2009年11月20日金曜日

「概念の刺激装置」としてのデザイン

  • 一般大衆が許容できる限界まで目立たせる事がデザインの本質だ
と解いたのはレイモンド・ローウィのMAYA仮説(Most Advanced Yet Acceptable)だったか。川崎和男博士は、これを、単なる「欲望の刺激装置」だと切り捨てた(PDF)けれども、今思えば、ローウィの言うデザインこそ、実に素直で正直な表現だったのかもしれない。


「概念の刺激装置」としてのデザイン

21_21で開催している「深澤直人 藤井 保 見えていない輪郭 展」に入ったとき、いったい何が展示物なのか良くわからず、7分で会場を出てしまった。



ドンガラな空間には、深澤氏がデザインしたらしき「工業製品」がポツポツと置いてあって、その横にはそっけない「広告写真」が掛けてあった。
  • 美術品>工芸品>工業製品>広告
というくらいのヒエラルキー感しか持ち合わせていない私には、最後までそれが「展示」であることを理解できなかった。今考えると、目をハートにしながらその空間を見つめていた「デザイン好き」っぽい人たちは、ひょっとしてそれらの関係性を「アート」としてとらえていたのだろうか。

http://kawamuramotonori.com/mt/assets_c/2009/03/d0135835_111329-thumb-500x333-14.jpg

ジョセフ・コスースという現代美術家がいて、造形ではなく「概念(コンセプト)」をベースに創作活動をひたすら続けたらしい。上の作品は、左から「椅子の写真」、「椅子」、辞書の「椅子」の項目が並べられたものだ。
今となっては相当に古びた手法だけれども、当時の人々はこれに驚愕し、目をハートにしながら「クール!」といって見入っていたのだろう。
  • 「感じるデザイン」から、「理解するデザイン」へ。
というのは、デザイン界隈におけるこれからの相当なムーブメントになる気がする。それは、欲望を刺激するデザインから、概念を刺激するデザインへの移行である。「見えていない輪郭 展」は、アート的な展示空間をもって、いわば「新しい工業デザインのフェーズ」を伝えたかったのかもしれない。