【日本よ】石原慎太郎 人間の真の強さ
2008.10.6 03:35
最近得難い体験をすることが出来た。ある人の紹介である人に出 会い、人間の真の強さについてしみじみ悟らされた。その相手とは東大の先端科学技術研究センター、バリアフリー分野の教授福島智氏だ。福島氏は現在、完全 な盲聾(もうろう)者となっている。
この、「現在」という形容に実は深い意味がある。彼は誕生の時は五体健全な子供として生まれたが、三歳の時 に片目の視力を失い、さらにそれが両眼へ進み、ついには両眼失明する。だけではなしに、さらに長じて十四歳の頃(ころ)聴力が減退し始め、十八歳にいたっ て聴力を完全に失ってしまった。
幼年期から青春時代にかけてさまざまな体験を経て成熟していく人生の過程での、もっとも多感で鋭敏な時代に決定 的な喪失への恐怖にさいなまれながら、彼はついには生命以外の大方のものを失い尽くしたのだった。その時の感慨を、『自分はとうとう壼(つぼ)の中にとじ こめられてしまった』と表現している。
昔、日本にもやってきたアメリカのヘレン・ケラーは三重苦の克服者として有名だったが、彼女の場合は生ま れてすぐにかかった熱病のせいで聴覚、視覚の機能を失ったのだが、福島さんの場合はある意味でもっと過酷な運命ともいえる。
それはそうだろう、 十分にもの心もついた少年期に、初めは片目を失い、入れている義眼について仲間からからかわれたりしながらついに両眼が失明。そして成人前には耳が聞こえ なくなり、いかなる光、いかなる音からも遮断され、まさに大きな壼の中に蓋(ふた)をしてとじこめられることになってしまった。成人に近い者が、いかなる 外界からもじわじわと遮断されていき、大事な感触を失い外界から隔絶されてしまう。
彼の述懐だと両眼失明後の時期は『障害』についての意識はま だ稀薄(きはく)で、音楽や落語、スポーツにも興じて過ごしていたが、『全盲の世界で得ていた安定』は、聴力の低下によって揺らぎはじめたという。その恐 怖、その孤独さは想像を絶していよう。それは容易に絶望や自殺につながりかねまい。
その頃の彼の日記にこう記されている。『俺はなぜ、俺はどう したんだ。(中略)ああ、ああ、ああ、俺のからだ、俺の耳、俺の運命はいったいだれが握っているのか?この耳に聞こえない音が増えている。俺から世界が遠 ざかっていく。待て。俺はつかまえるぞ。この世界を』
しかし彼はそこから立ち直り、大学に進み、ついには大学の教授にまでなりおおせる。
「人はパンのみにて生きるにあらず、ということをつくづく悟りました。私の場合には他人へのコミュニケイションです。閉じこめられた壼の中から外にいる他 者との繋(つな)がりをどうとりもどすかでした」、と彼はいう。そしてその術(すべ)を与えたのは彼の生みの母親だった。
失明してから点字でも のを読み始めた彼が、さらに聴力を失い彼自身も周囲も難渋しているうちに、母親は指で点字の組み合わせを相手の手にタッチしてメッセイジを伝える「指点 字」という新しい伝達方法を思いつき、最初は母親とだけのコミュニケイトの手段として乗り気でなかった彼も、同じ全盲の仲間と点字という共通項を踏まえて の交流が出来ることになり、結果として彼にとっての新しい世界が開けていった。
◇
これは実の 親子の間の単なる美談として聞いて終われる話ではないと思う。今日、家庭の崩壊を象徴するようないまわしい事件が頻発しているが、実の子供の肉体的な危機 という極限状況の到来が母親に未曾有の工夫と知恵を与え、障害を克服するための画期的な方法を編み出したという事実は単なる感動を超えて、親子という決定 的な絆(きずな)の意味を感じさせてくれる。それはすべての動物の保有する親と子、特に母親と子供との関(かか)わりの本質を強く暗示してくれていると思 う。
それともこの現代においては、もはや日本の母親たちはその崇高な、というより生き物としての天命までを喪失しようとしているというのだろう か。
母親が編み出した「指点字」という失われた他者との関わりの術は彼にさらに新しい人生を与えなおしてくれた。いや、むしろある意味ではそれ を超えもっと深い位相の結婚生活をも与えたのだった。
奥さんは指点字を習得し障害者のために働いていた女性で、彼との出会いはその技術を学んで いた学校に彼が教師として講義にやってきその授業をうけたのがきっかけだったそうな。その結婚には当然家族は不安を抱いたが、彼の他の常人たちにない率直 さにうたれて賛成した。その席で彼女の母親の作った料理を器用に食べる彼を見てお母さんは思わず、「見えんのに、上手に食べてじゃねえ」とつぶやき、それ を聞いて彼女は安心したという。やがて彼女のお母さんはこんな歌を作って彼女に渡したそうな。
『盲ろうの青年の手に文字書きて 我が手作りの巻 き鮨(ずし)持たす』
思ってみればこの二人の結婚生活というのも不思議というか、我々の想像を超えているとしかいいようない。ともかく盲聾の夫 は愛している妻の声を聞くことも、その顔を見ることも出来ないのだ。妻からいえば、夫は彼女の声も顔も知らないのだから。
彼女が書いた二人の結 婚生活についてのエッセイでは、夫婦の間での喧嘩(けんか)も、愚痴も、愛のときめきもすべて触れ合った指を通じてということだから、少なくとも喧嘩は喧 嘩にはなりえまいに。
私が彼に初めて会ったその日、彼は東大で准教授から昇格し教授になったそうな。彼自身それをもってことさら何ともしまい が、しかし今までの彼の人生が示したものを、昨今の若者たちにこそ知ってもらいたいと願う。
いたずらな情報の溢(あふ)れるこの時代に、そうし た文明の便宜が逆に若者たちを他者との関わりにおいて阻害し虚弱化し、自分たちこそ社会におし殺されている者だといたずらな悲鳴を挙げてみせる手合いに とって、彼の生き様は、その気になれば人間はかくも強くなり得るのだという比類のない、しかしまざまざとした事例に他なるまい。
(via halihali、辻井さんから情報をいただきました)