「見立て」が日本文化として良く浸透しているのは、落語や文学から親父ギャグまで、あらゆるシーンでみてとれる。英語ではどのように「見立て」を使うのだろうと思って辞書を調べてみると、
「炭焼き小屋で焼かれた炭に見立ててブラックペッパーを振る」
訳:Black pepper is used to resemble charcoal made at a charcoal burner's lodge. (ALC英和辞典より)
うーん、最悪である。used to resembleなんて言われては、見立ての情緒感が失われてしまう。そもそも論述的に書いてるのが全然いけてない。もっと良い言い回しがあるのかもしれないけど、これでは0点だ。なんにせよ、論拠とか意味関係をショートカットして「見立てる」ことができるのは、あいまいさを許容しながらも先に進めるステキな文化の表れではないかと思う。
このあたりをうまく具現化しているのは、やっぱりプロダクトデザイナーの皆さんだ。
左:バナナのようなドアストッパー(デザイナー:渋谷 哲男氏)
右:水しぶきのような傘立て(デザイナー:浅野 泰弘氏)
日常の中のささいな「見立て」のアイディアを大切に育て、形として具現化している。上の2つの作品はプロデュース会社アッシュ・コンセプトによるもので、同社の製品はいつも「デザイナーのインスピレーション」と「ビジネスセンス」が絶妙にバランスしていると思う。
左上から:グラスのようなランプ、マグカップのようなゴミ箱、マグカップのような照明、そしてお萩の形をした照明(いずれもイデア株式会社、デザイナー不明)
大阪のイデア社(IDEACO)の製品は、街の雑貨屋さんなんかで見かける事が多い。たいへんリーズナブルながら、説明なしに納得してしまう「見立て」が内包されているように思う。同社のデザインコンセプトには、こんなことが書いてあった。
私たちはデザインを通じて、「日本人として生まれたことで世界に役立てる仕事をしていきたい」と考えています-IDEACOのWebページより
自分たちの生まれ育った環境の文化的背景を尊重するだけでなく、それを最大限「強み」として利活用することは、もっともっと声高に進めても良いのではないだろうか。