2008年4月26日土曜日

詩的な紙袋のデザイン

 デザイナーの卵が「発想」する瞬間を目撃したいと思い、先生のご好意で多摩美の授業を聴講させていただいている。植村 朋弘先生が毎回準備されている課題には、愛着や経験といったヒトの深い内省からデザインを掘り起こす「きっかけ」が沢山含まれていると思う。
 「何の変哲も無い紙袋に付加価値を付ける」という会で、それは起こった。紙袋なんていうのは、マーケティング用語でいうところのコモディティの代表格みたいなもので、市場では差別化できる要素がほとんどなく、ほとんどの製品は単なる価格競争に陥っている。そんな商材に付加価値を付けるために、デザインの力は絶大な威力を発揮するかもしれない。
 僕は社内便にヒントを得て、「自分の手元に来た過程がわかる封筒」というのを作ってみた。消印から日付と場所が推察でき、切手の種類や貼る位置によってその時々に一期一会の「経緯」が形作られる、というストーリーだ。これはこれで、まぁまぁ面白い発想だったかなと思う。

デザインポエトリー
 でも、ある学生のプレゼンテーションからは全く異質なものを感じた。彼女は「春・夏・秋・冬の紙袋です!」といって、画鋲か何かで穴だらけになった袋を4つ、持ってきた。ボコボコの外観は、あまり綺麗な仕上がりには見えなかった。
 彼女が「内側から、覗いてみてください」というので、分けもわからず言われたとおりに紙袋を顔につけ、穴だらけになった紙袋の中を覗きこんでみた。僕がたまたま手に取ったのは「冬の紙袋」で、そこには星空が瞬いていた。オリオン座も見えた。
 そう、彼女は画鋲で穴を開けて、紙袋に簡易プラネタリウムをつくっていたのだ。僕の「社内便封筒」は、発想の豊かさで完全に負けていると思った。聞けば課題が出た夜、ぼーっと夜空を眺めていて、思いついたのだという。

デザインの「可能性」に気づく
 物の売れないこの時代、製品開発や商品企画は修羅場になってくると思う。ましてやコモディティ化した製品の付加価値を考えている際は、一時の余裕もないはずだ。そんな時、デザイン思考による発想は大きな恩恵をもたらしてくれる。先のPADUITのLANケーブルや、3Mがひょんなことから発想したポストイット、Appleの起死回生物語なんかは、その良い例だろう。
 プラネタリウム紙袋の発想過程は、詩をかく行為に似ているのではないだろうか。あるいは制約が多いから、俳句に近いのかもしれない。マーケットのプレッシャーに押され、ウンウンと唸りながら演繹的に解を導き出すというよりは、そういう時こそリラックスして発想を広げ、何かと何かの共通点を帰納的に結びつけているように思う。
 世界初の自動改札機をつくった立石電気(現オムロン)のエンジニアは、切符を高速に処理する機構がなかなか設計できず、気分転換に行った旅行先で「川に流れる木の葉が石に引っかかる」のを見て、ブレークスルー策を思いついたという。
 厳しい状況にあっても、良質なデザインの発想を生み出す環境を意図的につくりだす。これも立派なデザイン行為だと感じた。負けたから偉そうなことは言えないのだけれど。。。