キラキラと輝く希望の粒子たち。
一連の残酷な労働は、仕事への美しい憧れをデンプンみたいに沈殿させる。
合理的に澄んだ空気には、もはや一筋の光も現れはしない。
(Shams Mawe)
クリエイティブという名のチンダル現象
とても元気がないのは、どういうことだろうか。まるで眼を消しゴムで消されてしまったダルマと話しをしているみたいだ。何の話しかというと、新人デザイナーやエンジニアの話しなのです。
このブログを読んでいる人は、ほとんどが広い意味での「クリエイター」だと思います。そのクリエイターというのが、今や希少人種であり、少なくとも日本においては、絶滅危惧種だということを、薄々気づいているのではないかと思います。いまや時代が求めているのは革新(クリエーション)ではなく、持続(メンテナンス)です。持続させることが「粋」であり、何かを変革することは「野暮」だと思われています。しかし本来、持続する対象それ自体や、持続のための工夫と仕組みを考え出すのがクリエイティブの力ではないでしょうか。
かき混ぜる人
少し前の時代では、「クリエイティブ」というのは一個人に閉じていれば良かったのだと思います。あるいは一個人とまで言わなくても、一組織、一つの事務所の中で頭を張ってクリエイティブを突き進む人がいれば、それで成立した。だから現代日本のクリエイティブというのは、「有名人」による経済原則に頼っています。
すっかり社会が複雑化した今、求められているのはスーパースターとしてのクリエイティブだけではないと思います。沈没してしまったクリエイティブの粒子たちを励起して、かき混ぜ、関係性をつくる人だと思うのです。ファシリテーターの存在が重要視されたり、会社組織を超えた関係性、外部からのイノベーションの重要性がうたわれるのは、こんな背景があるのではないでしょうか。
薄い氷の下は、背筋がゾッとするような冷たい湖。
破ってみよう、かき混ぜてみよう。
体が冷え切る前に。