2010年5月26日水曜日

人間アルゴリズム辞典。「フィードバック」編


何かについて考えるとき、それが良く設計されたものか、そうでないのかを判断するためには、「最悪の状態」を考えてみれば良い、というのが私の持論だ。例えば自動車のアクセルについて考えよう。自動車が壁に衝突して、運転手はアクセルを踏みっぱなしのまま気絶してしまった。するとタイヤはスモークをあげながら空転し、エンジンが焼き付くまで止まらないだろう。他にも、

  • 中で紙がクシャクシャに詰まっているのに、ガタガタと音をたてながら移動を続けようとするインクジェットプリンターのヘッド
  • 人や物が挟まっているのに、ギシギシと閉まろうとする自動ドア
などなど。こういうものを見ていると、機械がもうちょっと「知的に」振る舞ってくれれば良いのにと思う。
フィードバック(feedback)というのは、いろいろな機械を知的に振る舞わせるための、なかなか良くできた仕掛けだ。簡単にいえば、「ある行いをしたときに、その結果の具合をみながら、次の行いを調整する機構」である。アクセルやプリンターや自動ドアにフィードバック機構が付いていたなら、適切なときに事情を読み取って、ピタッと止まってくれるというわけだ。

さて世の中には、このフィードバックを上手に出来る人と、そうでない人がいる。というと、ギクッとするだろうか?

自己観察の態度
電車に揺られる人々を座りながら観察していると、人間のフィードバック制御の優秀さがよくわかる。
  • 電車が加速して体が持って行かれそうになると、その方向に体重を予め移動する。体を動かしすぎたとなれば、またちょっとだけ元に戻り、ひとたび急ブレーキがかかれば、今度は瞬時に足を出して踏ん張る。
この、誰でも体験しているであろうことを、ちょっとだけ別の言い方に置き換えてみよう。
  • 世論が加速して自分が置いて行かれそうになると、その方向に思考を予め向ける。自分に嘘をつきすぎたとなれば、またちょっとだけ元に戻り、ひとたび世の中が180度かわれば、今度は足を踏ん張って抵抗しようとする。
  • 自分より他人の方が優れているということになれば、それを追い越そうと努力する。逆に、自分がずいぶん追い越してしまったと思うとすっかり安心して、またちょっと一休み。ひとたび自分が救いようもないほどビリッ欠だということになれば、彼らとは全く別の分野で勝負しようと思うようになる。
「人間は考える葦である」といった人がいるけれど、どうやらその葦は地面に立っていて、風に吹かれながらもゆらゆらと弥次郎兵衛みたいにバランスをとっているようだ。この現象は転じて、学校やビジネス、就職活動や会議、心理面や政治面など、人生の様々な場面でみられる。

競争心を燃やすのも良い生き方だし、周囲の状況に流されてみるのも楽しい生き方と思う。ただ一つ、知的な人間にしか出来ないのは、「自己観察によるフィードバック」ではないだろうか。何かをやったときに自分がどう思ったか、他人がどう思ったかを、自分自身の心で汲み取って、次の一手に生かすこと。これこそが、我々がオバカな自動車やプリンターとは違う、人間らしい所作なのだと思う。

「あなたらしく」って何?
個性尊重の時代、「あなたらしく生きる」こととは何だろうか。「やりたいことをする」ことだろうか?じゃぁ、デザイナーの、エンジニアの、「本当にやりたいこと」とは何だろうか。XXXシステムをつくることだろうか?XXXのデザインをすることだろうか?それが完成したらどうするのか?突き詰めると疑問だらけである。私も疑問だらけだから、こんなブログを書いている。
まず、「あなたらしさ」というのは、何か明確な目標に向かって猪突猛進することではないと思う。たいていそういう状況の背後では、誰かがあなたから「あなたらしさ」を奪って、みんなに共通の偽善の「あなたらしさ」を植え付けようとしているように思う。もちろん、たまにはそんなインスタントな「あなたらしさ」に乗っかってみるのも気楽で良いのだけれど。

何にしろ大切なのは、常日頃にある「自己観察の態度」なのだと思う。フィードバックだと思う。
「あなたらしさ」というのは、ユラユラと揺れてあっちこっちに足を動かす、その人間くさい「固有振動」みたいなものなのではないだろうか。