ともかく、ぼくは暗い倉庫の中で、桜の造花とちょうちんを発見した。
戦前の運動会か学芸会か、そんな平和な行事の華やかさが、古ぼけた箱の中に匂っていた。腕のいい職人がつくったと思われる紅ちょうちんは、少しも色褪せず、そこには、長い戦争の間、目にふれることのなかった「上等」というものがあった。
なかでも、長いモール状に連なった造花の桜は、淡いピンク色をしていて、そのなま暖かいみずみずしさが、ぼくを狂喜させた。ああ「春のおどり」だ。禁欲の灰色の時代をくぐり抜けて、ぼくは薄暗い倉庫のすみに、まざまざと平和を見た。
送別会は講堂の演壇が舞台となって、まるで芝居の中幕のように、桜の造花を一面に吊り下げた。出演者が、花ののれんを割るようにして登場することで、この送別演芸会は成功した。この時ぼくは、家の反対を押し切っても美術学校に行こうと思ったのである。
終戦時、異例の入試は四月になって行われ、黄色に赤のブチのあるチューリップの写生と、あの「造花の桜」をモチーフにした本の表紙を描いた。ずぶの素人が、復員兵の学生たちに混じって京都美専(京都芸大)の戦後の最小年の入学生となってしまったのである。
奈良商高の残留組が中途退学したために、ぼくには卒業式というものがない。卒業証書をもらいに、一人登校した時は、もう校庭一面にギラギラとした夏の太陽が照りつけていた。
(田中一光、「デザインと行く」)