バリ人の友達が家に遊びに来た。
バリ島というのはインドネシアの一部だけれど、独特の文化がある。今でも近所の人が集まって住宅を作ったり、舟をつくったりしているらしい。
我が家はツガの柱が露出されているのだけれど、それを見たバリ人が「コノ木、カタイ木、船ノ木」といったのには驚いた。日本ではよっぽどのDIYマニア出ない限り、見ただけで木の種類を判別できる人なんてそうそう居ないだろうに。
もう1人、バングラディッシュ人の友達が居る。その人は日本人と結婚して日本で働いているのだけれど、かつてはサウジアラビアやらイギリスやら、色々なところへ出稼ぎに出ていたらしい。そして、事あるごとに「日本は良い国、最高!」といっている。「なんで最高なの?」と聞くと、
- 「だって、サウジアラビアで働いてたら、奴隷みたいになっちゃうでしょ。それにいつマシンガンで撃たれるかわからない。イギリスでは沢山差別された。バングラディッシュに居たときは戦争をしていたから、仕事中にパキスタン兵にみつかると葦藪の中に身を隠さないといけない。葦があるところにはヒルがいっぱい居るでしょ、ヒルにかまれても声を出せないから、あれ、すっごく痛いんだよね。」
下から上までマズロー
アブラハム・マズローの欲求に対する5段階の仮説はあまりにも有名だし、このブログの読者であれば知っているものと思う。でも、それは知識の上、脳の中での「知っている」であって、自らの身体感覚をもって体感したものではない。
ホームレスであっても新聞を読んでいるような、この文化的に豊かな日本において、マズローの最初の段階、つまり生理的欲求が満足できない経験というのは、なかなか出来ない。だったらせめて、仲の良い人の体験談を聞くことからはじめてはどうだろうか。戦争体験の情報が文化的に流通することが少なくなりつつある今、何か大切な身体感覚、デザインの素地となるものが、急速に衰退しつつあるように思う。