2008年6月4日水曜日

情報量のデザイン~レンズの無いカメラは何を写すか

 最近、「スイッチ」というものの奥深さに興味を持っている。0か1かの、排他的な状態しか持たないスイッチ。最小限の情報量しか持たないからこそ、そこから表現できるデザインの可能性が沢山あるように思う。2006年の国際デザインコンペティションに出した私の作品「xLDK」は、0か1かの状態から想起される情景に目を向けてみたものだ。


 天野 祐吉氏・ 安野 光雅氏のことば・把手・旅―暮しの中のデザインを読んでいたら、「シグナル」と「シンボル」の違いについてこんな風に書かれていた。

 鳥がピピピ!と鳴いて危険を知らせるのはシグナル。 汽車の汽笛がボゥーッと鳴るのを聞いて、故郷を思い出すのはシンボル。

 シグナルとは情報理論的(クロード・シャノン的)な表現形態であって、シンボルとは情報とのインタラクションによって生まれる人間の精神性までをも含む概念だということだろう。
 ベルリン芸術大学のデジタルメディアクラスで、「between blinks and buttons」という開発プロジェクトが行われた。その成果一覧のなかに、「a blind camera」という作品がある。これはレンズやCCDなどの撮像部を持たないデジタルカメラなのである。


 実はこのカメラ、内部に通信装置が内蔵されており、インターネットにつながっている。そしてシャッターを切ると、それと同時刻に撮影され、そしてFlickrへアップロードされた写真を検索して、液晶画面に表示するのだ。そのため、シャッターを切ってから画像が表示されるまでには相応のタイムラグがある。シャッターを切ってしばらくすると、パラパラと世界中で同時刻に撮られた画像が表示される。つまりこのカメラは、「映像を撮るのではなく、時間を撮っている」ということができる。


 スイッチには、情報量や時間といった以外にも、まだまだ他にも様々な隠喩が含まれていると思う。日常の中で無意識に使っているものを深堀して、そこから新たなものを発想してゆけるのは、デザイン思考の大切な過程なのではないだろうか。