2008年6月19日木曜日

理科系のためのデザイン ~ S/N比

 このブログでは、エンジニアリング的な観点でデザインを説明することが多いけれども、逆にエンジニアに対してデザインを説明する方法というのを少し書き溜めておきたいと思う。
  理科系の人には、形式化された知識が多い。これら形式知は、幸いなことに、暗黙の「意識」を含んでいる。これが、デザイナーとエンジニアの大きな違いだ。
 たとえば、エンジニアにデザインの事 を話すとき、とても使いやすいアナロジーにS/N比(SNR: Signal to Noise Ratio)がある。シグナル(signal)すなわち意味のある情報と、ノイズ(noise)すなわち意味の無い情報との比を表す指標で、理科系人間に は、「S/Nはとにかく高ければ高いほど良い」という、脳に焼きこまれた暗黙の前提があるのだ。情報システムの人も、回路設計の人も、通信工学の人も、基本的にS/N比というものは高いほど良いと信じて疑わない。


 だから、デザインのキーコンセプトを体現化する過程や、意味の無い装飾を廃することの重要性を説くよりも、「S/N比を改善しましょう」といえば、「ああそういうことなのね」と納得してもらいやすい。

図:ダイヤグラムのS/N比(左は低く、右は高い)

 あなたがデザイナーで、目の前に理科系出身のクライアントがいる。10秒で、右のダイアグラムの方がより優れているかを示すとき、どうしたら良いだろうか?答えは簡単、「形状、色、配置のS/N比が違います」といえば、きっと一発でわかってくれるだろう。もう30秒もらえるなら、「4種類あった形状は同じことを意味していたので1種類に統一し、6種類あった色は4象限の代表色だけに絞り、配置をそれぞれの象限のグリッドに納めたので、それぞれのノイズが減り、S/Nが改善されました」となる。
 デザインの世界に閉じていると、なかなかこういう便利なキーワードを思いつかない。例えば建築の容積率、グラフィックデザインのジャンプ率、プロダクトデザインのRなどといった数値化できるパラメータは、そのデザイン全体の目的や他の部位の意匠性と複雑に絡み合いながら決定されるものであり、文脈性を抜きに「高いほど良い」とか「低いほど良い」とか言えるものではないからだ。
 まだまだ「デザインとは説明できなものだ」、という考えが根強く、デザイナーは暗黙知の世界で生きてしまっている。しかしそれを異業種の人に納得してもらうときには、どうしても形式的な表現が必要となる。そこで外部の「言葉」を借りてくるというのは、非常に有効だと思う。特に理科系のコトバは、おすすめだ。

2008年6月7日土曜日

養生テープに嫉妬する

 養生テープほど過酷な運命の道具は無いだろう。身をていしてペンキまみれとなり、そしてすぐに捨てられる運命にある。何事にも終わりはあるのだけれど、とりわけ養生という作業はその一生が短く、「捨てるために貼る」という大変ネガティブな要素を持っていると思う。 養生テープは元々、自動車の意匠上、塗り分けを必要とするデザインが求められたのに合わせ、その塗装現場で発明されたらしい。最初はそう簡単に剥がせる性質のものではなかったけれど、そのうちに誰かが和紙を使うことを思いついて、現在の剥がしやすいものになったという。
 けっこう前から、養生テープ(マスキングテープ)を乙女な雑貨に仕上げてしまう、というムーブメントがある。マスキングテープ.jpでは、淡い色使いを中心としたテープが色々と売られている。養生テープという無味乾燥な分野に、カラーバリエーション、Webコンテンツやパッケージといった新たなブランディングの要素を加え、これまでとは違う雑貨の販売チャネルを開拓しているところが面白い。


 養生テープさん、あなたはなんて献身的で、頼りがいがあって、気遣いが行き届いていて、それでいておしゃれな奴なのだろうか。「養生テープのような人ですね」なんて褒められたら、ちょっと嬉しいかもしれない。

2008年6月4日水曜日

情報量のデザイン~レンズの無いカメラは何を写すか

 最近、「スイッチ」というものの奥深さに興味を持っている。0か1かの、排他的な状態しか持たないスイッチ。最小限の情報量しか持たないからこそ、そこから表現できるデザインの可能性が沢山あるように思う。2006年の国際デザインコンペティションに出した私の作品「xLDK」は、0か1かの状態から想起される情景に目を向けてみたものだ。


 天野 祐吉氏・ 安野 光雅氏のことば・把手・旅―暮しの中のデザインを読んでいたら、「シグナル」と「シンボル」の違いについてこんな風に書かれていた。

 鳥がピピピ!と鳴いて危険を知らせるのはシグナル。 汽車の汽笛がボゥーッと鳴るのを聞いて、故郷を思い出すのはシンボル。

 シグナルとは情報理論的(クロード・シャノン的)な表現形態であって、シンボルとは情報とのインタラクションによって生まれる人間の精神性までをも含む概念だということだろう。
 ベルリン芸術大学のデジタルメディアクラスで、「between blinks and buttons」という開発プロジェクトが行われた。その成果一覧のなかに、「a blind camera」という作品がある。これはレンズやCCDなどの撮像部を持たないデジタルカメラなのである。


 実はこのカメラ、内部に通信装置が内蔵されており、インターネットにつながっている。そしてシャッターを切ると、それと同時刻に撮影され、そしてFlickrへアップロードされた写真を検索して、液晶画面に表示するのだ。そのため、シャッターを切ってから画像が表示されるまでには相応のタイムラグがある。シャッターを切ってしばらくすると、パラパラと世界中で同時刻に撮られた画像が表示される。つまりこのカメラは、「映像を撮るのではなく、時間を撮っている」ということができる。


 スイッチには、情報量や時間といった以外にも、まだまだ他にも様々な隠喩が含まれていると思う。日常の中で無意識に使っているものを深堀して、そこから新たなものを発想してゆけるのは、デザイン思考の大切な過程なのではないだろうか。