- 好きなものを仕事にしている人というのはどこか頭がおかしい。まともに考えればリスクを負わずに普通に働いた方が楽しい人生を送れるに決まっているわけです。それでもその職に就く人間はそういう普通の感覚が麻痺してしまうくらいそれに賭けてきてしまった人たちなわけです。なので、まず「○○になろうかどうか迷っている」とか人に相談している時点で、もうその人は向いていない。感覚がまともすぎる。(hatenalabo, PictorialConnect)
当たり前と言えば当たり前の話し。学校やメディアが「仕事」に対して、あまりにも視覚的・皮相的で広告代理店的なイメージを与えすぎている。例えば消防の仕事は映画「バックドラフト」のような華やかなものではないし、フラワーアレンジメントの仕事は決してメルヘンチックではない。私が厚生労働大臣になったら、まずは虚像の生成装置である「キッザニア」を強制解体しよう。そうしよう。
だいたい日本では、「仕事に対する夢を捨てる」という事がいかにも悪いことのように思われている。むしろ私は、「その人がかつて、将来の仕事に対してどのような夢を持っていて、それがどのように打ち砕かれたか」を具体的かつ詳細に聞くのが楽しい。なぜなら「打ち砕かれた夢」というのは、バラバラになりながらも心の中に散在していて、仕事のふとした部分に見え隠れするからだ。例えば「画家になりたかった人」がつくったExcel文書はグラフの色使いが美しかったり、「格闘家になりたかった人」が設計する機械はどこか暴力的な要素がある。
その人たちはきっと、本当は文書作成や機械設計の仕事がしたいのではない。Excelを通じて画家となり、ロボットの機構を通じて格闘家になっているのだと思う。概念とイメージでつくられた幼稚な虚像である「夢」を、いかに無味乾燥な現代社会にアジャストして行くか、それが良い仕事を見つけるポイントだと思うのだ。ちゃんとそういうことを学校で教えて欲しいなぁ。