2010年2月26日金曜日

原田知世、生きるを伝える。



生きるを伝える(テレビ東京)に、モンキーマジックの小林さんが登場された。モンキーマジックは、視覚障害者がフリークライミングを楽しむ場を提供しているNPO法人で、主催者の小林さん自身、視覚障害者だ。良い映像なので、ぜひ見てみてください。

六本木デザイン団?
ちょうど1年くらい前から、六本木のとあるデザイン団体の事務所をお借りして「六本木デザイン団(仮称)」なる活動をやっています。インハウスデザイナー、デザイン系の教官、独立系プロデザイナーの方々などが集まって、組織の枠を超えてデザイナーに出来ることを考えています。ちなみに福祉先進国デンマークに突撃留学中のイソムラ先生がその推進メンバーで、何とも心強い限りで す。
その集まりがきっかけとなって、モンキーマジック小林さんとのコラボレーションを進めています。近々お披露目の機会がある予定なので、このブログでもご案内したいと思います。

2010年2月25日木曜日

ティシューの気遣い

http://www.spiralmarket.com/2008/06/25/img/ring.jpg
それは丁度四百枚の柔い白い紙を蔵していて、それらの紙の用途は購買者に一任されている。今、私はその最初の一枚をひき出して鼻をかんだ。
それは或る空間を占有している。だから当然時間という存在様式にも従っている。それは美しいのか醜いのか、私には断言できぬ。
(谷川俊太郎 詩集 非常に困難な物)

コップとかティッシュとか、日常のどうでもいいものへの眼差しをまとめたヘンテコ詩集からは、物へのあたたかい眼差しを感じることができる。
何の話しかというと、「行為と観察」の話しなのです。

ティシューの気遣い
箱ティッシュというのは、すごいデザインだと思う。だって一枚とると、その次のティッシュが出てくるように「デザイン」されているのだから。大げさに言えばそれは、「ものを通じた、人と人との関わり」だといえる。
ポケットティッシュはどうか?ポケットティッシュの場合はカバンやポケットの中に入れるので、ちゃんと次のティッシュが「出てこない」ように折り目がデザインされている。
我々は、この「デザイン」が誰によってなされたものかを知らない。今後100年間、ティッシュというものが存在する限りこのデザインは存在し続けるけれども、それを話題にする人なんてそう沢山は居ないだろう。

ときどき、そんなデザインが出来たら良いのにな、と思うことがある。

2010年2月18日木曜日

チャック・ホバーマン展

http://www.ladesigntech.org/images/hoberman_arch_with_dancers_550.jpg

以前、プリミティブな仕掛けの中に、心を打つインタラクションのヒントが隠れている例として、チャック・ホバーマン氏のことを書いた。21日まで、ホバーマン氏の展示会が、銀座のポーラミュージアムで開催されているらしい。
詳しくは、ポーラミュージアムの案内をどうぞ。

  • Living Form ―生きている形― チャック・ホバーマン
  • 2010年1月23日(土) - 2月21日(日)
  • 11:00 - 20:00(最終入場は19:30まで)
  • 会期中無休 入場無料

ホバーマン氏とは関係ないけど、以前UPした動画が消えてしまったので、こちらは再び、第20回ハンズ大賞のデザイン賞「歯車の立方体 gearscube」。やっぱりすごいなぁ。

2010年2月17日水曜日

石原都知事の記事、福島智について。

http://image.blog.livedoor.jp/takahashikamekichi/imgs/1/8/18c9eb69.jpg

【日本よ】石原慎太郎 人間の真の強さ
2008.10.6 03:35
 最近得難い体験をすることが出来た。ある人の紹介である人に出 会い、人間の真の強さについてしみじみ悟らされた。その相手とは東大の先端科学技術研究センター、バリアフリー分野の教授福島智氏だ。福島氏は現在、完全 な盲聾(もうろう)者となっている。
 この、「現在」という形容に実は深い意味がある。彼は誕生の時は五体健全な子供として生まれたが、三歳の時 に片目の視力を失い、さらにそれが両眼へ進み、ついには両眼失明する。だけではなしに、さらに長じて十四歳の頃(ころ)聴力が減退し始め、十八歳にいたっ て聴力を完全に失ってしまった。
 幼年期から青春時代にかけてさまざまな体験を経て成熟していく人生の過程での、もっとも多感で鋭敏な時代に決定 的な喪失への恐怖にさいなまれながら、彼はついには生命以外の大方のものを失い尽くしたのだった。その時の感慨を、『自分はとうとう壼(つぼ)の中にとじ こめられてしまった』と表現している。
 昔、日本にもやってきたアメリカのヘレン・ケラーは三重苦の克服者として有名だったが、彼女の場合は生ま れてすぐにかかった熱病のせいで聴覚、視覚の機能を失ったのだが、福島さんの場合はある意味でもっと過酷な運命ともいえる。
 それはそうだろう、 十分にもの心もついた少年期に、初めは片目を失い、入れている義眼について仲間からからかわれたりしながらついに両眼が失明。そして成人前には耳が聞こえ なくなり、いかなる光、いかなる音からも遮断され、まさに大きな壼の中に蓋(ふた)をしてとじこめられることになってしまった。成人に近い者が、いかなる 外界からもじわじわと遮断されていき、大事な感触を失い外界から隔絶されてしまう。
 彼の述懐だと両眼失明後の時期は『障害』についての意識はま だ稀薄(きはく)で、音楽や落語、スポーツにも興じて過ごしていたが、『全盲の世界で得ていた安定』は、聴力の低下によって揺らぎはじめたという。その恐 怖、その孤独さは想像を絶していよう。それは容易に絶望や自殺につながりかねまい。
 その頃の彼の日記にこう記されている。『俺はなぜ、俺はどう したんだ。(中略)ああ、ああ、ああ、俺のからだ、俺の耳、俺の運命はいったいだれが握っているのか?この耳に聞こえない音が増えている。俺から世界が遠 ざかっていく。待て。俺はつかまえるぞ。この世界を』
 しかし彼はそこから立ち直り、大学に進み、ついには大学の教授にまでなりおおせる。
  「人はパンのみにて生きるにあらず、ということをつくづく悟りました。私の場合には他人へのコミュニケイションです。閉じこめられた壼の中から外にいる他 者との繋(つな)がりをどうとりもどすかでした」、と彼はいう。そしてその術(すべ)を与えたのは彼の生みの母親だった。
 失明してから点字でも のを読み始めた彼が、さらに聴力を失い彼自身も周囲も難渋しているうちに、母親は指で点字の組み合わせを相手の手にタッチしてメッセイジを伝える「指点 字」という新しい伝達方法を思いつき、最初は母親とだけのコミュニケイトの手段として乗り気でなかった彼も、同じ全盲の仲間と点字という共通項を踏まえて の交流が出来ることになり、結果として彼にとっての新しい世界が開けていった。
                   ◇ 
 これは実の 親子の間の単なる美談として聞いて終われる話ではないと思う。今日、家庭の崩壊を象徴するようないまわしい事件が頻発しているが、実の子供の肉体的な危機 という極限状況の到来が母親に未曾有の工夫と知恵を与え、障害を克服するための画期的な方法を編み出したという事実は単なる感動を超えて、親子という決定 的な絆(きずな)の意味を感じさせてくれる。それはすべての動物の保有する親と子、特に母親と子供との関(かか)わりの本質を強く暗示してくれていると思 う。
 それともこの現代においては、もはや日本の母親たちはその崇高な、というより生き物としての天命までを喪失しようとしているというのだろう か。
 母親が編み出した「指点字」という失われた他者との関わりの術は彼にさらに新しい人生を与えなおしてくれた。いや、むしろある意味ではそれ を超えもっと深い位相の結婚生活をも与えたのだった。
 奥さんは指点字を習得し障害者のために働いていた女性で、彼との出会いはその技術を学んで いた学校に彼が教師として講義にやってきその授業をうけたのがきっかけだったそうな。その結婚には当然家族は不安を抱いたが、彼の他の常人たちにない率直 さにうたれて賛成した。その席で彼女の母親の作った料理を器用に食べる彼を見てお母さんは思わず、「見えんのに、上手に食べてじゃねえ」とつぶやき、それ を聞いて彼女は安心したという。やがて彼女のお母さんはこんな歌を作って彼女に渡したそうな。
 『盲ろうの青年の手に文字書きて 我が手作りの巻 き鮨(ずし)持たす』
 思ってみればこの二人の結婚生活というのも不思議というか、我々の想像を超えているとしかいいようない。ともかく盲聾の夫 は愛している妻の声を聞くことも、その顔を見ることも出来ないのだ。妻からいえば、夫は彼女の声も顔も知らないのだから。
 彼女が書いた二人の結 婚生活についてのエッセイでは、夫婦の間での喧嘩(けんか)も、愚痴も、愛のときめきもすべて触れ合った指を通じてということだから、少なくとも喧嘩は喧 嘩にはなりえまいに。
 私が彼に初めて会ったその日、彼は東大で准教授から昇格し教授になったそうな。彼自身それをもってことさら何ともしまい が、しかし今までの彼の人生が示したものを、昨今の若者たちにこそ知ってもらいたいと願う。
 いたずらな情報の溢(あふ)れるこの時代に、そうし た文明の便宜が逆に若者たちを他者との関わりにおいて阻害し虚弱化し、自分たちこそ社会におし殺されている者だといたずらな悲鳴を挙げてみせる手合いに とって、彼の生き様は、その気になれば人間はかくも強くなり得るのだという比類のない、しかしまざまざとした事例に他なるまい。

(via halihali、辻井さんから情報をいただきました)

石原慎太郎「再生」220ページ



石原慎太郎の小説を読むと、脳がアポトーシスする。と思っていたけれども、これは良くかけている。だって、目が見えず耳の聞こえない東大教授、福島智先生の博士論文が元ネタなんだもの。爆笑問題と福島先生のちょっと恥ずかしい対話は、こちらで、まだ見られると思う。
  • それは偶然とはいえ美奈子さんのお陰でした。彼女は指点字による私との会話のついでに、その延長として私と彼女以外の仲間の会話を、いわば通訳してくれたのです。それは指点字による私と相手とのただ二次元のコミュニケイションとは違って、見えも聞こえもしないが歴然とした三次元のものでした。
コミュニケーションのあり方について現象学的に描写されたあたりは、ハッとさせられる場面が多い。
かと思いきや一方では、カフカの「変身」を題材にした、
  • 「俺たちは虫なんだよな、やっぱり虫なんだ」「でかい図体に細い足が生えた、白い杖をついてよちよちしか歩けぬ虫なんだ」「お前だって、それはわかってるんだろうに。目明きの奴らは見ぬふりして気の毒げに何かいってくれても、目暗の俺たちには連中の心の底がようく見えるんだ。所詮お邪魔虫なのさ俺たちは」
  • 「そうじゃないさ。俺たちはただ障害のある人間だよ。君は自分の障害を受け入れられないのか。要はその問題だと思うよ」
といったやり取りをはじめ、障害を取り巻く厳然たる事実の厳しさがスリリングに描かれている。
でも何で小説家・石原慎太郎が障害者を話題にしたのかは、よくわからずじまい。福祉をガリガリに痩せさせる都知事の顔とは、全く別物なのでしょうね。



2010年2月14日日曜日

冬は悪巧みの季節。

みなさま、コミュニケーショデザイン展にご来客いただき、どうもありがとうございました。2年間の学生生活もこれでおしまい、これから何をしようか、あれこれと悪巧みしています。またお披露目の機会があればブログで告知させていただきます。

手を動かすこと
自分のデザインに対する憧れ(と疑問)を整理するために、デザイン思考ブログをはじめて2年になりますが、「憧れ」に対する「疑問」、あるいは恋と失恋くらいに大切なものが、実は「思考」に対する「手仕事」の位置づけなのではないかと思っています。
「思考」するだけなら評論家でも出来る。手や身体を動かして表現してこそ、物事が前に進むような気がします。それがわかっただけでも、主に表現を学ぶという美大生活は貴重な体験でした。
これから自分にどんな表現が出来るのかを、冬のうちにあれこれ思索したいと思います。春になったら、またモゾモゾと動き出して、皆様にお目にかかれると思います。

太田 幸夫、最終公演会の様子。

プレゼンテーションの様子を、こちらにアップしました。


モーショングラフィクスの先駆け的な作品。
国連普及啓蒙ためにつくられたもの。


3時間にも及ぶ、インタラクティブな講演会でした。。。!

講演のテーマとなっていた、視覚言語の発達の歴史を示すダイアグラム。なんと壁画の発明から始まっています。

初公開、太田先生の蔵書(ほんの一部)

お疲れ様でした。

2010年2月12日金曜日

コミュニケーションデザイン展、開催中です。




社会人学生としての生活も、いよいよ今年で修了です。この2年間でつくった作品、数点を展示しています。小さな展示会ですが、よろしければいらしてください。詳細はこちら

デザイナーの方は、学生たちのフレッシュなアイディアをもらいに。
エンジニアの方は、アイディアのカケラを拾いに。

展示会概要

同時開催 第 18回多摩美術大学上野毛デザイン展
デザイン学科と大学院全体の学内展で、プロダクト、スペース、
ビジュアル、インス タレーションなど様々な展示が催されます。
日程 2010年2月12日(金)、13日(土)、14日(日)
時間 10:00~21:00(最終日のみ17:30まで)
入場無料・事前登録不要
場所 多摩美術大学上野毛キャンパス 1号館207
アクセス 東急大井町線「上野毛」駅徒歩3分
規模 出展学生数200名、来場者数1000名(昨年度実績)
上野毛キャンパス最大のデザイン展です。
住所 東京都世田谷区上野毛3-15-34
連絡先 03-3702-9783(多摩美術大学デザイン学科)
指導教官 太田 幸夫(ビジュアル)堀内正弘(スペース)植 村朋弘(プロダクト)

2010年2月4日木曜日

無印良品=空虚な記号


 デザインの話をしていると、よく「無印良品」の例が出てきますね。自宅のすぐ近くに無印良品があって、そのディスプレイの前で「もうデザインなんていらないよね、無印で十分だ」と話しているカップルが居ました。

無印良品の神話と構造
 当然のことながら、無印良品というのは現代デザインの塊なわけです。素っ気無い感じのする、しかし綿密に計算されたエコっぽいパッケージ、ラベルには気の利いたキャッチフレーズ、店員さんの服装、音楽、広告、その全てにおいて、「無印っぽさ」すなわち、「デザインされていないっぽく見えるデザイン」がみてとれます。考えられる限りの高度なブランディングの手法が、そこには全て入っています。
 無印良品というのは、商品をしょっちゅうモデルチェンジします。まるでイヤーモデルの自動車やファッションみたいに。売れないとわかればどんどん廃盤にします。でも、それがわかりにくい。というよりも、しょっちゅうモデルチェンジをしていることが消費者に伝わらないようにデザインしています。
 いつも同じ音楽、同じ服装の店員さん、無印っぽいディスプレイ、統一された照明の色温度、そういった「無印空間」はひとつの空間として存在しつづけます。その中には、当然のことながら株式会社として必要な大量生産・大量消費の仕組みがうごめいているのですが、私たちにはそれが見えないように、巧妙なデザインがなされているのです。走馬灯のように陳列棚とPOPがチラチラと入れ替わる大量量販店と同じような存在でありながら、無印はいつも無印なのです。

メタ消費
 むかしボードリヤールというひねくれ者がいて、『消費社会の神話と構造』という本の中で「メタ消費」という概念を打ち出しました。面白いので、そのまま引用します。

  • それはもはや”見せびらかし”によってではなく、控えめな態度や飾りのなさによって示される行動、反対物に変貌する過剰な見せびらかしであり、”より巧妙 な差異”でもある。差異化は、この場合はモノの拒否、「消費」の拒否の形を取ることができるが、これはまた極上の消費なのである。

 無印良品を生み出した堤清二氏は消費社会論の研究をしていたそうなので、間違いなくこの本を読んでいたのだと思う。かくして巧妙な「差異」を生み出すためのデザイン、デザインされていないっぽく魅せるためのデザインは、無印という空虚なハコをつくり、そして「もうデザインなんていらないよね、無印で十分だ」という記号を生み出すことに成功したのです。

原研哉トークイベント
 無印良品のWebでは、原研哉トークイベントの様子が公開されている。そこでは、「無印良品はエンプティネス、その中にはなんでも入れられます」というタイトルが付けられていた。まさに、空虚な記号としての無印良品のスタイルに言及した内容だと言えましょう。
 日本の象徴観や情緒感は、どこか空虚な記号に傾注する趣があるようです。原研哉氏のトークは、国旗やら神社やらに見られるこの日本人的な特性を、消費喚起のための「デザイン」に応用できることを、わかりやすく言い当てているような気がしました。

無印良品の「気持ち悪さ
 大衆消費者が無印の世界観に共感することは、もちろん、これっぽっちも悪いことではないと思います。ただ、時々ですが、世の中の「デザイナー」が無印の世界観にどっぷりハマってしまっている事があるような気がします。
 デザイナーというのは、消費喚起であれメタ消費であれ、消費社会におけるムーブメントに敏感であり、それを超えることが求められるのだと思います。しかし無印のブランディングがあまりにも高度であり、コンシューマメディアだけでなくて業界紙やデザイン関係者までがそれを助長するものだから、どこかミイラとりがミイラになってしまっている気がするのです。生み出すものと消費するもの、表現するものと表現されるもの、デザイナーとコンシューマとの間に本来あったはずの「ねじれ」というものが、まるでより戻しているかのような、幻想を見ているように思えるのです。

悩める企画者、悩めるデザイナーは、今一度「消費」について勉強し直すことにしましょう。