最も恐ろしい問題は、「身体性の喪失」だ。なお、ここでは身体性を、五感、フィードバックあるいは経験によって統合的に知覚できる能力と定義する。ネットワークサービスの出入り口として用意されているPCや携帯電話などのデバイスは、文字と音声・画像情報のやりとりを中心に設計されており、しかもそれらの実現するインタラクションは、実世界における人間同士の相対でのやりとりとはかけ離れている。
生活時間の大半をこうしたデジタルデバイスへ依存することにより、従来の人間的な身体性を喪失する可能性がある。
わかりやすい例として、以下のような事例が挙げられる。
- トレーダーが多額の金融取引を行っているにもかかわらず、コンピュータの取引インタフェースにはその現実感が無い。ジェイコム株の誤発注事件 では、トレーダーが確認のための操作に慣れきっており、ほぼ自動的にキーボードを打ち込んでいた。
- 賞味期限、生産地、生産者など食品のトレーサビリティを確保することで、視覚、嗅覚、味覚による食品の価値推定能力が衰える。
- センシングや情報処理能力の向上によってピンポイントの天気予報が可能となる一方で、風の流れ、気温や湿気などの皮膚感覚や、雲の流れや形などから天気の変遷を察知する能力が衰える。