玄関のインテリアに、手づくりの関守石(せきもりいし, barrier-keeper stone) を置いてみた。井の頭公園で拾ってきたただの石っころなのに、縄を巻くだけでどこか引き締まった印象がある。関守石は千利休の時代に生まれたといわれていて、日本庭園において「この 先、立ち入り禁止」という非常に象徴的な意味を持つ。自然物である石に、あえて麻縄を結びつけることで、主人の「心」を表現しているものらしい。
榮久庵 憲司氏は、日本的な価値観のひとつとして「象徴観」を挙げ、その著書「GKの世界~インダストリアルデザインの発想と展開(1983)」の中で次のように説明している。
鶴亀、松竹梅、七五三、末広がり、三つ巴、重ね、亀甲、矢羽根など、日本の造形のすみずみにさまざまな形象に、宇宙観、世界観は表象されている。造形、色彩、素材、いずれをとっても日本人の象徴観をぬきにしては、気分にそぐわないものになってしまう。
象徴(symbolization)という行為が、いかに日本文化の中に根付いているかを的確に言い当てていると思う。無機質なパソコンの電源ランプに細工をして、スリープ時に呼吸をしているような表現を最初にやってのけたのはAppleだったけれども、あれは日本のお家芸だから、本当はユーザの経験価値を重んじるThinkpadあたりに真っ先にやってもらいたかった(Thinkpadは当時、日本のIBM大和事業所で設計されていた)。これもちょっと残念な話だが、関守石は最近、理解してくれる人がおらず、京都の庭園あたりでは代わりに「立ち入り禁止」の看板が幅を利かせているらしい。
先日あるプロダクトに、会社のCIマークを傾けて印字する企画の話をしているとき、「傾けるならやっぱり、右ではなく左回りの向きでしょう」といった担当者が居た。「どうして?」とたずねると、「だってそうすれば、CIマークが右肩上がりになりますから」とのこと。ステキな象徴観を披露している輩がいたら、ぜひとも「それイキだね!」とでも突っ込んで、盛り上げて行きたいところだ。