明日から、中国の中央美術学院というところで合同展示会。ネット環境が不明なので、1週間くらいブログの更新が止まるかもしれません。うまく行けば、写真をアップしたいと思います。
2009年11月26日木曜日
2009年11月25日水曜日
このグラフィックデザインは肺がんを起こす危険があります。
友人を肺がんで亡くしてから、何となくタバコのデザインに嫌悪感を感じているのですが。最近の女性用に「ブランディング」されたタバコは、随分と「かわいい」デザインなのですね。かつてのソウル・バス氏や田中一光氏のごとく、タバコのデザインといえばグラフィックの真骨頂。しかし今や、その表面積の30%以上を警告表示としなくてはならないらしい。
「かわいい」デザインと、「肺がん」の3文字のグラフィック上での対比は、もはやメディアアート的な様相を呈している。デザインとは何なのかを考えさせられる一品。
ラベル:
グラフィックデザイン,
コミュニケーションデザイン,
メディアアート
2009年11月20日金曜日
「概念の刺激装置」としてのデザイン
- 一般大衆が許容できる限界まで目立たせる事がデザインの本質だ
「概念の刺激装置」としてのデザイン
21_21で開催している「深澤直人 藤井 保 見えていない輪郭 展」に入ったとき、いったい何が展示物なのか良くわからず、7分で会場を出てしまった。
ドンガラな空間には、深澤氏がデザインしたらしき「工業製品」がポツポツと置いてあって、その横にはそっけない「広告写真」が掛けてあった。
- 美術品>工芸品>工業製品>広告
ジョセフ・コスースという現代美術家がいて、造形ではなく「概念(コンセプト)」をベースに創作活動をひたすら続けたらしい。上の作品は、左から「椅子の写真」、「椅子」、辞書の「椅子」の項目が並べられたものだ。
今となっては相当に古びた手法だけれども、当時の人々はこれに驚愕し、目をハートにしながら「クール!」といって見入っていたのだろう。
- 「感じるデザイン」から、「理解するデザイン」へ。
2009年11月19日木曜日
路上の生花
牛乳瓶に刺さる萎れた花をみるたびに、痛ましい気持ちになる。
汚れ枯れ果てた花瓶は、モノとしての価値をなしていない。けれども、その「たった1ビット」の情報は、僕らに強烈な意味作用をもたらしている。
東京の路上は、生花だらけだ。車を運転していると、あらゆる場所に「花が生けられている」ことに気づく。住宅街の、本当に何の変哲も無い路地、スーパーの駐車場、どこかの会社の出入り口。
「こんなところで、どうして?」と疑問に思う場所も少なくない。汚れ枯れ果てた花瓶は、モノとしての価値をなしていない。けれども、その「たった1ビット」の情報は、僕らに強烈な意味作用をもたらしている。
世界保健機関(WHO)が提唱する11月16日の「世界道路交通犠牲者の日」に、大阪の交通事故犠牲者の遺族らが全国の事故現場に黄色い風車を供える運動を進めているという。犠牲者を悼むとともに、ドライバーや地域住民に注意喚起するのが狙いだそうだ。
正しいデザインの姿だと思った。
(via asahi.com)
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コミュニケーションデザイン
2009年11月6日金曜日
100%デザイン、終了
おすそわケータイのモックアップを、富士通さんのブースで展示していただきました。ニコニコしながら見てくれているお客さんを後ろからコッソリみて、嬉しい気持ちになりました。
私は外野ですが、100%はトレードショウという場を越えて、デザイナーとのコミュニケーションの場になればいいんだろうなぁという気持ちでいます。このあたりは、kojicozyさんのブログにも。
- 来場者もただ見るだけで、コミュ二ケーションを通じた背景やメッセージを受け取る前に、デザインのエンターテーイメントを期待しているのか、入場料の高低 や、展示内容が面白くないだの、運営がひどいだの(たしかにグダグダだが)、さらには共存すべきTIDEと比較してみたりと、展示会としての目的をよくわ かろうとしないまま、表層的な俄評論家も多くなった気がする。デザインの領域やスキルの広がりから、来場者の質も変化してきたのだろうか
ラベル:
コミュニケーションデザイン
2009年11月1日日曜日
「エレベーターに40時間閉じ込められた人」をみて
23時間目くらいで、お財布の中身を並べて一人ゲーム?をやっているのが何だかクリエイティブ。自分だったら、いったい何をするかな。。。
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エスノグラフィ
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