リカーシブ(recursive)というのは、「再帰的(さいきてき)」を意味するコンピュータ用語だ。といっても、特別難しい話しではない。「入れ子」になっている構造全般を示すと思ってもらえればよい。だから、箱の中に箱が入っている箱根細工も、ソ連のマトリョーシカ人形も、ぜーんぶリカーシブだ。
リカーシブ人間
人間というのは、実にリカーシブな生き物だと思う。何かを成し遂げて、自分が「一皮むけた」と感じたとしよう。レポートを無事に提出したとか、就職したとか、結婚したとか、子供ができたとか、どんなことでもいい。
A.一皮むけた新しい私から見れば、「以前の私」は恥ずかしいくらい幼稚に見える。B.けれど今の私は、今後さらに「一皮むけた私」からみれば、同じくらい恥ずかしい存在にみえるハズだ。AとBより、何皮むけようとしても、「私というのは常に恥ずかしい存在」であることがいえる。
言われてみれば人間たるもの、生きていること自体が色々と恥ずかしいわけで。誰だってドラマの役者のように格好良くて美しいわけじゃないし、映画の主人公や本で読む偉人の思考のように頭も切れない。でも、恥を忍んで何かをすれば、それ自体が「成長」につながる、というものだ。一番怖いのは、「恥じることをやめてしまった人」だと思う。その人にはもう、むける皮が無い。どんなプログラムも、リカーシブな処理が終わると、あとはエクジット(思考停止)しか残されていないのだ。