拡張現実(AR)、三次元ディスプレイ、クラウド、三次元プリンターといった先端技術が、プロダクトや情報にかかわるデザインに新しい予見を与えつつある。組み込み技術やネットワークサービスの進化によって、情報デザインとプロダクトの境界があいまいになっている。
めまぐるしく変わりながら、しかし決定的な「キラーアプリ」が出ないなか、我々は「いつかスゴイものができるのではないか」という期待を胸に、技術開発をしたり、投資したり、プロトタイプをデザインしたり、コンセプトスケッチを描く。
サスペンスに夢中
例えば情報デザインの時代を少しだけ振り返れば、そこには「ユビキタス」とか「第五世代コンピューター」といった「墓標」がごろごろとしている。ユビキタスの価値観を「幻想」だと笑う人がいて、第五世代コンピュータに人生をかけた人たちを失笑する人が沢山居るけれど、それらは的を得た表現ではないように思う。
正直なところ、今も昔も、
- 宙吊り(サスペンダー)は、実に気持ちが良い
のである。そこには、サスペンス映画を観るようなワクワク・ドキドキがある。サスペンスという知的欲望を刺激しつづける悪魔に心を鷲掴みにされたデザイナーの姿がある。こうした現象は、ITや情報デザインに限らず、プロダクト、建築、マーケティング理論、工業デザイン、新興国ビジネスなどいたるところに見てとれる。
「サスペンスの悪魔」は、俯瞰すればアポリア(行き詰まり)ともとれるし、見方を変えれば必要悪のようにも思えてくる。
サスペンスとの付き合い方
創造的な人種である「デザイナー」の方々と付き合っていると、この「サスペンスという悪魔」と実にうまくやっているように思える。彼らの処世術は、このように分類できる。
エヴァンジェリスト(伝道者)
- 自らサスペンスの大ファンであり、その面白さを積極的に他者および他社に伝える人。
- 悪魔の手先。
- そのサスペンスが続く限り尊敬され、社会的評価を得て、サービス業として無形の価値を生む。
- 上流のデザイナー、大学教授、コンサルタントやメディア関係者に多い。
アルケミスト(錬金術師)
- サスペンスそのものを「創造」してしまう、ごく一部の天才のこと。
- 自らの強い意志から、時代に左右されない強い「ビジョン」を提案できる人。
- イノベーターであり、サスペンス自体にはあまり興味が無かったりする。
- 前田ジョン、石井裕、坂村健、マークワイザー
ターミネーター(終結者)
- サスペンスファンでありながら、大衆がサスペンスに浮かれているのを尻目に、「本当にワークするもの」をつくってしまうデザイナー。
- ターミネーターによってサスペンスは終焉をむかえ、その概念は既知の手法(マニエラ=マンネリ)へと格上げされる。
- サスペンスの終結は、新たなサスペンスを生むことが多い。
- ザハ・ハディド、スティーブ・ジョブズ、無名のインハウスデザイナーとエンジニアたち
シープ(子羊)
- アルケミストを尊敬し、エヴァンジェリストを信仰し、ターミネーターに驚愕する沢山の人。
- 相当に忍耐力のあるシープは、一生をかけて飽きることなくサスペンスを楽しみ、自らターミネーターになろうと努力を重ねる。
- 忍耐力のないシープは、サスペンスの概念と、自らのデザインするものとのギャップに迷う。
迷える子羊たち
自分も含めて、ほとんどの人は迷える「子羊」である。
サスペンスに翻弄され、裏切られながら、ドキドキと落胆の間で生きている。そんな我々は、精神衛生を健全にするために、次のことをよりどころにしている。
楽天的になる
- しょせんサスペンスは自分とは関係の無いフィクションの世界であると割り切って、サスペンスを「ほどほどに自分の仕事へ取り込む」ようにすることで、純粋に「嗜む」。
- 終焉がおとずれたときには素直に喜び、次の錬金術(アルケミー)にわくわくする。
- お祭り人間。
- サスペンスの終局こそ自分のミッションであると考え、がむしゃらにターミネーターを目指す。
- いつかは世の中に本当に認められ、ワークするものをつくりだせると信じる。
- 年齢的・体力的問題から「老い」がやってきたときには追求をやめ、次の世代を育てる良きエヴァンジェリストになる。
- 理想的な教師像。
- そもそもアルケミストでもターミネーターになる気もないが、いきなりエヴァンジェリストを目指す。
- 頭が良くて話が上手であれば、サスペンスの伝道、すなわち他人の土俵で相撲を取ること自体に、プロフェッショナルとしての価値が生じる。
- 下手をすると虚業になってしまうが、うまくいけぼ次世代のアルケミストやターミネーターを育成することができる。
- モチベーションリーダー
マナーをもって接すれば、「サスペンス」という悪魔との付き合いは一生の趣味になるかもしれません。