「ああ、それはキヤノンか、ニコンかの違いですね。白ならキヤノン、黒ならニコン。」
ストロボ伯爵は、事も無げに答えた。私は報道カメラマンが良く持っている、あのでっかいカメラレンズの「色」が、白と黒の二色ある理由について、ストロボ伯爵に尋ねたのだった。ちなみに「ストロボ伯爵」というのは、私の心の中で勝手につけた名前であって、自宅に撮影用のストロボを16台持っている事に由来する。ストロボ伯爵曰く、女性モデルの撮影会で16台のストロボを同期発光させて連射すると、電池はものの数分ほどで寿命を全うしてしまうのだとか。チンチンに熱くなった電池を床にバラバラと捨て、次の電池をこめる姿は、さしずめ荒野の用心棒といったところだろう。
白ならキヤノン、黒ならニコン。
また、私の頭にまたどうでも良い知識が増えた。戦場、オリンピック、万博、サミット。あらゆるところで見かけるあの白と黒のデカいレンズは、全て日本製だったというわけか。レンズといえば昔は軍需産業だったけど、今やその技術力が世界の報道に貢献しているのだ。
このどうでも良い知識が生かせたのは、1ヶ月くらい後、まだ人出もまばらな休日の井の頭公園を歩いていた時のことだ。日当たりの良い丘を下り、木漏れ日が迷路をつくりだす薄暗い柳の庭に差し掛かったところで、美しい「森ガール」と出逢った。
彼女は、ゆるい花柄のワンピースを着ていて、白雪のような素足で佇んでいた。そして雪のように白い手を柳の幹にかけ、まるで何かを言いたげな様子だった。
「気楽に考えましょうよ、この木が芽吹くように。」
透けるように薄いワンピースの上からは、アイルランド風のレースでできた上等なケープをやさしく羽織っている。それは、彼女の左前方10時の方向にある銀レフ板から照らされる光によって雪の結晶のように輝いていた。
「spoonの撮影か?」
spoonは、角川書店から出されている森ガール向けのファッション雑誌である。井の頭公園でテレビや雑誌の撮影会なんて日常茶飯事で、地元民はすっかり慣れっこだ。しかし、日陰に眼が順応してくるにつれ、私の身の周りで起こっている異様な光景がだんだんと浮かび上がってきた。
まず、光に照らされた森ガールは1匹ではない、5匹いる。そして1匹の森ガールにつき、その前方180度にわたって、50名ほどのカメラマンが居るではないか。すなわちこのエリアだけで、ざっと250名のカメラマンが集結していることになる。さらに、あろうことかその全員が、見たところ70代から先の戦中生まれ、シニア男性であった。
「これが、モデル撮影会か!?」
シニアカメラマンは全員、ビカビカと鈍く黒光りする大型一眼レフを持っている。中腰のままガッチリと脇を締め、右手・左手・おでこの3点ホールド体勢を保ち、大きな望遠レンズを携えていた。
白ならキヤノン、黒ならニコン。
白ならキヤノン、黒ならニコン。
白ならキヤノン、黒ならニコン。
私は即座に、数え始めていた。が、数えるまでも無かった。シニアカメラマンの持っている望遠レンズは、全て黒色だったのである。
「ストロボ伯爵!全部ニコンでした!」
と、そのとき、春のそよ風が柳の葉を揺らした。森ガールの細い髪がふわふわと乱れ、彼女は手ぐしでそれをとかそうとした。
「シャッターチャンス!!!」
黑金の砲口、全250門は一斉に森ガールの「うなじ」に向けられ、超音波制御のモーターが一瞬にして森ガールの耳元を捕らえ、開発に半世紀を費やしたといわれる非球面レンズが森ガールの細い髪の毛をCCDに写し、部品点数1000を超え、無数の国際特許に守られた半導体、センサー、アクチュエーターが最先端マイクロプロセッサの指揮の下、森ガールのためにナノ秒単位の交響曲(アルゴリズム)を奏でる。戦中世代カメラマンによる一斉射撃はもはや、戦艦大和というよりは、イージス艦「こんごう」の現代的な精密火器に近い。
「バッッシャシャシャシャシャ!」
かくして遅起きの井の頭住民たちが静かに眠る中、その森ガールは一瞬にして生け撮りにされたのであった。
250人のカメラマンが持っていたフルボディの一眼レフは、50~60万円クラスのものだろう。レンズや機材と併せて100万円だとして、あの森ガールを趣味で写すのにたったいま、2億5千万円くらいの設備が使われていたことになるのだ。
私はそそくさと森を抜け、日本で一番おいしいと思っている120円のクリームパンをトーホーベーカリーで買いながら、平和な国に生まれてきたことを今こそ実感したのである。