2010年5月31日月曜日

エンジニアの思い上がり、デザイナーの下心。

とある年配の経営者と、デザイナーやエンジニアなどのクリエイターが考えるべき社会的責任、Creators' Social Responsibilityという観念について話しをしたときのこと。

  • 年配「それで、石垣さんはデザイナーなんですか?エンジニアなんですか?」
  • 石垣「エンジニアなんですが、デザイナーとの中間地点を目指そうとしています。」
  • 年配「じゃぁちょうどいいんだけど、どうしてデザイナーとかエンジニアに限って、すぐに社会貢献とか、ユニバーサルデザインだとか、BOPとかっていう綺麗事を言い出すんですかね?」
  • 石垣「いやまぁ、職業にかかわらず、noblesse obligeということじゃないでしょうか。」
  • 年配「こりゃまた大きくでたねぇ!てことはデザイナーとかエンジニアっていうのはそんなに自尊心が高いのでしょうな?」
これには言葉もない。noblesse obligeというのは、確かに格差社会における自尊心を満足するための貴族的立場の人々のための行動様式である。
  • 石垣「自尊心に富むのはごく一部の人だとは思いますが、なんというかまぁ、製品を作り出す職業としての誇りといいますか」
  • 年配「それって虚しい誇りなんじゃないんですかね。本当に社会貢献というのなら、あなたの居る企業の活動そのものが社会貢献とイコールになるようにしなくてはいけないでしょう。あくまでエンジニアとかデザイナーという小さな枠組みでピーピー言ってるっていうのはさぁ。」
  • 石垣「自分たちの思い上がりっていうことですか?」
  • 年配「そうね、なんだか、下心っていうか、外から見るとわざとらしい感じがするんですね。そんなに言うなら政治家になって世の中を変えるか、でなきゃユニセフにあなたの給料を全額寄付した方が効率いいんじゃない?」
このあたりの議論は、世代ギャップによるものも大きいように思った。大企業を中心とした産業の継続的成長を前提とする昭和的な価値観、とでもいうのだろうか。いずれにせよ、本音で話し合えるのは大切だと思う。と、まぁ、結局のところ「エンジニアの思い上がり」でも「デザイナーのわざとらしさ」でも、何でも良いのである。自分たちにできることを続けて、フィードバックを得ながら進めることが大切なのだろうなぁ。

2010年5月28日金曜日

21世紀型の社会的インタラクションデザイン

これからの道路交通整備は、道路をつくることだけではなく、情報を共有することにあると思うのだけれど。しっかしITS(高度道路交通システム)って全然進みませんね。今やITSって言ったら、100人中99人がiTunesStoreだと思うでしょう。
そんなひねくれ者のITSファンの一人として、このニュースはなかなか面白かったです。考えてみれば、タクシーというのも重要な社会インフラだ。それを利活用して、効果的に情報をフィードバックしようという仕組み。例えば、日本放送と東京のタクシー協会では災害時に広域な被害状況を収集する協定を結んでいる
社会インフラを情報ネットワークによってリ・デザインすることも、インタラクションデザインの重要なミッションなのだと思う。

  •  日産自動車は28日、車で出かけた場合にもっとも早く着けるルートと最適な出発時刻を検索できるインターネットサイトを開設する。渋滞のために出発時刻によって所要時間が変わるケースは少なくない。サイトは道路が混雑する時間なども考慮しており、いつ出れば一番スムーズに着けるかわかる仕組みだ。
  •  サイトは「クルマの時刻表」と名付け、同社が横浜市と開設しているエコ運転のサイト(e1gp.jp)内に新設する。出発地と目的地、出発(到着)時刻を入力すれば、指定した時間とその前後2時間ごとの所要時間とルートが表示される。
  •  例えば、アウトレット帰りの客などで混雑する静岡県御殿場市から横浜市神奈川区までのルート(日曜夕方)は、午後5時出発なら所要時間は2時間14分▽同6時は2時間7分▽同7時は1時間51分-と異なる。統計情報にタクシーが走ったルートや所要時間などの情報を組み合わせることで全国の確度の高いシミュレーションが可能になった。誤差は10分前後という。
  •  同社は、旅行や出張の前にこのサイトで検索してもらうことで、「混雑を分散し、CO2削減につなげたい」としている。

(via msn

2010年5月26日水曜日

人間アルゴリズム辞典。「フィードバック」編


何かについて考えるとき、それが良く設計されたものか、そうでないのかを判断するためには、「最悪の状態」を考えてみれば良い、というのが私の持論だ。例えば自動車のアクセルについて考えよう。自動車が壁に衝突して、運転手はアクセルを踏みっぱなしのまま気絶してしまった。するとタイヤはスモークをあげながら空転し、エンジンが焼き付くまで止まらないだろう。他にも、

  • 中で紙がクシャクシャに詰まっているのに、ガタガタと音をたてながら移動を続けようとするインクジェットプリンターのヘッド
  • 人や物が挟まっているのに、ギシギシと閉まろうとする自動ドア
などなど。こういうものを見ていると、機械がもうちょっと「知的に」振る舞ってくれれば良いのにと思う。
フィードバック(feedback)というのは、いろいろな機械を知的に振る舞わせるための、なかなか良くできた仕掛けだ。簡単にいえば、「ある行いをしたときに、その結果の具合をみながら、次の行いを調整する機構」である。アクセルやプリンターや自動ドアにフィードバック機構が付いていたなら、適切なときに事情を読み取って、ピタッと止まってくれるというわけだ。

さて世の中には、このフィードバックを上手に出来る人と、そうでない人がいる。というと、ギクッとするだろうか?

自己観察の態度
電車に揺られる人々を座りながら観察していると、人間のフィードバック制御の優秀さがよくわかる。
  • 電車が加速して体が持って行かれそうになると、その方向に体重を予め移動する。体を動かしすぎたとなれば、またちょっとだけ元に戻り、ひとたび急ブレーキがかかれば、今度は瞬時に足を出して踏ん張る。
この、誰でも体験しているであろうことを、ちょっとだけ別の言い方に置き換えてみよう。
  • 世論が加速して自分が置いて行かれそうになると、その方向に思考を予め向ける。自分に嘘をつきすぎたとなれば、またちょっとだけ元に戻り、ひとたび世の中が180度かわれば、今度は足を踏ん張って抵抗しようとする。
  • 自分より他人の方が優れているということになれば、それを追い越そうと努力する。逆に、自分がずいぶん追い越してしまったと思うとすっかり安心して、またちょっと一休み。ひとたび自分が救いようもないほどビリッ欠だということになれば、彼らとは全く別の分野で勝負しようと思うようになる。
「人間は考える葦である」といった人がいるけれど、どうやらその葦は地面に立っていて、風に吹かれながらもゆらゆらと弥次郎兵衛みたいにバランスをとっているようだ。この現象は転じて、学校やビジネス、就職活動や会議、心理面や政治面など、人生の様々な場面でみられる。

競争心を燃やすのも良い生き方だし、周囲の状況に流されてみるのも楽しい生き方と思う。ただ一つ、知的な人間にしか出来ないのは、「自己観察によるフィードバック」ではないだろうか。何かをやったときに自分がどう思ったか、他人がどう思ったかを、自分自身の心で汲み取って、次の一手に生かすこと。これこそが、我々がオバカな自動車やプリンターとは違う、人間らしい所作なのだと思う。

「あなたらしく」って何?
個性尊重の時代、「あなたらしく生きる」こととは何だろうか。「やりたいことをする」ことだろうか?じゃぁ、デザイナーの、エンジニアの、「本当にやりたいこと」とは何だろうか。XXXシステムをつくることだろうか?XXXのデザインをすることだろうか?それが完成したらどうするのか?突き詰めると疑問だらけである。私も疑問だらけだから、こんなブログを書いている。
まず、「あなたらしさ」というのは、何か明確な目標に向かって猪突猛進することではないと思う。たいていそういう状況の背後では、誰かがあなたから「あなたらしさ」を奪って、みんなに共通の偽善の「あなたらしさ」を植え付けようとしているように思う。もちろん、たまにはそんなインスタントな「あなたらしさ」に乗っかってみるのも気楽で良いのだけれど。

何にしろ大切なのは、常日頃にある「自己観察の態度」なのだと思う。フィードバックだと思う。
「あなたらしさ」というのは、ユラユラと揺れてあっちこっちに足を動かす、その人間くさい「固有振動」みたいなものなのではないだろうか。

2010年5月25日火曜日

インハウス→アウト!の会

NPOモンキーマジックの小林代表が着ているNORTH FACEコラボのかっこいい
チャリティーTシャツは、こちらから買えます。




インハウスデザイナーが月に一度集まって、デザインの社会貢献について手を動かしながら考える会(インハウス→アウト!の会)、というのをやっています。まじめに考えながらも、ちゃんと手を動かしているのがデザイナーらしくて楽しいです。今回はずいぶんと大所帯になり、ざっと見渡すと
  • 某家電メーカーのデザインマネージャ
  • 某衛生機器メーカーのUD研究者
  • 某複合機メーカーのデザインマネージャ
  • 某かばんメーカーのデザイナー
  • 某事務機器メーカーの研究者
  • 某警備会社のエンジニア
  • 某情報デザイン系の教官とその学生さんたち
  • 某グラフィックデザイン事務所や某プロダクトデザイン事務所の方々、などなど。
という感じで、未来の日本のデザインを担う方たちが集まっている感じで心強い!ボランタリーのデザインに興味がある方なら、どなたでも参加できます。場所は、JIDPOの六本木オフィスをお借りしています。お近くの方はぜひお声がけ下さい。


 今回のメインは視覚障害をお持ちのエンジニアの方による、Webバリアフリー特別講演。JIS X 8341-3(WEBアクセシビリティーJIS)、米国リハビリテーション508条の基礎知識から、視覚障害者が普段、どのようにPCやWebに慣れ親しんでいるかを実演して下さいました。自分たちのつくったWebがこんな風に「聞こえて」いるなんて、驚きです。



盲導犬は、すっかり退屈。。。?

2010年5月21日金曜日

「からみた」シリーズ

  • 「これだけひねくれたブログを書いていると、さぞかしひねくれた友人がいらっしゃるのでしょう」
という褒め言葉だか何だかわからない事をいわれた。実際に周囲をみわたせば、なるほどたしかに変わり者が多い気がする。

見なかったシリーズ
知り合いにヘンテコな映画好きが2名居る。一人は、
  • この一年で話題になった映画をどれだけ「見なかったか」を、映画仲間に自慢することを生き甲斐にしている映画好き
であり、もう一人は、
  • ともかく「コップ」という名前の付く映画だけをむさぼり観ている映画好き(例:ロボコップ、キラーコップ、デスコップ、コップランド)
である。どちらも映画通なのだが、かなりのひねくれ度合いだと思う。なるほど、と、私はこんなところにも感心してしまうのだ。

から見たシリーズ
視点を変える、というのはデザイン思考の基本的要件である。おもしろそうな映画を見るのではなく、見なかったことを評価尺度にするとか、特定の記号操作によって映画を網羅するとか、普通では考えつかない。普通ではやらないことがクリエイティブの発端にあるから、ひねくれものはデザイン思考に向いていると思う。

彼らにあやかって今日は、「からみた」というタイトルが付く本だけをリストアップしてみました。


あら、おもしろそう。と思ったアナタは、もうひねくれものの一員です。

2010年5月20日木曜日

出版禁止処分になったデザイン本

良い本の紹介記事はあるけれど、悪い本の紹介記事は無いのはなぜか。
あんまり若いデザイナーやエンジニアが読んではならない本をリストアップ。大学の図書館では「X指定」マークを付けたら良いと思う。私が文部科学大臣になったあかつきには出版禁止にしよう、そうしよう。
他にもあったら教えてください。

注意:どうしても読みたい人は、大人の人と一緒に「批判的に」読みましょう。
(他の人と一緒に本を読むのは大切だと思う、客観性を持てるから)



プロダクトデザイン編
  • ボードリヤールの著作全て
  • アドリアン フォーティ「欲望のオブジェ―デザインと社会 1750‐1980」
  • その他、消費や欲望に関するポストモダン思想全般
<出版禁止とする理由>
デザイナーの仕事なんていうものは所詮、人工的に希少性をつくってみたり、他の商品との差異をつくるだけの低俗なものだ、という疎外感だけが残って、何の解決策も与えてくれないから。若いデザイナーが、「ああ、俺が夢見ていたデザインなんて社会にとって何も意味が無いんだ!グレてやる!」と思い込んでしまうから。

 

 



広告編
  • オリビエーロ トスカーニ「広告は私たちに微笑みかける死体」
  • アンソニー プラトカニス 、エリオット アロンソン「プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く」
  • 天野 祐吉の著作、特に終盤のもの
  • その他、一般大衆を小馬鹿にしたもの
<出版禁止とする理由>
広告というのは、人の深層心理につけ込んで余計な出費を出させるためのテクニックであって、そのテクニックたるや、人間を下等動物としかみない下劣極まりないものであることに気づいてしまい、自分のやっているグラフィックデザインやコミュニケーションデザインの将来に絶望してしまうから。街中にある化粧品、テレビドラマ、映画のポスターや華やかなCMを見るのが大好きだったのに、とたんにそれが苦痛になって家に引きこもってしまうから。そして、広告界で一番の大御所といわれた人はすでに「あがって」しまっていて、のんべんだらりと暇つぶしに好き勝手なことばっかり言っていて羨ましい、それに比べて私は卑屈だ!恨んでやる!となってしまうから。いくらがんばって広告代理店に入って出世しても、普通の呑気おじさんになっちゃうんだ!だったら今のうちに遊んでやる!となって日本のGDPが下がるから。

 

  




建築編
  • クリストファー・アレグザンダー「パタン・ランゲージ―環境設計の手引」
  • コスタス・テルジディス「アルゴリズミック・アーキテクチュア」
  • その他、アルゴリズムもしくは数学的手法による建築意匠設計に関する書籍
<出版禁止とする理由>
そうか、理屈をこねれば良い建築が生まれるんだ!と勘違いして、退屈なパターンの組み合わせみたいな住みにくい箱ばっかり作り始めるから。オブジェクトとか関数とか配列とかデータベースとか、コンピュータの事をなんとなくわかったような風でいながら、実は本質を全く理解していない著者の話しを鵜呑みにして、誤った知識を元に妙ちくりんな図面を引き出すから。反面、センスが良いのに数学がわからない人が読むと、俺は優秀な建築家にはなれないんだ!じゃぁグレてやる!となってしまうから。

  



ファインアート編
  • 大野 左紀子「アーティスト症候群」
  • 村上 隆「芸術起業論」
<出版禁止とする理由>
絵を描くのが好きな私なんて、しょせんは負け組で自分探しが不器用な青い鳥症候群の一員なのね。どうせそんなに上手じゃないし、もうアーティストなんてあきらめて真面目に仕事をしましょう。となって、若い才能がどんどん失われるから。村上氏の本は装丁があまりにすごすぎて手に取ることが出来ないから。

 



情報デザイン系
  • 西垣通「デジタルナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望」
<出版禁止とする理由>
コンピュータが好きな俺はみんなにキモイキモイと言われてきたけど、そうかやっぱり歴史的に見てもコンピュータフェチっていうのは一種の変態だったんだ。もうこんな趣味はやめだ!コンピュータなんて壊してやる!バキバキ!となってただでさえ収益率の悪いPCの修理部門が忙しくなるから。



2010年5月15日土曜日

早とちり

どうも私は集中力が無いというか、すぐに思考をショートカットする癖があるらしい。心配した親が区立小学校に面談に行ったときに、「息子さんはユニークですね」といわれて、これに早とちりした母は、それではと私を、もっとユニークな明星学園(以下、ミョージョー)という私立小学校に入れる事を決意した。子供電話相談室の無着成恭(むちゃくせいきょう)が校長先生だった頃のことだ。

ミョージョーの入学面接では、「お母さんの名前」を聞かれた。集中力の無い私は、付け焼き刃で覚えた両親の名前がどうしても答えられなかった。兄も同じ試験を受けたのだけど、兄の場合はというと、面接官の手元にあるリストを指さしながら、

  • 「そこに書いてあるでしょ!」

と答えたらしい。兄の方が集中力では遙かに勝っていると思う。

かくして私は無事入学し、「自由」をモットーとしたミョージョーで小・中・高の12年を過ごす事になった。校則は一切無く、4年生くらいまでテストさえ行われない。リーゼントも居ればコムデギャルソンも居た。女子は中学校くらいからお化粧をしているし(今では普通か)、文集に天皇糾弾の作文を書いて掲載拒否か言論の自由かで裁判を起こしかけた奴が居るかと思えば、株で損をして損失補填の交渉を証券会社としている奴も居た。色々な国の帰国子女がいたり、芸能人の子供やアイドルが居たりと、色鮮やかな12年間だったと思う。
その、「全てのルールが雑然とした場の雰囲気で決まる」という教育のおかげで、社会に出てからも強く生き抜くことができている。ちなみにミョージョーのモットーは「強く・正しく・朗らかに」であって、私は就職するときに「強く・正しく・早く」という似たようなモットーを持つ会社を早とちりで選んでしまった。

ミョージョーの真横には、井の頭公園という大きな公園があって、森を抜けると動物園がある。なんと言っても見物はゾウの花子だろう。その動物園の一番右端っこで、花子はいつもユラユラしているのである。
動物園の塀の向こうは、突如として閑静な吉祥寺の住宅街になる。つまりゾウの花子のすぐ後ろ側には、普通の家が建っているのだ。
花子がパオー!と鳴いている後ろではきっと鈴木さんが夕食をとり、その隣ではきっと山田さん親子の喧嘩が始まるのである。

ひろし、宿題は終わったの?
うるせぇババァ!パオー!
ババァとは何よ!パオー!パオー!
ババァだからババァっつってんだよ!パパパオー!

都市の中にありもしない物がポンッと出てくることを、美術の用語でデペイズマンというらしいけれど、吉祥寺はデペイズマンの宝庫である。マルセル・デュシャンとか、街中に突然大きなリンゴが出てくるマグリットの世界観だ。
さて、ゾウの花子と聞いて、戦争中に餓死させられたゾウの事を思い出した読者も居るだろう。戦争で柵が壊れたときに、ゾウが町に逃げて暴れないようにと、毒リンゴを与えて殺そうとするのだが、花子は賢くてそれを食べようとしない。
いや、あれはひどい話しだった。だいたい動物系の昔話はろくでもないものが多い。私が一番嫌いなのはゴンギツネである。早とちりしてゴンを殺してしまう大人のあまりの不条理さに、小学生ながら心が痛んだ。
なーんだ、私に限らず大人はみんな早とちりが過ぎるのではないか。

「ああよかった、その花子は井の頭公園で無事に生きてたのね」

と思った読者はこれまた早とちりである。毒リンゴを食べなかった花子は結局、早とちりの軍属が出した命令によって餓死させられてしまった。あえてその名前を受け継いだのが井の頭公園の平和の象徴、ゾウの花子なのだ。そして開園記念日の5月18日(火)は無料で動物園に入り、花子を拝むことができる。
もう歯がないので、大好物のリンゴジュースを飲んでおなかいっぱいになり、ユラユラとたゆまう花子(61歳)を見ながら、私は今年こそ早とちりを直そうと決意するのである。

2010年5月14日金曜日

森ガールが生け捕りに。

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「ああ、それはキヤノンか、ニコンかの違いですね。白ならキヤノン、黒ならニコン。」

ストロボ伯爵は、事も無げに答えた。私は報道カメラマンが良く持っている、あのでっかいカメラレンズの「色」が、白と黒の二色ある理由について、ストロボ伯爵に尋ねたのだった。ちなみに「ストロボ伯爵」というのは、私の心の中で勝手につけた名前であって、自宅に撮影用のストロボを16台持っている事に由来する。ストロボ伯爵曰く、女性モデルの撮影会で16台のストロボを同期発光させて連射すると、電池はものの数分ほどで寿命を全うしてしまうのだとか。チンチンに熱くなった電池を床にバラバラと捨て、次の電池をこめる姿は、さしずめ荒野の用心棒といったところだろう。

白ならキヤノン、黒ならニコン。

また、私の頭にまたどうでも良い知識が増えた。戦場、オリンピック、万博、サミット。あらゆるところで見かけるあの白と黒のデカいレンズは、全て日本製だったというわけか。レンズといえば昔は軍需産業だったけど、今やその技術力が世界の報道に貢献しているのだ。

このどうでも良い知識が生かせたのは、1ヶ月くらい後、まだ人出もまばらな休日の井の頭公園を歩いていた時のことだ。日当たりの良い丘を下り、木漏れ日が迷路をつくりだす薄暗い柳の庭に差し掛かったところで、美しい「森ガール」と出逢った。
彼女は、ゆるい花柄のワンピースを着ていて、白雪のような素足で佇んでいた。そして雪のように白い手を柳の幹にかけ、まるで何かを言いたげな様子だった。

「気楽に考えましょうよ、この木が芽吹くように。」

透けるように薄いワンピースの上からは、アイルランド風のレースでできた上等なケープをやさしく羽織っている。それは、彼女の左前方10時の方向にある銀レフ板から照らされる光によって雪の結晶のように輝いていた。

「spoonの撮影か?」

spoonは、角川書店から出されている森ガール向けのファッション雑誌である。井の頭公園でテレビや雑誌の撮影会なんて日常茶飯事で、地元民はすっかり慣れっこだ。しかし、日陰に眼が順応してくるにつれ、私の身の周りで起こっている異様な光景がだんだんと浮かび上がってきた。
まず、光に照らされた森ガールは1匹ではない、5匹いる。そして1匹の森ガールにつき、その前方180度にわたって、50名ほどのカメラマンが居るではないか。すなわちこのエリアだけで、ざっと250名のカメラマンが集結していることになる。さらに、あろうことかその全員が、見たところ70代から先の戦中生まれ、シニア男性であった。

「これが、モデル撮影会か!?」

シニアカメラマンは全員、ビカビカと鈍く黒光りする大型一眼レフを持っている。中腰のままガッチリと脇を締め、右手・左手・おでこの3点ホールド体勢を保ち、大きな望遠レンズを携えていた。

白ならキヤノン、黒ならニコン。
白ならキヤノン、黒ならニコン。
白ならキヤノン、黒ならニコン。

私は即座に、数え始めていた。が、数えるまでも無かった。シニアカメラマンの持っている望遠レンズは、全て黒色だったのである。

「ストロボ伯爵!全部ニコンでした!」

と、そのとき、春のそよ風が柳の葉を揺らした。森ガールの細い髪がふわふわと乱れ、彼女は手ぐしでそれをとかそうとした。

「シャッターチャンス!!!」

黑金の砲口、全250門は一斉に森ガールの「うなじ」に向けられ、超音波制御のモーターが一瞬にして森ガールの耳元を捕らえ、開発に半世紀を費やしたといわれる非球面レンズが森ガールの細い髪の毛をCCDに写し、部品点数1000を超え、無数の国際特許に守られた半導体、センサー、アクチュエーターが最先端マイクロプロセッサの指揮の下、森ガールのためにナノ秒単位の交響曲(アルゴリズム)を奏でる。戦中世代カメラマンによる一斉射撃はもはや、戦艦大和というよりは、イージス艦「こんごう」の現代的な精密火器に近い。

「バッッシャシャシャシャシャ!」

かくして遅起きの井の頭住民たちが静かに眠る中、その森ガールは一瞬にして生け撮りにされたのであった。
250人のカメラマンが持っていたフルボディの一眼レフは、50~60万円クラスのものだろう。レンズや機材と併せて100万円だとして、あの森ガールを趣味で写すのにたったいま、2億5千万円くらいの設備が使われていたことになるのだ。

私はそそくさと森を抜け、日本で一番おいしいと思っている120円のクリームパンをトーホーベーカリーで買いながら、平和な国に生まれてきたことを今こそ実感したのである。

2010年5月13日木曜日

私のダークな仕事について(つづき)~セキュリティの神話

考えてみてほしい。あなたが毎日受け取っているであろう「スパムメール」は、なぜあんなに沢山あるのだろうか。今日、私のところに来たスパムは、こんな感じだ。

  • 裏DVD【一枚から買える】局留・代金引換・最大75%OFF
  • 楽をして稼ぎたくはないですか?
  • 不倫・浮気したい!人気No.1!
  • 究極の英文法チェックツールを体験してください。
こ れらを額面通りに受け取ってはいけない。つまり、彼らは裏DVDを売ったり、出会い系の募集だったり、ソフトウェアを販売することが目的ではない。あなた の「クレジットカード番号を抜き取ること」か、あるいは「あなたのPCにマルウェアを仕組むこと」を目的としているのである。
そして一番大事なことは、これらの犯罪が、
  • スパムメール業者
  • 詐欺サイトの運営会社
  • クレジットカード情報のブラックマーケット
  • カード情報を金銭に換える専門業者
など、分業された専門業者のネットワークによってもたらされており、それらは十分に「経済的に成り立っている」ということにある。

諸悪の根源はGoogle?Amazon?
ク リック数によって広告費が支払われる、というGoogleのビジネスモデルが成り立つ限り、不法にコンピュータを乗っ取ってクリック数を「水増し」しよう とする輩が常に存在する。本書は、インターネットビジネスの巨人であるGoogleのあり方についても、犯罪者の経済性の観点から鋭く切り込んでいる。
そしてGoogleの次の標的として挙がっているのが、Amazonである。Amazonを利用してどのような「儲けの手口」が可能であるかについて、具体的な理由が述べられている。
あんまりこのブログで大っぴらに書いてもしょうがないので紹介は控えるが、利用者側もこういった知識を持つことで十分に自己防衛することが可能だと思う。(犯罪者側は、とっくに気づいているだろうから)
ちなみに金銭的に「儲かるかどうか」という視点からセキュリティをとらえると、携帯電話のウィルスが少ない理由も説明できる。

セキュリティの神話
本書、「セキュリティの神 話」は、こういった感じで、インターネットビジネスの成功と、その裏に潜むセキュリティの問題をあぶりだしている。「GoogleやAmazonとコン ピュータウィルスの関係」や、そもそも「ウィルス対策会社がウィルスを作っているのではないか?」などなど、一般にタブーとされている話題について経済原 則や実に基本的な技術課題を持ち出してはざっくばらんな話しをしている。彼の「母親でも読める」ことをモットーにまとめているので、専門用語は出てくる が、内容はそんなに難しくない。
最近のコンピュータ関連書籍は、すっかりノウハウ物やHow-to物の本ばっかりになってしまったけれども、久しぶりに問題提起型で読み応えのある内容だ。
「インターネットセキュリティ」について、少なくともネット上にはどこにも書かれていない、深い知識を得ることができると思う。


2010年5月12日水曜日

私のダークな仕事について

私は、あまり詳しく書けないのだけれど、セキュリティに関する仕事をしている。
何か新しい事をデザインしようとするときに、「悪意のある者が居たときに、いったい何をしでかすだろうか?」という事をひたすら考えるのが、セキュリティの仕事である。だから基本的に、セキュリティの仕事は性悪説に基づいている。悪人中心設計である。

事実、私の見てきた素晴らしいイノベーションのほとんどは、悲しい事件とか、事故・災害に基づくものである。悲惨な現実に目を向けて、その対策を考えることが、セキュリティの進展に結びつく。こういった視点が、デザインを見る目にも影響しているのかもしれない。

さて、一般の人は、そういう世の中のダークサイドとか、犯罪が具体的にどう起こっているかについて、ほとんど興味が無い。興味が無いどころか、見たくないとさえ思っている。もちろん、それで良いのである。誰も触れたくないタブーについて、執拗なまでに追い詰めるからこそ、立派な「仕事」として成り立つからだ。仕事とは、本質的に「人がやりたくない事をやること」だと、私は思っている。そこに、大きなビジネスチャンスがある。

インターネット社会のタブー
会社の同僚が、すばらしい本を監訳したので、今日はそれを紹介したくって筆をとりました。
タイトルは「セキュリティの神話」である。はじめに言っておくと、この本はそんなに売れないだろう。理由は簡単。冒頭の通り、「ほとんどの人はセキュリティーに無関心か、そんなダークな領域に触れたくないとさえ思っている」からだ。そして、「アンチウィルスソフトウェアを買うことで、そうした事を考えるのをやめて、安心したいと思っている」のである。

この本は、その「アンチウィルスソフトウェア」をつくっているマカフィーという大企業の前副社長が書いたプロのセキュリティ屋としての実にドライな書物である。全体を貫いている思想を一言でいうならば、「コンピュータ犯罪は経済原則によって成り立っている」ということになる。(つづく)


2010年5月11日火曜日

デザインって何の役に立つの?ズバリ答えましょう。

仕事で会う人なんかに、よく「デザインは何の役に立つんですか?」っていわれる事があります。普通、これをデザイナーに質問したら失礼になるのかもしれませんが、私はデザイナーではないので、皆さん直球で聞いてくるのです。

この手の質問の答えは多面体であり、正解というものはありません。そんな時は、自分の「お気に入り」を見つけるのが良いでしょう。


回答例その1

  • 「何の役に立つか」だって?愚問である!
  • それは感性で感じるものであって、言葉で説明するものではないのだ。
  • デザイナーであるこの私の感性によって良いデザインが生まれるのである。
ここまでダイレクトではなくとも、この手の回答を心の中に持っているデザイナーも多いようです。この回答は決して間違ってはいませんが、多くの誤解を招くでしょう。大多数の人はデザインの意義を「感じる」ことが出来ず、それを言葉で説明することを要求しています。
ちなみにあなたが経営者であって、元気の無いデザイナーを激励したいのであれば、この手の言葉を発すればイチコロだったりします。


回答例その2
  • デザインとは商品の戦略的ブランディングそのものです。
  • 他の商品と区別させるための「差異」をつくりだせます。
  • 実際のコストよりもより「高価」に見せることができます。
この回答は、発注元や経営層にはすんなり理解できるでしょう。そしてあるデザインが、具体的に、定量的に、どのように人の知覚に作用し、差異(価値)を生み出すかを証明することができれば、素晴らしいことだと思います。つまり、デザインする前と、デザインした後とで、どれだけ「見かけの」商品価値を向上させられるかどうかが問われることになります。これが出来ればマーケターを大喜びさせることができます。
ただし、デザイン系の研究者やイノベーション系の人に言うと嫌がられます。デザインは消費拡大のための道具ではなく、もっと崇高な物だと言わなくてはなりません。注意してください。


回答例その3
  • デザインとは商品・サービスを企画する上でのプロセスです。
  • 多くの利害関係者、多くの専門職同士の意志疎通を助け、プロジェクトを成功させます。
  • ビジュアライズ、ブレスト、プロトタイプ、プレゼンなど、企画のフェーズ全てがデザインなのです。
この回答は、比較的新しいものです。特に日本国内においては、まだ多くの人が納得するものではないので、やはり使うときには注意が必要です。つまり、伝統的なプランナーに対するデザイナーの「高慢」「越権行為」「思い上がり」「眉唾モノ」だととらえられかねません。そもそも商品企画という経営の本質的な部分は、業務を熟知したベテランが行うものであって、その部分だけをデザイン部門とか、デザイナーとか、ましてやコンサルティングファームに外注することは、一般的にはあり得ません。そして一番大切なことですが、これまで、いわゆる職業デザイナー(工業デザイナー、グラフィックデザイナー、情報デザイナー)は、基本的に「職人気質」であり、こういった協調作業やマネジメント的な業務には不向きである、と考えられてきました。
しかし今後、こういった学際的なデザインのあり方が、より重要視される時代が来るでしょう。いくつかの成功例も耳にします。先見の目のある経営者や研究者は、こういった意味での「デザイン」を積極的に取り入れているようです。


回答例その4
  • デザインは産業と切っても切れない要素であり、あらゆる製品の有姿を定めています。
  • すなわちデザインとは、日本人としての生活様式(ナショナル・アイデンティティー)を規定するものなのです。
  • ですからデザインを語ることは、日本の未来の文化を語ることです。
  • デザインとは、生活様式そのものなのです。
この回答は、そもそもナショナル・アイデンティティーの薄い日本ではあまり聞きませんが、欧米では割と当たり前に受け止められるのではないでしょうか。あなたの「デザイン」が、こういったグローバルな視点に立ったモノであれば、素晴らしいことだと思います。


その他
  • デザインとは、次世代の子供たちのための宝物です。
  • デザインとは、あらゆるバリアを取り払い、誰もが快適に生活するためのものです。
  • デザインは、みんなの相互理解を助け、元気にするためのものです。
  • デザインとは、すなわちプロデュースの能力です。
「デザインとは何か」について、正解は無いと思う。ただ、あなたのお気に入りの「明確な回答」というのは、持ち合わせていても良いのではないかと思う。これらはどれも相反するものではない。100人100色のデザイン観、というものがあれば、クリエイティブの世界はどんどん賑やかで彩り豊かなものになるのではないだろうか。

2010年5月10日月曜日

マックのデザイナーは誰か?

マッキントッシュのデザイナーの名前を知っていますか?
  • え?ジョナサン・アイブ?違います。
  • え?スティーブ・ジョブス?違います。
正解は、ディーター・ラムスというドイツ人ですね。

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マックのデザインのほとんどは、ディー ター・ラムスのものをコピーしたと言われています。左の写真がディーター・ラムス、右がマックのデザインです。全く同じですね。

デザインをパクる事は邪悪か?
たぶん、もう意匠権が消滅しているので、アップルは無料でこれらのデザインをパクッたわけです。別にこれは合法的なことですが、クリエイティブ一般の考え方からすると「邪道」になってしまいます。
しかし私は、こうした考えこそがデザインをカタッ苦しくて発展性の遅いものにしてしまっていると思います。よいデザインは、どんどんパクることで発展すると思います。もちろん合法的な範囲で、の話しです。

http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/990824/apple2.jpg

ちなみに、こちらはソーテックのe-oneという初代iMacをコピーした商品です。左がe-one、右がiMacです。アップルはちゃっかり裁判まで起こしています。感慨深い事件でした。
  • 時代が違えば合法だし、誰も気づかない。
  • 時代が同じだと違法だし、スキャンダルになる。



2010年5月7日金曜日

マッキントッシュを買いました。




以前、


という記事を書いたことがあります。依然としてマッキントッシュ(のインタフェース)は大嫌いなのですが、あまりにも「魅力的なパソコンが無かった」ため、忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、史上最悪のマッキントッシュを買ってしまいました。もちろん、すぐにWindows7をインストールしました(MacはXcodeとLinux用です)。

いいわけ
本当は、なるべく国産のパソコンを買おうと思ったんです。昔のPC-8801あたりは格好良かった。今は無きIBMのThinkPadとかも(排熱の問題を除けば)本当によかった。デザイン好きの中には初期のVAIOがお気に入りだった人だっているでしょう。でも今や、国産メーカーのPCをすべて見渡しても、「これなら家に置いてもよい」と思えるデザインのものが何一つ見当たらなかったのです。これは私の責任ではない。

2010年5月6日木曜日

会う人の「印象」について

印章文化は、けっこう良いものだと思っている。
欧米のサイン文化も悪くないけど、やっぱりハンコの方が情緒的だ。
契約というセレモニーのときに、紙に「押し込まれる」感触が良い。
(花押というのもあるが、今では使われなくなった)

さて昔の哲学者は、「記憶」というのは脳に「痕跡」のようなものが残るのだと考えたらしい。
よく見れば、「印象」も「印章」も大して変わらないではないか。
人と会うたびに、あなたの脳にハンコが押されるわけだ。

石垣です、ポン。
山田です、ポン。
松本です、ポン。
木谷です、ポン。

みたな感じに。

同じ印章でも、押し方によってずいぶん印象が違う。

強く、鮮明に、しっかり押す人。
気合を入れすぎてブレぎみになっている人。
安物でインクの乗りが悪いひと。
インクのつけすぎで滲んでいる人。

さて、あなたの印章は、どんな印象でしょうか?

2010年5月1日土曜日

カタツムリ都市、TOKYO

東京近郊が元気である。
駅前の再開発が一段落して、マンションも行き渡り、若い世代が定住を始めているみたい。

立川、柏、青梅、町田、あきる野、府中、川崎、三鷹

イオンができて、フードコートがあって、TSUTAYA、ヨドバシカメラ、ビッグカメラ、ヤマダ電機、ブックオフ、漫画喫茶、アウトレットモール、そして温泉。

あれまてよ、なんだかどこも似たり寄ったり。
「快適な都市」というものが経済原則に乗っかると、とたんに欲望のフランチャイズが起こる。
これはひょっとして、柳田邦夫の嘆いた「カタツムリ現象」ではないか。

柳田は、西洋化する日本のなかで、地方に色濃く残る土着文化の美しさを発見しながら放浪した人なのだけれども、「カタツムリ」という言葉がどれだけ地域性を持っているかを調べた変な本を書いている。
ちょっと抜粋すると、

メンメンダバゴロ(宮城)
マイマイドン(静岡)
デンデンダイロ(群馬)
カタクジリ(京都)
ヲバヲバ(千葉)
ツメツメゴンゴ(石川)

ゴールデンウィークに実家に帰ったときは、ぜひ地元の人に聞いてみてほしい。全てが失われた今、一種の郷愁をもってこういう言葉を味わうことができる。

町の名前を聞いたときに覚える感触、たとえば「代官山」「南青山」「吉祥寺」「中野」、といったものは、急速に薄まっている気がする。立川のゆるーい感じとか、町田のヤンキーとか、もう無くなってしまうとしたら、それも時代の流れだ。
今のうちに、街のオーラを嗅ぎに散歩するのもよろしいかと。

私は今日、草加に行きます。楽しみ!