小雨の降る夕方、井の頭公園を歩いていたら「おはやし」の音色が聞こえてきた。みてみると、弁財天さんの境内で、浴衣を着てお面をかぶった女の子たちが太鼓の音色に合わせて踊っている。
不思議に思って中に入ってみると、「甘酒振舞中」の文字。お客さんは僕しかいないようで、おいしい甘酒をいただきながら、仕切っていると思われるおばあちゃんに春祭りの経緯を聞く。
おばあちゃん「いやぁ毎年、春の桜の時期にお祭りやってるんだけどねぇ、お客さん居ないねぇ」
私「だって桜、もう散ってますよね?」
おばあちゃん「うん、昔は満開だったんだよねぇ、この時期でも」
私「それまたずいぶん昔の話しですよね、お祭りの時期、変えられないんですか?」
おばあちゃん「ぼちぼち変える時代かもねぇ、本当は簡単に変えていいものじゃないんだけどね」
シトシト降る春雨と、太鼓の音色と、お面の少女たちをみながら、「僕はいま、キツネにつままれているんじゃないか?」という不安にかられてしまった。この甘酒は泥水で、おばあちゃんキツネは井の頭池の守り神様で、温暖化問題を人間に訴えているんだったりして。。。
デザイナーやアーティストが良く使う現代的な手法に、 「インスタレーション(installation art)」というものがある。その場所にある空間全体を作品として表現するもので、古くは善光寺の「戒壇(かいだん)めぐり」から始まり、最近ではドイツ生まれのダイアログ・イン・ザ・ダークが流行ったこともあった。新宿のICCあたりへ行けば、最新のインスタレーションが平成の見世物小屋よろしく沢山展示されている。
別に誰かが故意に作り出したシチュエーションでなくとも、その空間をとらえるインスタレーション的にとらえる事は簡単に出来るし(そう、甘酒のキツネおばあちゃんのように)、それは「見立て」として古くから日本人の得意とすることでもある。そういえば布袋寅泰さんは雨音や自動車のワイパーのリズムが自分に語りかけているようで、たまらなく楽しいと言っていたし、私はというと、カーステレオを聞きながら見る交通誘導員がダンサーに見えることや、電車で向かいに座った人の黒目が、風景の眺めに合わせて左右に動く様が、たまたまi-podから流れる音楽と同期して吹き出しそうになったことがある。
何だか根暗な楽しみを披露してしまったが、ともかく色々な「仮定法」の引き出しをもって現実世界を眺めることで、新たな発見、新たな喜びが生まれるということを書きたかったのです。ニュートンのリンゴ説なんて、なかなか粋な「見立て」じゃありませんか。