2010年6月28日月曜日

技術に対する過剰な期待とユートピア思想

「情報技術とコミュニケーションデザインが重なる領域で、何か新しい発想」をしている人は多いと思う。私も企画会議とか、ワークショップとか、飲み会とかで、良くそういう場面に遭遇するのだけれど、自分で発言しながらも、ついつい赤面していまうシーンがある。なんとなく特徴が見えてきたので、ここでまとめてみたい。


クラウド症候群

  • コンテンツを、ユーザ自身がどんどん整備できるようにすれば盛り上がりませんか?フリーソフトとかWeb2.0の考え方で。
  • このシステムをクラウドで管理すれば、データの連係なんて全く苦労する必要は無いですよね。
これは、私が「クラウド症候群」といっている現象だ。この病気にかかると、キラーコンテンツの不足や、どんなシステムでも悩みの種となるデータ連係の難しさを棚に上げて、それらが何となく「クラウドになれば解決!」するという幻覚が見えてしまうようだ。


マイノリティ・リポート中毒
  • Google Street Viewの地理情報を、人々の安全安心のために生かすことができないか考えているんです。どうです?すごいでしょう?
  • そこいら中を走っている自動車の情報を解析すれば、色々なことがわかるはずなんです。事故や渋滞はもちろん、外気温、大気汚染、あるいはワイパーの動きから降雨量なんていうのまでわかります。
この手の話しは、SF映画が悪い影響を与えているように思う。だから、「マイノリティ・リポート中毒」と呼ぶ。マイノリティ・リポートでは、主人公の眼前に様々な情報が集約され、タンジブルな対話型GUIでスイスイとデータマイニングが行われる。他にも例えば、FBIのネットワークと軍事衛星が連携して、犯人の居所が瞬時に判明したりと、SF映画では「ありとあらゆるシステムがいとも簡単に連携してしまう」のだ。
もちろん、WebAPIや通信カーナビを上手に使えば、実際にここで書いたようなことが現実化するかもしれない。しかし「マイノリティ・リポート中毒」では、SLA (Service Level Agreement)の観点が完全に欠落している。例えばGoogle Street Viewは、Googleがメンテナンスを始めれば使えなくなってしまうし、そもそも安全安心に関わるようなクリティカルな利用を想定していない。自動車はそもそも、大気や降雨量を測定するに足りるサービスレベルを満足するようには設計されていない。だから、変な目的で使おうとすれば、必ず何らかの「対策」が必要になる。
マイノリティ・リポート中毒の人たちはこの「対策」に興味があるのではなく、自分の眼前に様々な公共システムを並べ立て、それらを自由に組み替える「イマジネーション」の世界の中で、一人酔っ払っているのである。


アニミズム幻想
  • 大地震が発生して通信インフラが断絶しても、携帯電話同士を相互にネットワーク化できれば、日本全国をカバーするような、とても強力な防災ネットワークをつくれるのではないでしょうか?
  • 家庭内ネットワークとか、街がユビキタスで知的な情報ネットワークになれば、システムが人間の欲求や感情をもっと敏感に察してくれるのではないでしょうか。
この手の議論も非常に多い。リモコンとかトイレとか建築物とか照明、さらには視覚障害者の白杖まで、ありとあらゆるものが情報化され、ネットワーク化され、知的に振る舞うという種類の幻想である。エンジニアがつくりだした情報家電やホームネットワークといった未来像がねじ曲げられ、人々に「アニミズム幻想」を与えてしまった事が原因だと思われる。映画で言えば、トランスフォーマーの世界観だ。
そこには、「バッテリーの持続時間が無限大」であり、「マイクロコンピュータや通信ユニットの組み込みコストがゼロ」だという暗黙の前提がある。


技術に対する過度な期待
情報技術に対して、人々は無用な「万能観」を持ってしまう。それは、勉強不足のデザイナーやプランナーが悪いのだろうか?たぶん、それだけではない。今の時代、情報技術それ自体がブラックボックス化されすぎていると思う。ブラックボックス化というのは、抽象化といっているのと同じだ。だから人々は、技術や機械を「抽象化されたファンクション」としてしか捉えられなくなってきている。実際はノイズだらけの環境でわずかなエネルギーをやりくりして、熱暴走と耐衝撃性に悩まされている「肉体としての技術」ではなく、抽象化された記号としてしか、技術を認識できないのではないだろうか。