2010年3月5日金曜日

目と鼻と耳と舌と手



子供の頃、ミツバチになりたいと思った。
紫よりも鮮やかな「紫」がみえるのだと、父に聞いたから。
パリの風景画家は私に、「犬になりたい」とぼやいた。
石畳の一つ一つに鼻をくっつけ、臭いを嗅ぎながら限りなく歩きたい、と。
そういえば、はるか東洋の人たちは香りで時間を感じているらしい。

ロシアの音楽家は、ト長調が暖かい暖炉のようだといい、
ドイツの詩人は、アルファベットの「g」がコーヒーの苦みだと断言した。
イギリスの学者から蚯蚓(ミミズ)は全身で木の葉を「感じる」のだと聞いて、
そのとき何だかうらやましかった。

目がみえない人と、話しをした。
匂いがわからない人と、ワインを飲んだ。
味がわからない人と、食事をした。
耳が聞こえない人と、会釈をした。
体が動かない人と、手をとりあった。

私の体は無限に広いグラディエント(勾配)の、
たった一つの点だとわかった。

(Shams Mawe, 1976)