- 世界中で数多くの賞を受賞した映画「ザ・コーヴ」は、水面下のサウンドとカメラのエキスパート、特殊効果アーティスト、海洋探検家、アドレナリンジャンキーそして世界レベルのフリーダイバーから構成される「オーシャンズ11」のような作製チームが、日本の太地町の入り江(コーヴ)で密かに行われていた恐ろしい事実を明らかにした、アクション的要素に溢れたドキュメンタリーです。
- 彼らは、入り江(コーヴ)でイルカが密かに惨殺されていたことだけに留まらず、大量の水銀を含んだイルカ肉が、クジラ肉と偽装されて日本で売られていること、更には、有害なイルカ肉が、小学校の給食で出され、日本の子供達に重大な健康上の被害をもたらしている現実も捉えています。
色々と微妙な問題もあって過熱しているイルカ&クジラ問題、私はあんまり詳しくないので、今日は「デザイン」の観点から考えてみました。ちなみにイルカとクジラは同じ生き物でよすね?たしか。
クジラを食べると頭が良くなる。
一見温厚で弱々しい人種、日本人。しかし彼らの驚くべき知性は、「禁断の知的動物」を食べることで得られている。というような、大胆な「思い込み」仮説は成り立たないでしょうか。アメリカのように油をとるために捕鯨していた文化に比べて、やっぱり「食べちゃう」というのは人間精神の普遍的な部分だし、とっても強い記号をもつような気がするんです。
「小学生にまでイルカの肉を食べさせる」というタブーを犯しながら、日本の文明はますます強化する、これは驚異だと。(本当にそんなことで経済回復してくれれば良いのですが)
そもそもタブーというのは、食べたり接触することで次々に伝搬する性質のものだったと思います。
- オウムとリスは果物をよくたべる。そこで首狩りに出かける者たちは、これらの動物を身近なものと感じ兄弟と呼ぶ。人体と樹木、頭と果物の対比のためである。(Zegwaad、ニューギニアのアスマット族)
- 動きえぬものは動きうるものの糧となり、牙なきものは牙あるものの糧となり、手なきものは手あるものの糧となり、臆するものは猛きものに食わるべし。(マヌ法典、5.30)
「惹き込み」のコントラスト
内容をみると、「水銀による汚染」とか、「無残で暴力的な行為」ということを何度も言っているのですね。これはそれぞれ、「環境問題」と「戦争」の隠喩なんじゃないかなぁと思いました。つまり、日本のWakayamaという、どこだかも良くわからない未開な地域の振る舞いと、先進国であるアメリカの文明人としての社会問題から、人間精神の普遍性としての不思議な一致を見とることができる。もちろんアメリカだけではなく、グローバルな環境と暴力の問題の縮図がそこにある。その二重性の対比関係。
しかもそれが、圧倒的に美しいブルーの映像と、残虐な真っ赤なシーンとのコントラストによってデザインされている。あ、しかも左右対称のポスターの真ん中には、明らかにイエス・キリストが居ますね。ちょっと恥ずかしくなっちゃうくらいの古典的な表現です。その周りにいるイルカ=天使は中央に集まり、何かをうったえているかのようです。天使は奇数の5匹で、どうも多少バランスが悪いですが、これは日本を表しているのでしょうか。
冷静にみれば、この「アクション的要素に溢れたドキュメンタリー映画」(この二元論的なキャッチコピーもなかなか)はあらゆる面で、なかなかの戦略性をもった「コントラストのデザイン」がなされていると思いました。社会性と反則技の狭間を狙った恣意的なプロモーションとか、意識と無意識の社会的な記号とか、いろいろな意味で。
こんなブログを書くことで宣伝に荷担しちゃうのも悔しいですけど、デザイナーとしては必見だと思います。