2008年5月30日金曜日

工事現場から発想するデザイン

 沢山のモノが集まっているときは、デザイン思考の観察において大きなチャンスだと以前書いた。モノが理路整然かつ機能的に集まっているところといえば、「工事現場」ではないだろうか。そんなわけで工事現場を見かけたときは、観察を欠かさないようにしている。


 http://www.buildupper.com/は、工事現場の様子を視覚的に面白く表現したり、現場の音をマッシュアップして自分で楽曲をつくることができるようになっている。仕掛けているのは日本建設業団体連合会だ。どうしても3Kのイメージが強い現場の汗、騒音、重機のイメージを逆手に取り、思わず工事現場を覗きたくなるような、ワクワクさせる仕上がりになっている。

写真:サトウオオキ(NENDO)氏が手がけた、白い三角コーンのインスタレーション。夜になると内部の照明が光り、幻想的な雰囲気を演出する。

 デザイナーの手にかかれば、工事現場に山のように置かれている三角コーンだって立派な作品になってしまう。誰も気に留めないものが大量にあれば、その中から思ってもみなかった特性を見出すことができることを教えてくれているように思う。
 先日、試しに白いコーンを手に入れて、内部の容量がどのくらいあるのか色々なモノを入れて調べてみた。一番面白かった結果はカンパン3つ、1.5lのペットボトル2本、ラジオ、非常用ブラケットなど。家庭や駐車場に散らばっているコーンの体積は、例えば全部あわせると結構な防災備蓄倉庫になるかもしれない。

2008年5月24日土曜日

ログ×デザイン ~ EUの出入国スタンプ、御影札

 ログ(log、記録)には、2つの意味がある。証拠(evidence)としてのログと、生きた証としてのログ(life log)だ。情報システムの世界ではもっぱら前者の意味で使われる「ログ」だが、そこにデザイン思考の要素が入ると、なかなか面白いことが起こる。

 
上:EUで実際に使われている出入国スタンプ、左は飛行機による出国、右は電車による入国を示している。下:佐藤雅彦さんが展示用にリ・デザインした日本の出入国スタンプ(RE DESIGN―日常の21世紀より)

 EU諸国では、出入国の際のパスポートスタンプに、明瞭に統一されたシンプルなデザインが採用されている。これは主に、証拠としての明瞭性・空港現場での認識性を高めることを目的としつつ、造形的な美しさを高めているように思える。

写真:御影札を屏風に仕立てたところ。

 同じ移動記録でも、四国八十八ヶ所をめぐる御影札(おみえふだ)は、全部集めると屏風に仕立ててもらえるという素敵な特典がついている。パスポートを見るときの楽しみも、御影札の屏風仕立てもいわば、「思い出の可視化」ということができる。

写真:東大のデジタルパブリックアートプロジェクトで試作されたSuicaを使ったインスタレーション(論文)、自分のSuicaをかざすと、中に記録されたログ情報を機械が読み取り、自分のこれまで移動した経路が地図上に表示される。

 生きた証を残すことを、ライフログという。その意味ではケータイの着歴や、キーボードに付いた手垢も、一種のライフログだ。眠っていたライフログに目をむけ、表現の方法を再構成することで、新たな付加価値を生み出すことができないだろうか。

■今日のデザイン思考・実践編■
→生活の中で、会社の中で、学校の中で、自然の中で、私たちはどんなライフログを残しているだろうか?
→そのライフログは、どんな形で残っているか?可視性はあるのか?永遠に記録されているのか?
→ライフログを加工・再構成することで、何か付加価値を生み出すことはできないだろうか?

2008年5月18日日曜日

B29の不発弾、戦争の記憶、マッシュアップ

 複数のWeb上のサービスを融合してつくられた、いわゆるマッシュアップが今や当たり前になってきている。動画とテキストを組み合わせたニコニコ動画、地図と写真を組み合わせたFlickrなどが有名どころだろうか。最近面白いなと思ったのは、デートスポットを共有できるデート通とか、思い出の場所を書き込むと誰かが見てきてくれる見てきて地図などだ。みんなの「思い出」のようなものが地図情報にのこる仕組みになっていて、非常に情緒あふれるマッシュアップ・サービスになっていると思う。

京王線の真横で進む1トン爆弾の撤去作業

 ところで本日、ご近所の調布市ではB29の不発弾を処理するために住民16,000人が避難する大騒ぎになっていた。あまりちゃんと報道されていないけれど、調布のスバル自動車の工場ではかつてゼロ戦をつくっていて(その名残でスバルの車は今でも水平対向エンジンを載せている)、今回発見された爆弾はそのゼロ戦工場を爆撃しようとしたMrs. TittymouseというニックネームのB29が載せていたものだったのだ。しかもこのMrs. Tittymouse、体当たりしてきたゼロ戦によって撃墜されている。
 ゼロ戦パイロットの古波津里英さんは脱出して三軒茶屋あたりにパラシュートで着地(2006年までご存命)、B29は京王国領駅前の畑に不時着して乗組員は一人だけ生き残ったらしい。その不時着したB29を国領の人が見たときの記録が残っている。

離れたところから何気なく胴体を見ていると、主翼のつけ根のやや前よりに、びっくりするようなものを見つけた。白銀色のジュラルミンの胴体に、八十センチのほどの大きさで、絵が描いてあったのだ。
その絵は、豊かな乳房をあらわにした半裸体で、右手を金髪の後ろにあて、やや反り身になりながら目をつぶって、こちらをじっとみつめている若い女の姿だった。
わたしは見てはいけないものを見てしまったような気がして、目を伏せた。しかし、私の後ろでは、大人たちが二三人、ニタニタしながら見ていた。女の人の絵の横には、英語の文字が書かれていたが、もとより何と書いてあったかはわからない。
空襲、空襲でおびえていた私たちには、まったく想像もできない絵であった。しかもそれが戦争のさなか、日本を爆撃にくる飛行機に描かれていたとは……
「心に秘めていた戦争の話」(偕成社、1995年刊)

 のどかな街にも残る戦争の面影、空から落ちてきた異文化のショック、、、こういった話しこそ、地図、写真、文字情報が融合したマッシュアップサービスとして残し、生きた形で共有してゆけないものだろうか(東京ユビキタス計画あたりで取り扱ってくれませんかね)。

■今日のデザイン思考・実践編■
→「思い出、名残、記憶」といった情緒的な要素を生かしたマッシュアップサービスを考えてみましょう。
→あまり技術にとらわれる必要はありません。どんなことでも実現できると仮定した方が面白いアイディアが出ると思います。
(例:みんなのファーストキスの場所をハートマークで表示する「キス地図」、逆バージョンの「フラレ地図」、自分のゆかりのある地域だけを集めて1つの仮想街をつくる「勝手地図」)

2008年5月16日金曜日

写真の中のロングライフを探して

 シニア向けの面白いコンテンツが無いか探しているとき、たまたまFlickrでカラー写真で見る第二次世界大戦中のアメリカの風景を特集したページを見つけた。


 口紅のような機械で戦闘機用の配線をチェックする女性が印象的だった。戦時中らしくアーミー調フォントの腕章、お化粧、使い古した手袋、髪型、どれをとっても古い写真だとわかり、鮮やかなカラー写真であることに違和感さえ感じる。一方で男性はというと、対戦中も現在も大して変わっていないような印象を受ける。
 ずいぶん前に、マグナムが撮った東京展で、巨匠たちの撮った東京の風景が1950年代から順に並べられていたのを思い出した。

 一通り展示を見た後で、「何かおかしい」と感じた。1950、60、70、80、90年、そして2000年以降も、
変わらず写真に写っているモノがあるのだ。自分でもよくわからず、もう一度展示を見てそれは判明した。

 それは、おっさん(ossan)である。つまり、おっさんの風体というものは、1950年から一切変わっていないのだ。例えばマグナムの撮った新橋のおっさん(1950年もの)を、とつぜん現在にタイムスリップさせたとしても、全く違和感が無いようだった。メガネの形とか若干のディテールの違いはあるものの、テロテロのスーツ、表情の作り方、カバンの形状にいたるまで、ほぼそのまんまである。女性の場合は服装、髪型、お化粧、はたまた歩き方に至るまで、しっかり時代ごとに変化している。変化の遅い建築でさえすっかり変わっているというのに。おっさん(ossan)は、安定していると思った。drawing and manual(D&DEPERTMENT)のナガオカケンメイさんは、

ロングライフデザインとは製造されて10年以上経っても製造され続けられ、使い続けられ、愛されているデザインのこと。

 とおっしゃっているけれど、女性が革新的・循環的なのに対して、おっさんはロングライフデザインなのかもしれない。着慣れた感じのスーツ、地味なネクタイ、トレンチコート、黒い傘を携えたおっさんは、どこか安心感を与える気がする。
 最近は新入社員を筆頭にすっかりスタイリッシュなスーツが浸透した感があり、典型的なサラリーマンのおっさん像が引き継がれなくなりつつのではないだろうか。遺産になる前に、誰かおっさんを主題にした写真集、つくってくれないかな。

■今日のデザイン思考・実践編■
・あなたの持ち物の中で、10年前にタイムスリップして写真集に写ったとしても違和感の無いものはあるだろうか?
・逆に10年後にタイムスリップしても、流行に左右されず生き続けるものはあるだろうか?
・それはなぜだろうか?

2008年5月15日木曜日

自然、メディア、変換

 西村佳哲氏のWebページリビングワールドでは、自然や人の温もりをテーマにした作品が多く紹介されている。中でも私が好きなのは、2001年ごろからコツコツとつくられていた「風灯」だ。


 風灯とは、読んで字のごとく風鈴の「灯」版だ。風鈴の形をしていながら、そよそよと風が吹けば優しく全体が光る。情報学的にみれば、風鈴は風という触覚メディアを聴覚メディアに変換するデバイスだとみることができる。風灯は触覚→聴覚ではなく、触覚→視覚へと、メディア変換の流れを変えた作品だ。

 西村氏の手にかかれば、時間という目に見えない情報源も、美しい形態を身にまとった表現物となってしまう。この砂時計は、「100人の子どもが生まれる時間」と名づけられており、サラサラと砂が落ちるまでの数分の間で、(統計上の平均値からいって)100人の子供が地球上に誕生するという。
 以前、チョコレートと牛丼にみるメディア変換でも書いたけれども、こんなにも普遍的で、直感にうったえ、記憶に残り、そして説得力のあるプレゼンテーションの方法論を、デザイナーだけのものにしておくのは勿体無いと思う。

■今日のデザイン思考実践編■
 身の回りで起きている色々な現象を見つけ出し、それを何かの指標に例えて表現してみる。例えば、上司の機嫌がわかる体温計、あと何メートル書けるかがわかるボールペンなど。メディア変換に慣れてきたら、自分の仕事に関係する表現で使ってみる。

2008年5月14日水曜日

裁判のデザイン

 シックな装丁がステキな中公新書ですが、この出版社のベストセラーは木下是雄氏の理科系の作文技術なのだそうです。今でいうところのロジカルシンキングや、ゴールとプロセスの明確化など、読み手を意識したシナリオライティング力を養うためのエッセンスが沢山詰まっており、長くベストセラーの座に居るのもうなずけます。学校のレポート、企画書から設計資料など、論理構成を重要視されるあらゆるシーンで使えると思います。まさに理科系のための文書表現のバイブルといえるでしょう。

 この手の「書きかた本」は色々あるのでしょうが、私のもう一つのお気に入りは谷崎潤一郎さんの文章読本です。中でも前半に書かれている、

 われわれはあらゆる手段をもって文章を魅力的にみせて差し支えない

 なんていう、小説家らしくちょっと構えたフレーズが大好きです。ここでは本の装丁、句読点の位置など、エディトリアルデザイン的な要素も含めて、トータルに文章の魅力を引き出すことが奨励されています。いわゆる文系的・芸術的な色の濃い読本だと思います。








 文系・理解という単純な二象限でいえば、デザインするということは、論理構成を正確に表現する理系的な要素と、その正確さを失うことなく魅力的な表現をする文系的な要素の両面があるのではないでしょうか。両者の利害が一致したとき、デザインの表現物は多くの人に対して、より直感的で、より強いメッセージを発するようになります。

 デザインが強くなることに懸念を抱いている分野もあります。常に公正な判断を要求される裁判の現場です。日経ビジネスオンラインの連載記事「イロの詐術に気をつけろ!(伊東 乾氏)※要無料登録」には、陪審員制度において、このように強いメッセージを持ったデザイン表現物(プレゼンテーション)が安易に取り入れられる事に対する警戒心のようなものがうかがえます。

裁判員裁判で、音声や動画などのマルチメディアの自由な使用を許せば、言葉に証拠を残すことなく、色彩などの効果だけで、職業裁判官を含めあらゆる裁き手が、ヒトとして不可避な認知特性によって、潜在意識レベルから簡単にメディアマインドコントロールされてしまう、それを危んでいるのです。

 優秀な商業デザイナーほど、論理に裏打ちされ、多くの共感を得る豊かな芸術表現を取り入れた「強いデザイン」で武装していると思います。従って伊東氏の意見は決して大げさでなく、デザインの強さと危うさを良く表しているのではないかと思います。

2008年5月13日火曜日

シニアのためのITデザイン

 最近、いわゆる前期高齢者(アクティブシニア)の方々と話せる機会が多くなってきた。人によっては、メールやエクセル、翻訳ソフトなど様々な方法でPC・インターネットを使いこなしていて、とても驚いた。
 そういった方々とインターネットの話をしていると気づくのが、「どうやって楽しんだら良いかをまだ知らない」ということだ。YahooもGoogleEarthもYouTubeもFlickrも名前だけは知っているけれど、そこに何を入れたら面白いのか、私の興味に関係のある情報が引き出されるのか、まったく未知数なのだ。
 「ほしいものが、ほしいわ。」とは、1988年に糸井重里さんがつくられた西武百貨店のコピーだ。この続きは、こうなっている。

ほしいものはいつでも
あるんだけれどない。
ほしいものはいつでも
ないんだけれどある。
ほんとうにほしいものがあると
それだけでうれしい。
それだけはほしいとおもう。

ほしいものが、ほしいわ。

 1988年はバブル絶頂期、消費者が物質のカオスの渦に巻き込まれている時代だ。その中でSEIBUへ行けば、ほしいと思えるものがあるというメッセージをわずか10文字という俳句よりも少ない情報量で見事に書き記している。キャッチコピーの一到達点だと思う。

 アクティブシニアにとってのインターネットは、まさに「ほしいものが、ほしい」という状態なのではないだろうか。情報過多の混沌の中で、どうやって自分が楽しめる、役に立つ情報を探したらよいのか、その術を知らされていないのだから。
 ちなみに、石垣がおじいちゃん・おばあちゃんに紹介した中で最もウケが良かったのが、YouTubeの懐かしのCMシリーズだった。特に評判だったのは1978年の崎陽軒のCM、ほのぼのしていて好きです。

2008年5月12日月曜日

ハイテク×見立て

 ハイテクを取り入れた製品をつくっているMONGOOSE STUDIOの、ブラインド照明(blight blind)がステキだ。壁にかけたブラインドの裏一面に有機ELが組み込まれていて、その反射光があたかも窓から漏れる朝日のようにみえる。ハイテクをうまく用いた「見立て」のデザインだと思う。

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 以前、松下電工でHOME ARCHIシリーズを担当されているデザイナーさんと話をしたときに、照明屋の夢の歴史というのをうかがった。曰く、「最初は点光源しかなかった。ロウソクと電球。蛍光灯の出現によって、それが線光源になった。おかげで今、継ぎ目の無い(シームレス)蛍光灯は店舗の間接照明などで多用されている。そして今、LEDや有機ELのおかげで均一な面光源が実現でき、壁一面や床一面をまんべんなく発光させられる時代になった、まさに夢の時代だ」とのことだった。確かに新しいマンションや公共施設へ行くと、壁一面がこれでもかというくらい均一に光っている未来的な空間を目にすることが多い。通常のハロゲン球やHIDランプを使ったウォールウォッシャーランプも、「いかに器具を目立たなく小さくし、壁一面を均一に照らすか」が開発課題であるという。


 私は、「今や発光面をどうコントロールすることが業界の課題であって、そのなかで照明器具自体は見えないものになり、そのうち器具をデザインする必要が無くなるのでしょうか」と、ちょっといじわるな質問をしてみた。どうやらそのデザイナーさんの悩みもそのあたりにあったようで、「壁照明におけるデザインの自殺」といった話を口にされていた。
 その点、MONGOOSEのブラインド照明は、自殺しそうになりかけた壁照明のデザインを、新たな手法で救出しているように思う。消えかかる灯火があれば、誰かがそっと息をかけて火を盛り返す。そんな静かな攻防が繰り広げられている。

2008年5月9日金曜日

欠点を愛でるデザイン

 強み/弱み、メリット/デメリット、良い/悪いといった二面性は、誰にでも、どんなモノにもある。SWOT分析という有名なマーケティング・ツールでは、組織の内と外に潜むこうした二面性を書き出すことで、次の作戦を立てるのに役立つといわれている。組織でなくとも、新製品や新しい事業、あるいは例えば、SWOTをつかって自分のキャリアデザインを考える、なんていう事も可能だ。
 ここで気をつけなくてはいけないのは、良い/悪いといった二面性は、表裏一体である場合があるということだ。誰もが良いと思っているもののなかに実は沈黙の欠点が潜んでいたり、誰もが使い物にならないと思っているなかに光り輝く宝石が埋まっているかもしれない。


 その昔、ソニープラザで柄にも無く衝動買いしてしまった「MISS-TANAKA」という雑貨がある。安っぽいトンボのオモチャで、おなかの部分に吸盤が付いている。こいつを机の上に置いて、背中を押すと吸盤が机に吸い付くようになっている。このトンボの足は金属で出来ているため、吸盤を剥がす方向にテンションがかかり、吸盤が耐え切れずある程度まで剥がれると、しまいには「ビヨーン!」と勢いよく「MISS-TANAKA」が宙を舞うという仕掛けになっているのだ。
 「剥がれる吸盤」というのは、誰もが考える欠点だと思う。しかしMISS-TANAKA(いったい何なんでしょうね、このネーミング)は、これを思いもよらないギミックに仕立て上げ、立派なオモチャにしてしまった。「付かない接着剤」をポストイットという文具の一大ジャンルにしてしまった3Mの技術者も、きっと同じ発想を持っていたに違いない。
 欠点、デメリット、弱みに直面した際に、誰もがまず、それを克服しようとする。しかしその前に、その欠点をよく観察し、何か別の用途を考えてみることで、新しいアイディアが生まれてくる可能性があるのだ。デザイン思考は、弱みを強みに変え、デメリットをメリットに転換する魔力を秘めているのだと思う。

2008年5月1日木曜日

自然から学ぶデザイン

 自然の造形からヒントを得るのは、デザイナーの常套手段だ。多くのデザイナーが、自然のつくりだすカタチの「意味」を切り取って、自らのデザインに生かしている。 しかしこのやり方はもはや、デザイナーの独壇場ではなくなってきているようだ。

上:木漏れ日からヒントを得たと思われる、ルイス・ポールセンのCollage Pendant(デザイナー:Louise Campbell)、下:氷の塊を彷彿とさせる、ティナント・スプリングウォーター(デザイナー:Ross Lovegrove)

 ベルギー・ブリュッセル大学のMarco Dorigo教授らのグループは、アリがフェロモンを介して情報伝達することで、集団として非常に高度で知的な振る舞いをすることに目をつけ、これをACO(Ant Colony Optimization)と呼ばれる工学的なモデルで表現している。ACOは電話交換網や、パケット交換のアルゴリズム、移動型ロボットの制御など、様々な分野で応用されている。 このような工学的手法をNature Inspired Algorithm(自然界からインスパイアされたアルゴリズム)と呼ぶ。
 自然界の生物は、一匹一匹は単純な判断機構しか持たなくとも、群全体として目的性を持った振る舞いをする現象を発現することが多い。これを、群知能(swarm intelligence)という。鳥の集団飛行や、蜂の集団行動も群知能の代表例だ。

上:アリは障害物を避けながら巣からエサ場へ向かう。エサを見つけたアリは誘引フェロモンをバラ撒きながら巣へと戻る。下:より短い経路を辿って巣と餌場を往復すれば、そのエリアのフェロモンの濃度が濃くなる。このように、フェロモンというメディアを介してアリ同士がコミュニケーションすることで、結果的に巣からエサ場への最短経路が形成される。

 サイエンスライターのJanine Benyus氏は、バイオミミクリーと呼ばれる活動を通じて、自然界からインスパイアーを得たモデルをもとに、サステナブルな概念をわかりやすく説明してくれている。



 自然は、意匠権も著作権も特許権も主張せず、いつの時代もデザイナーやエンジニアに無限の発想をもたらしてくれる。なんと寛容な情報源なんだろうか。