2008年8月26日火曜日

Amazonは本の「背表紙」画像を公開して欲しい!

 ちくま書房のWebページが、非常に良く出来ている。何が凄いって、トップページから新書の「背表紙」が一覧できるのだ。まるで本屋さんや、自分の書棚を眺めているかのようだ。

 背表紙を表示することのメリットは3つある。

  1. 効率性:同じ面積内に、より多くの書籍情報を表示できる。すなわちWebブラウザーという限られたスペースの中で、より沢山の情報を提示できる。背表紙を使えば、表表紙の場合の7倍程度の本を陳列可能だ。
  2. 検索性:複数の本を定められたフォーマットで一覧できるため、目的の本、興味のある本を一目瞭然に探し当てることができる。
  3. 審美性:表表紙と違い、色使いやフォントがインデックス的に統一されており、装飾的なグラフィックが無い。従って意匠的に強い主張をすることがなく、画面にしっくりと馴染む事ができる。
 ブログパーツで書評を書いたり、Amazonのアソシエイトプログラムを使う場合に、背表紙を表示するがジェットがあれば良いと思う。表ばかりを向いて並べられた本は、いかにも広告然としているばかりか、効率・検索・審美の面で問題も多い。それに対して、背表紙によって並べられた本は、「本そのものの使われ方を正直に体現している」感じがする。
 ちなみに、自分の本棚風のガジェットをブログ上で公開するサービス「ブクログ」では、表表紙を圧縮して背表紙風に見せるという苦肉の策で対応しているようだ。

図:勝手に作ってみた次世代(?)Amazonの書棚表示イメージ。

2008年8月22日金曜日

プロジェクターの正しい使い方~乙女風と旦那風

 今やホームシアターやビジネスプレゼンテーションだけでなく、演劇やメディアアートなどのシーンですっかり市民権を得てきたプロジェクター。いくつか先進的な使い方を集めてみました。

旦那風
 プロジェクターの「使い方」そのものを工夫して、新しい表現方法を試みたもの。あるいは既存の「使い方」のスケールを極端に拡大して、視覚的インパクトを狙ったもの。テクノロジーそのものにベクトルが向いている、旦那(男性)風な使い方。



薄膜の上にプロジェクション映像を映し出した、マイノリティレポート風の演出(詳細記事)。

ドバイに建設が予定されている世界最大の噴水は、6600個のライトと50台のプロジェクターによて演出される(詳細)。

乙女風
 自分自身を表現するときの補助的手段として、プロジェクターを使っているもの。プロジェクターは自分を美しく見せるための服飾品であり、ベクトルは自分自身に向いている乙女(女性)風な使い方。

生西康典、掛川康典らが演出する舞台公演「星の行方」、ダンスは寺本綾乃さん。

さらなる進化
 ちょっと前にプロジェクター付きのiPodがそのうち実現するんじゃないかというお話しをしましたが、中国のCKingという会社が似たようなコンセプトの商品プロトタイプを出していました。


 詳しいスペックはこちらのニュース記事に書かれています。プロジェクターが可搬できる形状になると、今後の演劇、アートあるいは建築や都市空間のシーンで、どんな新しい表現が生まれるのでしょうか。モバイルプロジェクターの旦那風な使い方は?乙女風は?と考えるだけで、なんだかワクワクしてしまいます。

2008年8月20日水曜日

戦時中の卒業アルバムをネットで見る

学窓から戦場へ
 私が調布市の電気通信大学というところに通っていたときは、8月15日の正午に必ず黙祷のサイレンが鳴っていた。今は、そこからちょっと離れた三鷹市で仕事をしているけれど、残念ながらそのサイレンは聞こえない。
 先日、同窓会のつくった「学窓から戦場へ」という小冊子をみて、先輩たちのすさまじい生き様を知った。



(昭和20年卒業生の手記より抜粋)

  • 殴られることにも、少しは堪えられるようになっていたが、辛く苦しいことばかりで、「志願をしてくる馬鹿もある」と歌われる歌が現実であることに切ない思いをしたのを覚えている。しかしお国のためだ、戦争に勝つためだ、と自らに言い聞かせ、頑張った。今にすれば、ただ気力だけの日々であった。この事は戦後60年経った今も、気力だけは人に負けない心算であり、戦争の苦しいときも、今現在もこの気力で生きているような気がしている。
  • 一ヶ月ほどの初年兵教育を受け、北多摩通信隊の中にある陸軍中央通信調査部高速班に配属になった。大きな通信機がずらりと並び、モールス信号の音が高速のため、トロロトロトロとしか聞こえず、さっぱり解らない。こんなことが今の俺にできるかと、唖然としていた。今日は見学だけで明日から勤務に就けとのこと。死ねと言われるほうがまだましだと思った。
  • グアム島から送信される米軍の全艦隊向け放送電報を取ることになった。大阪を空爆したとか、日本の艦船を何処で沈めたとか連日そんな情報を傍受していた。月曜日はグアム島の米軍は日曜日になるので、一日中電報は送信されず自符がでていた。「NPMツートントツーツートンツーツー」今も記憶から離れることはない。日本では月月火水木金金と日曜日など忘れていたのに、日曜日に休んでいる米軍の余裕に脅威を感じた。しばらくして7月25日真夜中、ポツダム宣言を受信し、所内にざわめきが起きた。その日の夕方、隊長が自決されたと知らされた。
戦時中の卒業アルバム
 電気通信大学では、その90年の歴史を電子化しようというプロジェクトがあり、少しずつではあるが昔の卒業アルバムや手記などがネットで公開されている。以前、不時着したB29を国領の人が見たときの記録で、戦争体験を可視化するコンテンツの必要性について書いたけれども、卒業アルバムの電子化というのはとても訴求力が強いように思う。
 ところで東大卒の友達にこの事を話したら、工学部の校舎を立て替えるときに、「造兵学科」なる看板が出てきて仰天したという。無線、機械、化学など、いわゆる理工学系のアカデミズムと戦争とが、今よりも密接にくっついていた時代ならではの話しである。反省とか教訓ではなく、先輩たちの生き様に対して、ある種の感慨をもって眺めたいと思う。

2008年8月11日月曜日

レイアウト教材としての牛乳パック~その2:なぜ牛乳パックか?

どうして牛乳パックか?
 レイアウト・グラフィックデザインの勉強をするにあたって、なぜ「牛乳パック」のパッケージデザインを考えることが適切なのかを考えてみる、という話しでした。牛乳パックに限らず、初心者向けのデザイン教材は次の3つの特徴をもっているべきだと思います。

1.親しみやすい
 親しみやすい商品についてのデザインをターゲットとすることで、その教材に対する興味が自然と沸いてくるでしょう。「親しみやすい」ためには、誰もが見たことがあり、そして買ったことのある商品でなくてはなりません。また特定のセグメントを相手にした商品ではなく、万人が利用する商品である必要があります。
 例えば特急電車をデザインする、という課題は、ごく一部のマニアには受けるかもしれませんが、興味のない人にとってはどうでも良い世界でしょう。「どうでも良いと思っているものを一生懸命考える」ことができれば本当のプロフェッショナルかもしれませんが、物事の基礎を教えるのに適切な手法とは思えません。

2.四角四面
 牛乳パックは文字通り、底辺が2.764×2.764インチ(約70×70mm)の、四角四面な形をしています。そしてこの形状は規格化されており、造形的な変更は不可能です。ちなみにこれは、アメリカで使用されていた牛乳瓶を入れる運搬箱の大きさの規格が外寸12×12インチ(約305×305mm)であったことから、そこにピッタリ入る底面をもつようデザインされたらしいです。
 形状が規格化されているおかげで、造形は無視して、純粋にグラフィックについてだけ考えることができます。これが規格化されていないパッケージ(例えば化粧品)について考えるとなると、グラフィックとパッケージ形状の関係について複雑な思索をめぐらせなくてはなりません。

3.明確な制約条件
 食品であるおかげで、食品衛生法上の表示義務が発生します。例えば、商品名、内容量、消費期限(賞味期限)、原材料・添加物、製造者氏名、製造者所在地、保存方法、アレルギー物質、遺伝子組み換え素材の有無など、もろもろの事柄を明記しなくてはならず、しかもこれらはけっこうな面積を消費します。与えられたルール(制約条件)の元で、自分の経験や感性を生かした作品をつくるための、良い訓練になるのではないかと思うのです。

牛乳パックのお手本
 良く出来た牛乳パックのデザインは、既に世の中に沢山出回っているようです。



 写真左は、いわずと知れた佐藤卓デザインの「明治・おいしい牛乳」です。写真中は、あからさまに明治に対抗した森永のおいしい牛乳(デザイン:ランドーアソシエイツ、ディレクション:江川勤氏)、 コップのモチーフを避けて牛乳瓶を使っているのが、何とも愛らしいデザインです。また、ゴールドの近似色や光沢感などで高級感を演出した苦心の作とも言えます。写真右は、シンプルな文字構成が逆に印象 的な東京牛乳、なかなか綺麗にまとまっているのではないかと思います。


 身近にある製品のデザインにチャレンジすることを通じて、デザインに少しでも興味を持ってもらえれば良いなと思っています。

2008年8月8日金曜日

レイアウト教材としての牛乳パック~その1:形式知と創造性

 今度、理科系の学校を出た人たちのために、グラフィックデザインの基礎を教えるワークショップをやることになりました。ちょっと安直な例えかもしれませ んが、彼らは与えられた「公式」や「ルール」に従って創造性を発揮することに慣れています。つまり、このワークショップは二段階でやるのが適切ではないか と思ったのです。

1.形式知を教える
日本のデザイン系の学生であれば、暗黙のうちに知っているような基本的なことがら、例えば色彩・構図・文字についての知識をまず明文化して、ルール化してあげます。

2.創造性を発揮してもらう
与えられたルール(制約条件)の元で、自分の経験や感性を生かした作品をつくってもらいます。

 私も理科系人間なので、このプロセスは非 常にしっくりくるし、どちらかというと2よりも1に重きを置く(1>2)のですが、どうも美大系出身者は1と2の順番が逆の人が多く、2>1だと捉えてい る人が多いように思います。これについても、「どっちが良い」という議論は不毛だと思いますし、教育する側は、その人の特性に合わせてプロセスを臨機応変 に変えてゆくべきでしょう。

  

 さて、「2.創造性を発揮してもらう」のためには、どんな教材が良いか考えていたのですが、今回は「牛乳パック」にしてみようかと思います。なぜ牛乳パックが教材として適切なのかについては、次回書いてみたいと思います。
 ところで牛乳パックを調べていたら牛乳を愛するあまり牛乳パックの収集に走った朝倉2号 さんのブログにたどり着きました。遠出のお供はクーラーボックス、旅行に行くと宿で無理矢理飲み干す、新しいパックを見つけるとニヤ けてしまうのだそうで。世の中、面白い人がいるものです。