2009年6月15日月曜日

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

まっくらな中で、五感を研ぎ澄ます。森を感じ、水の音を聴き、仲間と進む。まっくらやみのエンターテイメント、ダイアログ・イン・ザ・ダーク

 ダイアログインザダークの第二期受付が始まったらしい。お近くの方は、ぜひ。
 視覚障害者の方に導かれて歩く、「完全なる闇」の体験は、忘れがたいものがある。しかし以前参加したとき、この種のワークショップに対する奇妙な感覚を覚えた。

 それは、「予定調和」ともいえる不思議な一体感だ。ワークショップという、人為的・作為的につくられたシナリオ・空間の中で、オーディエンスは均質な経験をして、皆おなじような感想を述べる。曰く、
  • 他の参加者と力を合わせながら歩き、仲良くなれた気がする
  • 自分が普段、いかに視覚に頼っているかを知った
  • 闇で視覚以外の感覚(特に足の裏や手の触覚、聴覚)が研ぎ澄まされるか
  • 暗闇の中で嗅ぐニオイ、あるいは味覚への共感 、、、云々
 親の居ない子供達と遊ぶというボランティアデーに参加したことがある。そこでは子供よりも大人の数の方が多く、沢山の「癒されたい大人たち」が居た。泣きたくて映画を見て無く、社会に貢献したくてボランティアをやって、自分も癒される。

 「ワークショップ」や「体験型学習」なるものが大変もてはやされているし、これからの時代に求められる教育(社会人教育を含む)に必要とされている。しかしそれらは、全てデザインされたものである。すなわち、「デザイナーによって意図的に特定の価値効果を見出すよう編集されたもの」なのだ。

 ワークショップは新しく効果的な教育の手法ではあるが、ワークショップそれ自体がクリエイティブな発想を生み出す魔法のプロセスではない、ということに留意しなくてはならない。