2008年9月29日月曜日

うるさい日本の私(その1)~デザインされた騒音

 騒音というと普通、道路や工事の音が問題になるし、現にそれが原因の殺人事件なんかも良く起こっている。これらは車を走らせたり、工事をするという目的達成の「副産物としての騒音」である。すなわち意図が無く、編集もなされておらず、価値も無い。だから「デザインされていない騒音」だといえる。
 しかし世の中には「デザインされた騒音」がある。デザインの定義に基づけば、「デザインされた騒音」とは、「それに価値があると信じ、意図を持って編集した騒音」となる。

デザインされた騒音

  1. 「エスカレーターにお乗りの方は、ベルトにおつかまりください。小さなお子様連れのお客様は、、、、、」
  2. 「ただいま京王線では交通安全運動を実施しております、駆け込み乗車は危険なばかりでなく、、、」
  3. 「井の頭公園周辺の道路は駐車禁止となっております、迷惑駐車は、、、」

 これらのアナウンスは、いったい何の目的で流されているのだろうか。1は事故防止、2は駆け込み防止、3は迷惑駐車防止、、、本当だろうか?
 1の放送を聞いたオトナが、「ああそうか、エスカレーターっていうものはベルトにつかまるんだな」と思うのだろうか?2の放送を聞いたサラリーマンが、「交通安全運動を実施しているからには、僕も気を引き締めないといけない」と感じるか?3の放送を聞いた運転手が、「いけないいけない、あそこは駐車禁止だったからすぐに移動しないと」と行動を起こすか?そんなバカな人がこの世に居るだろうか?
 これらのアナウンスは、それに価値があると信じ、意図を持って編集されたものに違いない。しかしその「価値」は、少なくとも利用者のためにはない。だからこれらは、「デザインされた騒音」である。世の中はデザインされた騒音に満ちている。

うるさい日本の私
 哲学者で、電気通信大学教授の中島 義道先生が書いた「うるさい日本の私」というシリーズの本がある。その中で、ここでいう「デザインされた騒音」に関する考察がなされている。
 簡単にいうと、これらデザインされた騒音の究極の目的は「ポージング」にあるというのだ。アナウンスをしたという既成事実をつくることで、管理権限者による危険防止、事故防止、不法行為防止が行われていることを示すことができる。また大衆に対して、管理権限者のみが一方的なアナウンスという広報活動を自由に行う特権を有するという、いわば「権力意識」が存在し、それがポージングにいっそうの拍車をかけているのだという。(理解が間違っていたらごめんなさい)

次回は騒音=ノイズ(noise)をより一般化して、街中観察をしてみたいと思います。