リカーシブ(recursive)というのは、「再帰的(さいきてき)」を意味するコンピュータ用語だ。といっても、特別難しい話しではない。「入れ子」になっている構造全般を示すと思ってもらえればよい。だから、箱の中に箱が入っている箱根細工も、ソ連のマトリョーシカ人形も、ぜーんぶリカーシブだ。
リカーシブ人間
人間というのは、実にリカーシブな生き物だと思う。何かを成し遂げて、自分が「一皮むけた」と感じたとしよう。レポートを無事に提出したとか、就職したとか、結婚したとか、子供ができたとか、どんなことでもいい。
A.一皮むけた新しい私から見れば、「以前の私」は恥ずかしいくらい幼稚に見える。B.けれど今の私は、今後さらに「一皮むけた私」からみれば、同じくらい恥ずかしい存在にみえるハズだ。AとBより、何皮むけようとしても、「私というのは常に恥ずかしい存在」であることがいえる。
言われてみれば人間たるもの、生きていること自体が色々と恥ずかしいわけで。誰だってドラマの役者のように格好良くて美しいわけじゃないし、映画の主人公や本で読む偉人の思考のように頭も切れない。でも、恥を忍んで何かをすれば、それ自体が「成長」につながる、というものだ。一番怖いのは、「恥じることをやめてしまった人」だと思う。その人にはもう、むける皮が無い。どんなプログラムも、リカーシブな処理が終わると、あとはエクジット(思考停止)しか残されていないのだ。
2010年6月30日水曜日
人間アルゴリズム辞典。「リカーシブ」
2010年6月28日月曜日
技術に対する過剰な期待とユートピア思想
「情報技術とコミュニケーションデザインが重なる領域で、何か新しい発想」をしている人は多いと思う。私も企画会議とか、ワークショップとか、飲み会とかで、良くそういう場面に遭遇するのだけれど、自分で発言しながらも、ついつい赤面していまうシーンがある。なんとなく特徴が見えてきたので、ここでまとめてみたい。
クラウド症候群
- コンテンツを、ユーザ自身がどんどん整備できるようにすれば盛り上がりませんか?フリーソフトとかWeb2.0の考え方で。
- このシステムをクラウドで管理すれば、データの連係なんて全く苦労する必要は無いですよね。
マイノリティ・リポート中毒
- Google Street Viewの地理情報を、人々の安全安心のために生かすことができないか考えているんです。どうです?すごいでしょう?
- そこいら中を走っている自動車の情報を解析すれば、色々なことがわかるはずなんです。事故や渋滞はもちろん、外気温、大気汚染、あるいはワイパーの動きから降雨量なんていうのまでわかります。
もちろん、WebAPIや通信カーナビを上手に使えば、実際にここで書いたようなことが現実化するかもしれない。しかし「マイノリティ・リポート中毒」では、SLA (Service Level Agreement)の観点が完全に欠落している。例えばGoogle Street Viewは、Googleがメンテナンスを始めれば使えなくなってしまうし、そもそも安全安心に関わるようなクリティカルな利用を想定していない。自動車はそもそも、大気や降雨量を測定するに足りるサービスレベルを満足するようには設計されていない。だから、変な目的で使おうとすれば、必ず何らかの「対策」が必要になる。
マイノリティ・リポート中毒の人たちはこの「対策」に興味があるのではなく、自分の眼前に様々な公共システムを並べ立て、それらを自由に組み替える「イマジネーション」の世界の中で、一人酔っ払っているのである。
アニミズム幻想
- 大地震が発生して通信インフラが断絶しても、携帯電話同士を相互にネットワーク化できれば、日本全国をカバーするような、とても強力な防災ネットワークをつくれるのではないでしょうか?
- 家庭内ネットワークとか、街がユビキタスで知的な情報ネットワークになれば、システムが人間の欲求や感情をもっと敏感に察してくれるのではないでしょうか。
そこには、「バッテリーの持続時間が無限大」であり、「マイクロコンピュータや通信ユニットの組み込みコストがゼロ」だという暗黙の前提がある。
技術に対する過度な期待
情報技術に対して、人々は無用な「万能観」を持ってしまう。それは、勉強不足のデザイナーやプランナーが悪いのだろうか?たぶん、それだけではない。今の時代、情報技術それ自体がブラックボックス化されすぎていると思う。ブラックボックス化というのは、抽象化といっているのと同じだ。だから人々は、技術や機械を「抽象化されたファンクション」としてしか捉えられなくなってきている。実際はノイズだらけの環境でわずかなエネルギーをやりくりして、熱暴走と耐衝撃性に悩まされている「肉体としての技術」ではなく、抽象化された記号としてしか、技術を認識できないのではないだろうか。
2010年6月26日土曜日
サッカーのばか。
このブログを借りて懺悔するならば、私はオリンピックも野球もサッカーも、全く興味が無いのです。スポーツという代理戦争が気にくわないとか、そういう話しではなくて。そもそも、誰かが「勝つ」「負ける」という事全般に対して、1ミリの関心も持つことができない。
マラソンをじーっと見ているのとか、F1をぼーっと見ているのは好きなのだけれども、最終的に誰が勝ったかなんてどうでも良い。ああ、でも、クラッシュシーンは好きかもしれない。小さい頃からモノが壊れる瞬間に、最後にいかに利用者を保護するかに興味があって、将来は自動車か飛行機の安全性設計部門で働きたいと思っていた事がある。ラリーとかF1の激しいクラッシュにも関わらず、ドライバーが脱出するシーンには感動する。で、満足して寝てしまう。私の好みは攻撃にあるのではなく、防御にあるのだと思う。誰か、防御の視点からみたサッカーの楽しみ方を教えてくれないだろうか?
そんなわけで今、日本のサッカーチームがどこと戦っているかとか、監督は誰だとか、私はアホかと言われるほど何も知らない。カズ選手は元気でやっているのだろうか?今朝がた、韓国人の友人が「おめでとう!」と声を掛けてくれたのだけど、そんな私の態度に腹を立てて、しまいには「非国民!」と言われてしまった。私のように非国民だと思われないために、「サッカーが好きでもないのだけれど、それなりに興味があるような風に振る舞っている沢山の人たち」が居る。街中や学校の中、特にテレビの中などにおおぜい居る。私はそんな「振る舞っている人たち」というのを、瞬時に見分けられるようになった。そしてそんな人たちをみる度に、同情してしまうのである。
2010年6月25日金曜日
わさびの臭いで火災を知らせる警報機
これは、面白い。
感覚を代行すること(sensory-substitution)というのは、デザイン思考の原点にあるような気がする。これは、強烈なわさびの臭いを発散させることで、火災を知らせるという聴覚障害者向けの警報設備。
住宅用の火災警報機が設置義務化されて以来、普及率はうなぎ上りなのだけれど、残念ながら聴覚障害者世帯での設置率はわずか1%なのだとか。それもそのはず、音でしか警報音を出さない火災警報機は、聴覚障害者には役に立たない場合が多いからだ。(詳しくはこちら)
(参考)
総務省消防庁
住宅用火災警報器の音以外の警報に 係る調査・研究報告書(平成18年度)
2010年6月24日木曜日
形でわかる、信号機の新デザイン
信号機の形って、自動車用は丸で歩行者用は四角だけど、あれはそもそも誰が決めたのだろう?
共感覚と関係あるのかな?と思って調べてみたら、こんな情報にたどりついた。心理学者・医者・デザイナーの考えた色と形の関係性。なーんだ、みんなバラバラじゃん。でも、青が丸いのはなぜ共通しているのだろう?
個人的にはカンディンスキーのモデルに賛成。でもこれは、モダンデザインを勉強して脳がやられているせいかもしれない。みなさんは、いかがでしょうか。
フェイバー・ビレン
エドウィン・バビット
カンディンスキー
2010年6月23日水曜日
James Meyerのミニマリズムが本日発売。
たぶん、PHAIDONの大型本「ミニマリズム(日本語版)」と同じ内容ではないかと思うけれど、こちらはペーパーブックでずいぶんと安い。本棚の片隅に、ミニマリズムを。
- 批評家で美術史家のジェイムズ・マイヤーは、ミニマリズムおよび1960年代のアメリカのアートに関する第一級の専門家である。マイヤーはその明解な研究 において、20世紀後半の美術様式の中で最も現代的なこのミニマリズムの発達を、歴史的および文化的文脈から幅広く論じている。作品紹介のセクションで は、ミニマルアートに関する最も重要な作品と展覧会、さらには、ミニマリズムと短期的に関わりを持った同時代のアーティストたちを取り上げている。本書 は、ミニマリズムに関して現在手にすることのできる、最も包括的で信頼性の高い資料集である。
2010年6月14日月曜日
命を守るガジェット展
大阪の震災対策技術展が、なかなか面白そう。
- 電源不要の地震時自動オープン扉
- 女性の悲鳴にだけ反応するレスキューシステム
( via gizmodo )
2010年6月4日金曜日
明日も開催!東京大学バリア・バスターズ〜工学・心理学・社会学の研究者が社会のバリアに挑む
駒場にある東京大学先端科学技術研究センターの一般公開、何人かのデザイナーと一緒に、午前のセッションを拝見してきました。
生涯の当事者を交えて、色々な社会問題や工学的課題について議論している様子が新鮮。うまく説明できないけど、とても貴重な経験でした。
もちろん、専門家じゃなくても楽しめます。土曜日の予定がまだの人は、ぜひぜひ。
伊福部・田中研究室
〜バリアフリー機器を触ってみよう〜「見る」「聴く」「話す」そして「動く」のを助ける福祉工学の世界〜
当事者の視点によるバリアフリー研究 –「見る」、「聞く」、「話す」を支援する技術–
中邑研究室
支援情報システム分野
巖淵研究室
Living Library「生きている図書館」 Understanding Diversity
※当日、ライブラリー受付(3号館1階)にて登録・予約が必要。「蔵書」等の詳細については下記をご覧ください。
「18歳のビッグバン〜高次脳機能障害から学び得 た世界〜」
「うさぎ社会に生きるかめ〜難病を発症して〜」
「人目に疲れるとそっ と補聴器のスイッチを切る」
「聞こえるけど、聞こえないということ」
「薬漬けのたくあん〜薬物依存からの回 復〜」
「リハビリの夜」
「見えなくて聴こえなくても運命のサイコロは振れる〜目と 耳が不自由な盲ろう者と健常者はどこが違うのか?〜」
「晴働雨読〜リウマチとともに働く〜」
「今日も黄色い服を着て」
「時間を止める/社会を変える」
「右と左がわからない工学者」
「いないようでいる人たち〜クラスに一人はいる 同性愛者〜」
「立ち上げメンバーが語る 坊主バーへようこそ!」
福島研究室
バリアフリーシンポジウム「学問の当事者性」
ケータイを使って注射を打てる「ゆちゅレコ」
社会的意義があるような「インタラクションデザイン」って、本当に難しいと思う。管轄官庁の規制とか、法律とか、社会風習とか、色々なものと密接に関係した「インタラクション」を考えなくてはならないから。
プラニングするのは簡単かもしれませんが、「実施(インプリメンテーション)」するのが大変。本当に大変。
イマドキのWebサービスにとっては、とりとめもないくらい小さなものだし、デザインの観点からみても、何の変哲もないGUIかもしれないけれども。
これは、ある意味での「グッドデザイン」だと思います。
2010年5月 |
セコムトラストシステムズ株式会社 |
ノボ ノルディスク ファーマ株式会社 |
血友病患者さんの治療成績とQOL(生活の質)の向上をサポート 輸注記録サービス「ゆちゅレコ」を開発 セコムの「安否確認サービス」の基盤を活用した、血友病領域では初のサービス |
セコム株式会社(本社:東京都渋谷区、社長:前田修司)の情報系グループ会社であるセコムトラストシステムズ株式会社(本社:東京都渋谷区、社長:伊藤 博)は、糖尿病ケアの世界的リーダーであり、血友病、成長ホルモン療法などで主導的な役割を果たすノボ ノルディスク社(本社:デンマーク・バウスヴィア、社長:ラース レビアン ソレンセン)の日本法人であるノボ ノルディスクファーマ株式会社(本社:東京都千代田区、社長:クラウス アライセン)と業務提携し、血友病領域では初となる、携帯電話を利用した輸注記録サービス「ゆちゅレコ」を開発、6月10日からサービスを開始します。
血友病とは、遺伝子の異常により、血液が固まるのに時間を要す、あるいはしっかり固まらないといった先天性血液凝固障害の一つで、国内には約5000人の 患者さんがおられます。患者さんには「輸注」という、薬や血液製剤などを、患者さん自身が定期的に血管内に注射する必要があります。そして、治療を行うに あたって、医師は治療記録に基づき指導する義務があります。
これまで、輸注の記録は、日々、記録用紙に書き込まれていましたが、記録忘れや、手間による記録漏れなどが見受けられ、「手軽に記録でき、記録を振り返る ことのできるものが欲しい」といった切実な声も寄せられていました。
セコムトラストシステムズは、2004年4月に、広域・大規模災害が発生した際にも事業継続、迅速な初動を行うための携帯電話を使い、迅速に自分の安否を 会社などに報告する「セ コム安否確認サービス」の提供を開始。2010年3月末現在、約2100社、230万人にご利用いただいています。
こうしたセコムトラストシステムズが培った「セコム安否確認サービ ス」のノウハウと、医薬品の製造、販売からサービスまでを提供するノボ ノルディスク ファーマのノウハウを応用したものが、今回の「ゆちゅレコ」です。この「ゆちゅレコ」により、患者さんによる記録の向上と、記録をもとにより的確な医師の 指導や、患者さんの早期治療が可能になることが期待されます。
2010年6月3日木曜日
人間アルゴリズム辞典。「部品化」
「部品化」されちゃった人間というのを見たことがあるだろうか?それは会議の場とか、店員さんと話す時なんかに現れる。
- 「いらっしゃいませエー」(手をお腹の前で組みながら)
- 「それでは御社とwin-winの関係でコラボレーションできるよう、まずは可能性をリストアップした上で、ストラテジーを検討いたします。」
- 「しかし鳩山はどうなってるんだ!みんながオカシイ、オカシイと言っているのに。」
同じ包装紙でくるまれているから、外側から見たときの仕様(インタフェース)が同一であり、他の人と置き換えても同じように機能する。
ソフトウェア工学における部品化(モジュール化)の概念が登場して以来、部品単位でソフトウェアが流通し、それを組み合わせて新しいプロセスをつくることが、ごくごくあたりまえになった。
それが人間社会にもじわりじわりと浸透してきていていう。ある日、自分の近くに居る人間が「部品化」されてしまう恐怖は、どこか村上春樹の短編「ドーナッツ化」を思い出してしまう。ドーナッツには中心が無いが、その「外側」だけは充実しているからだ。
- ソフトウエアをあたかも「部品」のように扱える形でキープしておく。ソフト部品は自社で作成してもいいし,外部から調達してもよい。そして,適切なソフト部品を探し出し,場合によっては新たに部品を作り,それらの部品を“組み立てる”ことでアプリケーションを作成する――。(via nikkei)
- 人間をあたかも「部品」のように扱える形でキープしておく。人間部品は自社で作成してもいいし,外部から調達してもよい。そして,適切な人間部品を探し出し,場合によっては新たに部品を作り,それらの部品を“組み立てる”ことでアプリケーションを作成する――。
化粧箱はいくら豪華でも別に良い。問題は、その中身だと思う。
2010年6月2日水曜日
250人の男女が描いた『感情のカタチ』とは?
左上から順番に、怒り、喜び、恐怖、悲しみ、愛。
いろいろな人のスケッチを画像上に総和したものらしい。
エンジニアとデザイナーの違いを、一つの記号で書けといわれたら?
デザイナーって、「∪」つまり和集合(ユニオン)を気にする人が多いように思う。
個別のスケッチや表象は、デザイナーにとっては人生のほんの部分的瞬間にしか過ぎない。
複数の事象が折り重なった結果としての、言葉にできない全体的な想念を大切にするのは、デザイナーの癖だ。
情緒的な表現が得意である反面、合理性、共通性、安定性に欠いている場合がある。
一方エンジニアは、「∩」つまり積集合(インターセクション)を探すのが好きだ。
複数の事象に一貫して存在する「何か」を見いだそうとするのは、技術屋の癖だと思う。
こうすると効率的な思考ができる反面、ゆらぎとか全体的な表象を見逃すこともある。
上の画像をみながら、そんなことを考えた。
(via IDEA*IDEA)