークワイザー

ターミネーター(終結者)
  1. サスペンスファンでありながら、大衆がサスペンスに浮かれているのを尻目に、「本当にワークするもの」をつくってしまうデザイナー。
  2. ターミネーターによってサスペンスは終焉をむかえ、その概念は既知の手法(マニエラ=マンネリ)へと格上げされる。
  3. サスペンスの終結は、新たなサスペンスを生むことが多い。
  4. ザハ・ハディド、スティーブ・ジョブズ、無名のインハウスデザイナーとエンジニアたち

シープ(子羊)
  1. アルケミストを尊敬し、エヴァンジェリストを信仰し、ターミネーターに驚愕する沢山の人。
  2. 相当に忍耐力のあるシープは、一生をかけて飽きることなくサスペンスを楽しみ、自らターミネーターになろうと努力を重ねる。
  3. 忍耐力のないシープは、サスペンスの概念と、自らのデザインするものとのギャップに迷う。

迷える子羊たち
自分も含めて、ほとんどの人は迷える「子羊」である。
サスペンスに翻弄され、裏切られながら、ドキドキと落胆の間で生きている。そんな我々は、精神衛生を健全にするために、次のことをよりどころにしている。


楽天的になる
  1. しょせんサスペンスは自分とは関係の無いフィクションの世界であると割り切って、サスペンスを「ほどほどに自分の仕事へ取り込む」ようにすることで、純粋に「嗜む」。
  2. 終焉がおとずれたときには素直に喜び、次の錬金術(アルケミー)にわくわくする。
  3. お祭り人間。
飽きるまで突き進む
  1. サスペンスの終局こそ自分のミッションであると考え、がむしゃらにターミネーターを目指す。
  2. いつかは世の中に本当に認められ、ワークするものをつくりだせると信じる。
  3. 年齢的・体力的問題から「老い」がやってきたときには追求をやめ、次の世代を育てる良きエヴァンジェリストになる。
  4. 理想的な教師像。
いきなりエヴァンジェリストになる
  1. そもそもアルケミストでもターミネーターになる気もないが、いきなりエヴァンジェリストを目指す。
  2. 頭が良くて話が上手であれば、サスペンスの伝道、すなわち他人の土俵で相撲を取ること自体に、プロフェッショナルとしての価値が生じる。
  3. 下手をすると虚業になってしまうが、うまくいけぼ次世代のアルケミストやターミネーターを育成することができる。
  4. モチベーションリーダー

マナーをもって接すれば、「サスペンス」という悪魔との付き合いは一生の趣味になるかもしれません。

2010年1月14日木曜日

サスペンス映画化された「デザイン」

「ああ、またか。」
終結はいつも引き伸ばされる。

1つ1つの事例を重ねて、いずれは「なんだかとてつもない怪物」が姿を現すであろう、という幻想に私はすっかりと酔ってしまうのです。すごーく大げさに言えば、それはまるで、究極的な真理を夢見て思索を重ねる科学者や哲学者のように。

データマイニングと可視化

古くはEdward Tufteが、「情報可視化が適切に行われていれば、疫病感染をもっと早期に処置できた」とか、「スペースシャトルのOリングに起因する事故は、可視化によって適切に検出できた」といったショッキングな言語表現で、情報デザインの重要性を訴えてきた。こうした、

  • そのとき適切なデザインさえしていれば、あの事故は避けられたのに

という仮定法過去による論調は、我々大衆が持つ「お仕着せの正義感」とあいまって、デザインの社会的重要性を「劇場化」してくれる。JavaやOpenGLによるインスタントな可視化手法、そしてProcessingが登場したときも、なにやら「すごいことが起こる気配」を感じてしまった。



つい先日、下着に爆発物を隠していた航空機テロ未遂事件がおきた。上の動画は、この容疑者のオンラインでの活動を可視化したものだという。ここから、「犯人の閉鎖的な性格などが読み取れる云々」といったストーリーが展開されてはいるけれど、実際のところ、ネット上のコミュニティーに入り浸る人なんてザラに居るわけだし、この資料自体は何の役にも立ちそうにない。
しかし、個々人のインターネット履歴を可視化することで、あるいはデータマイニングすることで、「テロを事前に察知できる」だとか、「将来のテロリストを早期発見して矯正できる」といった想像は自然とふくらんでしまう。だいたいこの手の話は、「そんなことはBB(ビッグブラザー)の世界観ではないか」といった意見で冷や水をさされ、サスペンド(中吊り)になり、そのうち忘れられてしまう。

サスペンスという悪魔
サスペンス映画が面白いのは、なぜだろうか?
それは「真実を知りたい、本質を見たい」、という人間心理をあざ笑うかのように、真実らしきものの片鱗が見え隠れして、それが思わせぶりな「予告」として章ごとに繰り返されるからだ。真実と予見とのインタフェース(関わり合い)をウロウロとしながら、「見たい見たい」というエロチックな欲求を刺激する。
「サスペンス映画」は、早々に結論を見せてしまっては破綻する。究極のサスペンスがあるとすれば、それは「永遠のチラリズム」をかかげることによって人間から興味のエネルギーを吸い尽くし、永久に生存する悪魔的な生物なのかもしれない。

(つづく)

2010年1月12日火曜日

Perfumeから人工喉頭まで

軍事技術から派生したボコーダーによって声を機械化したアート表現が流行すれば、逆に機械によって奪われた人間味を取り戻すことに苦労しているエンジニアが居る。いつの時代も技術史はいったりきたり。

というわけで今回は、人工喉頭のお話しです。


タピアの笛、電気式人工喉頭
電気式人工喉頭というのは、先っぽを喉仏のあたりに強く当てて使うバイブレーション・デバイス。我が国では、一番多く普及している。なるべく自然な「発音」となるように、各社苦労が耐えない。
セコムのWebページから、実際の音声を聞くことができます。


http://www5a.biglobe.ne.jp/~tanpopo/aids/myvois.jpg


こうした電子デバイスに頼らない、より安価な機器として、「笛式人工喉頭 、通称タピアの笛」というものもあります。サカキバラ事件のときに裁判官としてメディアに登場した井垣康弘弁護士が使われていたのも、このシリーズ。覚えている人もいらっしゃるのではないでしょうか。

http://www.kobe-np.co.jp/news_now/741_a.jpg
(via 神戸新聞)

この写真では一瞬、「パイプ」をくわえながら話しをされているように見えますが、このチューブが「ボコーダー」のような仕組みで音を出しているのです。

儲からない人工喉頭ビジネス
「声」を取り戻すのに必要となるこれらの製品。しかしこの手の商品開発につき物なのが、マーケティングの問題。開発担当者はいつも頭を悩ませていることでしょう。日本でもこうなのですから、発展途上国ではいったい、どのようなことになっているのやら。

ああ、そうだ、これからはPerfumeでタピアの笛を使ってもらったらどうでしょうか。カラオケボックスにも、一室に一台は常設するようになるかも。。。?アジアツアーをすれば、世界的な知名度もぐんとアップ!だめですかね。

2010年1月11日月曜日

軍事技術からうまれたアイドル、「Perfume」

http://star.ap.teacup.com/the_katsuhisa/timg/middle_1212105663.jpg

テレビがないので、なんとなくダラダラとJ-Wave(東京のFM局)を聞きながら過ごしています。ピストン西沢、面白いですねー。J-Waveは選曲も曲の切り方なんかもなかなかセンスが良い、のですが。やはり時々、明らかにマネーが動いていると思われる新曲が集中的に流されることがあります。
最近、良く聞くのは「Perfume(パフューム)」というアイドルグループ。これi-Tunesのランキングにも出ているので、巷では随分人気なのでしょうか?なにせテレビがないもので、、、(テレビの記憶は、「ギター侍」で止まっています)

ボ、ボコーダー!?
いまさらかもしれませんが、Perfumeのボーカルには、全てボコーダー風の変調がしてありますね。これはけっこう懐かしい。スティービーワンダーが得意げにくわえて大流行したのが、ビニールチューブから音が出るアナログ版のボコーダー「トークボックス」。



ボコーダー(VOCODER: VOice enCODER)というのは、そもそも米ベル研究所あたりで開発された軍事技術。当時の音声通信といったらJ-Waveなんかにはるかに及ばない、粗悪なものだった。そこで、肉声から「余分な」倍音成分を削ぎ落とすことで、通信効率を上げ、ノイズに強くする(S/N比を上げる)ことが必要とされたのです。誰がどんな気持ちでしゃべっているかなんてどうでもいい、とにかく必要な音声信号だけを効率的に伝達することが、当時求められてた課題だったのですね。情報理論的には実に合理的な解決策だったといえます。で、その結果できたのが、この、

  • 人間の深みのある音声を全て排除した「機械音声」

だったというわけ。味も素っ気もないこのエフェクトが、当時のアーティストには「先端技術」を感じる目新しいものに写ったのかもしれません。

Perfumeは機械人間か?
なんとなくですが、スティービーワンダーやビートルズやYMOが使っていた「先端技術」としてのボコーダーと、Perfumeのものとは、ぜんぜん意味合いが違う感じがします。Perfumeのそれは、(このブログも含めてですが)、機械的な情報洪水にまみれつつも、その事をどこか快感に感じている我々に、すんなりと入ってくる気がするのです。
今の世の中は、限られた人と面と向かって唾を飛ばしながら語り合うよりも、時空をこえてより多くの人々と薄く広いコミュニケーションをする方が、現代的でITリテラシーが高いと考えられているフシがありますますね。
プロデューサーの中田ヤスタカさんという方は、そんな現代社会にスーっと入り込む音楽表現をデザインされているのではないかと思いました。



2010年1月7日木曜日

リスク・ホメオスタシスについて

Image: Traffic lights covered in snow

写真は、雪にまみれて視認性が落ちているLED信号機の写真。米ミルウォーキーで起きた思いもよらない事故の様子だ。省エネ効果の高いLEDは、電球と比べて放熱が少ないことが影響しているらしい。(via
msn

リスク・ホメオスタシス
技術者やデザイナーが良かれと思って開発した技術・システムでも、思いもよらな かった環境におかれたり、想定されない使われ方をすることがある。その結果、意図していたよ うには効果を発揮しないばかりか、最悪の場合は事故に至ってしまう。
よく知られているのは「防具をつけるようになって、アメフトは プレーが一層過激になった」というようなことである。こうした現象を最も過激に表現しているのが、カナダの心理学者ジェラルド・ワイルドが指摘する「リスク恒常性」(risk homeostasis)だ。ABS装着車の方が事故件数は遥かに多かったり、エアバッグ装着車のシートベルト装着率が低かったり、といった現象も、これに当てはまる。
ホメオスタシス(恒常性)は、元々は生物の内部に良く見られる自動調節現象だ。体温やホルモンバランスを一定に調節する機構などが当てはまる。まるで生物の体内のように、我々の社会は「見えざる手」によって、リスクが一定になるようにデザインされているのかもしれない。

デザインの業務上過失
リスク・ホメオスタシスは、品質管理の専門家を除いて、デザイナーにはあまり知られていない。多くのデザイナーにとってほとんどの「安全対策」は、「プラスのデザイン」として受け止められている。しかしデザイナーの「ささいな良心」が、大きな事故を引き起こすこともありえる。いわばデザインの、「業務上過失」である。
リスク・ホメオスタシスを回避する有効な対策として、利用者の心理に影響を及ぼすデザインが知られている。自動車の例でいえば、事故の損失や危険性を強く実感させるようなデザインを指す。こうした「マイナスのデザイン」が、もっともっと見直されるべきではないだろうか。

2010年1月6日水曜日

美しい折り紙の動画 / Between the Folds

http://www.ashley-spencer.com/ArtIsEverywhere/wp-content/uploads//2009/02/picture-11.png










美しい折り紙と、それをつくる人々を特集したドキュメンタリー「Between the Folds」が本日発売。



2010年1月5日火曜日

SFのような世界!東京空中散歩

空とビルのコントラストがキレイ!
電柱と道路と自動車を取り払っただけなのに。





これを見て思い出したのが認知心理学の有名な実験、「逆さメガネ」。




詳しくは法政大学吉村先生のWebが面白い。




via gizmodo