休日を使って、父か祖父が撮りためていたフィルムをスキャンしてみました。わざとらしくない一瞬って、いいものですよね。
- こうした写真を眺める者はそこに、現実がこの写真の映像としての性格にいわば焦げ穴をあけるのに利用したほんのひとかけらの偶然を、<いま-ここ>的なものを、どうしても探さずにはいられない。画面の目立たない箇所には、やがて来ることになるものが、とうに過ぎ去ってしまったあの撮影の時の一分間のありようのなかに、今日でもなお、まことに雄弁に宿っている。だから私たちは、その来ることになるものを、回顧を通じて発見できるのである。
(ベンヤミン、図説写真小史)