どうも私は集中力が無いというか、すぐに思考をショートカットする癖があるらしい。心配した親が区立小学校に面談に行ったときに、「息子さんはユニークですね」といわれて、これに早とちりした母は、それではと私を、もっとユニークな明星学園(以下、ミョージョー)という私立小学校に入れる事を決意した。子供電話相談室の無着成恭(むちゃくせいきょう)が校長先生だった頃のことだ。
ミョージョーの入学面接では、「お母さんの名前」を聞かれた。集中力の無い私は、付け焼き刃で覚えた両親の名前がどうしても答えられなかった。兄も同じ試験を受けたのだけど、兄の場合はというと、面接官の手元にあるリストを指さしながら、
- 「そこに書いてあるでしょ!」
と答えたらしい。兄の方が集中力では遙かに勝っていると思う。
かくして私は無事入学し、「自由」をモットーとしたミョージョーで小・中・高の12年を過ごす事になった。校則は一切無く、4年生くらいまでテストさえ行われない。リーゼントも居ればコムデギャルソンも居た。女子は中学校くらいからお化粧をしているし(今では普通か)、文集に天皇糾弾の作文を書いて掲載拒否か言論の自由かで裁判を起こしかけた奴が居るかと思えば、株で損をして損失補填の交渉を証券会社としている奴も居た。色々な国の帰国子女がいたり、芸能人の子供やアイドルが居たりと、色鮮やかな12年間だったと思う。
その、「全てのルールが雑然とした場の雰囲気で決まる」という教育のおかげで、社会に出てからも強く生き抜くことができている。ちなみにミョージョーのモットーは「強く・正しく・朗らかに」であって、私は就職するときに「強く・正しく・早く」という似たようなモットーを持つ会社を早とちりで選んでしまった。
ミョージョーの真横には、井の頭公園という大きな公園があって、森を抜けると動物園がある。なんと言っても見物はゾウの花子だろう。その動物園の一番右端っこで、花子はいつもユラユラしているのである。
動物園の塀の向こうは、突如として閑静な吉祥寺の住宅街になる。つまりゾウの花子のすぐ後ろ側には、普通の家が建っているのだ。
花子がパオー!と鳴いている後ろではきっと鈴木さんが夕食をとり、その隣ではきっと山田さん親子の喧嘩が始まるのである。
ひろし、宿題は終わったの?
うるせぇババァ!パオー!
ババァとは何よ!パオー!パオー!
ババァだからババァっつってんだよ!パパパオー!
都市の中にありもしない物がポンッと出てくることを、美術の用語でデペイズマンというらしいけれど、吉祥寺はデペイズマンの宝庫である。マルセル・デュシャンとか、街中に突然大きなリンゴが出てくるマグリットの世界観だ。
さて、ゾウの花子と聞いて、戦争中に餓死させられたゾウの事を思い出した読者も居るだろう。戦争で柵が壊れたときに、ゾウが町に逃げて暴れないようにと、毒リンゴを与えて殺そうとするのだが、花子は賢くてそれを食べようとしない。
いや、あれはひどい話しだった。だいたい動物系の昔話はろくでもないものが多い。私が一番嫌いなのはゴンギツネである。早とちりしてゴンを殺してしまう大人のあまりの不条理さに、小学生ながら心が痛んだ。
なーんだ、私に限らず大人はみんな早とちりが過ぎるのではないか。
「ああよかった、その花子は井の頭公園で無事に生きてたのね」
と思った読者はこれまた早とちりである。毒リンゴを食べなかった花子は結局、早とちりの軍属が出した命令によって餓死させられてしまった。あえてその名前を受け継いだのが井の頭公園の平和の象徴、ゾウの花子なのだ。そして開園記念日の5月18日(火)は無料で動物園に入り、花子を拝むことができる。
もう歯がないので、大好物のリンゴジュースを飲んでおなかいっぱいになり、ユラユラとたゆまう花子(61歳)を見ながら、私は今年こそ早とちりを直そうと決意するのである。