「もう一息、あと3万年ほど待ってくれるかな?」
インタラクション・デザインは、発想を「記号上のイノベーション」に頼るところが多い。それはまるで文書を書くかのように、簡潔な抽象概念から生まれる。抽象概念の長所でもあり最大の弱点は、「伸縮・交換が自在なこと」だと思う。これが、クリエイティブの世界に大変な制約をもたらしている。
プロダクトデザインで、「伸縮・交換が自在なこと」といったら、ごく限られるだろう。それはマテリアル、スケール、色の調整といった具合だ。プロダクトデザインで色や素材を交換しただけのものは「マネッコ」だと言われるように、インタラクション・デザインのコンセプトが重複していたら目も当てられない。
プロダクト、インタラクション、プロダクト、ぶつぶつぶつ。。。
プロダクトデザイナーは陸軍兵士のようだ。地にはいつくばって、泥にまみれながら愚直に手仕事をこなしている。インタラクションデザイナーは、現代の水兵のようだ。船は「象徴」として布石のように置かれ、船の存在自体が紛争地帯において大きな「意味」をなすものの、実際に大砲が火を噴くことは無い。同じ場所に2つの旗艦(フラッグシップ)を配置することはできない。それは物理的な衝突(コリジョン)であり、同時に権威とアイデンティティを失うことになるからだ。
プロダクトデザイナーは職人のようだ。カラダに染み付き、自分の気に入った手法で日々もくもくと作業している。インタラクションデザイナーは俳人のようだ。5/7/5という規定の中で言葉を選ぶ。しかし5/7/5の世界と決定的に違うのは、俳句ではまずありえない事故、すなわち「たまたまアイディアが一致する」という不幸(コリジョン)が世の中で沢山起こっている点にある。
サルのタイプライター
訓練された夥しい数のサルが、一心不乱にタイプライターを適当に打っている。来る日も来る日も、何世代にもわたって打ち続ければ、いずれシェイクスピアのような名作が生まれる。
これは良く確率論の例えで使われるジョークのようなものだけれど、計量言語学的にはそんなに悪い話でもないらしい。(詳しくは名和 小太郎氏博士のエッセイ調の論文を読んでみるとよい。あるいは、無限の猿定理を参照されたい。)
サイバネティクスで知られるウィーナーは、タイプし続けるサルの群れを「科学者のことだろう」と野次ったらしい。大天才ウィーナーにとって、無意味な論文を書き続ける輩は、ひょっとしたら事実そんなふうに見えたのかもしれない。
ウィーナーが生きていたら、インタラクションデザインをどう見るだろうか。無目的にデザインする自分をふとみると、「タイプし続けるサル」になっている時があるのかもしれない。