「部品化」されちゃった人間というのを見たことがあるだろうか?それは会議の場とか、店員さんと話す時なんかに現れる。
- 「いらっしゃいませエー」(手をお腹の前で組みながら)
- 「それでは御社とwin-winの関係でコラボレーションできるよう、まずは可能性をリストアップした上で、ストラテジーを検討いたします。」
- 「しかし鳩山はどうなってるんだ!みんながオカシイ、オカシイと言っているのに。」
同じ包装紙でくるまれているから、外側から見たときの仕様(インタフェース)が同一であり、他の人と置き換えても同じように機能する。
ソフトウェア工学における部品化(モジュール化)の概念が登場して以来、部品単位でソフトウェアが流通し、それを組み合わせて新しいプロセスをつくることが、ごくごくあたりまえになった。
それが人間社会にもじわりじわりと浸透してきていていう。ある日、自分の近くに居る人間が「部品化」されてしまう恐怖は、どこか村上春樹の短編「ドーナッツ化」を思い出してしまう。ドーナッツには中心が無いが、その「外側」だけは充実しているからだ。
- ソフトウエアをあたかも「部品」のように扱える形でキープしておく。ソフト部品は自社で作成してもいいし,外部から調達してもよい。そして,適切なソフト部品を探し出し,場合によっては新たに部品を作り,それらの部品を“組み立てる”ことでアプリケーションを作成する――。(via nikkei)
- 人間をあたかも「部品」のように扱える形でキープしておく。人間部品は自社で作成してもいいし,外部から調達してもよい。そして,適切な人間部品を探し出し,場合によっては新たに部品を作り,それらの部品を“組み立てる”ことでアプリケーションを作成する――。
化粧箱はいくら豪華でも別に良い。問題は、その中身だと思う。