2011年1月19日水曜日

心理学者との対話(その6)~あとがき

一連の対話は、1937年ごろ、精神分析学者のジークムント・フロイト氏が晩年、ロンドンに亡命しながらも精力的に活動していた学会において、異分野の人を招いて開かれた特別セッションの一部始終です。その後、建築・工業デザインの分野に大きな足跡を残すことになる新進気鋭のデザイナー、アッキレ・カスティリオーニ氏と、当時既に発明家として知られていたトーマス・エジソン氏がアメリカから招かれました。
英語、イタリア語、ドイツ語の通訳を介してのややこしい議論にも関わらず、やがておとずれるモダンデザインの潮流やコンピュータ革命、そしてエンジニアリングとデザインの融合について示唆に富む発言が見受けられる。

というのはもちろん真っ赤な嘘ですが、地理的にも精神的にも離れていたこの3人が、一瞬だけ同じ時代を生きたというのは事実です。もし戦争が無かったら、こんな対話が実現していたかもしれません。もちろん、もっともっと深い内容だったとは思いますが。

このところ若いデザイナーから、「思い通りのデザインが出来ない」という嘆きを聞くことがあります。日本のデザインがスタイリングの時代を完全に卒業してしまったからでしょう。彼らの口から出るのは、中国とかインドとかの新興国、ある意味でのデザイン発展途上国の話しです。
日本人がどんどん海外に出て啓蒙・活躍するのは喜ばしいのですが、やっぱり「美しさの基準」が違うから、突き詰めると現地の人に負けちゃうのではないかと思います。賢い人はそこも見抜いた上でデザインしますが、「理性では納得できるけど感性では納得できないなぁ」といいながらフィニッシュすることが多いように思います。これもまた悩みの種なのです。

一方で、一通りデザインによる自己複製を終えた年寄りのデザイナーというのは、あっけらかんとしています。スタイリングという自己複製は、ある程度繰り返すと、どこかの時点でそれに飽きてしまうようなのです。それは人によっては、「老い」から来ることもありますが、一般に彼らは高度成長とバブルを経て、自己複製という快楽の頂点に達したということができるでしょう。
そして、スタイリングに飽きた自分と、消費社会を卒業しつつある日本との偶然の一致に満足しています。この恍惚感こそが、「あっけらかん」の原因です。

たまったもんではないのが若いデザイナーです。若いデザイナーは自分の肉体や精神が大好きで仕方ないし、それをもっともっと自己複製したいのです。オレの良質なソウル、私のハイセンスなマインドを、建築やプロダクトやグラフィックやWebやアプリケーションの形で表現して、趣味の良さを世界中の人に見せびらかしたいのです。自分中心設計です。これは、ごくごく正常で健康的な欲求だと思います。
しかし、さんざんっぱら自己複製をしてきた大先輩のデザイナーがたは、それが幼稚な事であるという批判を(自らへの反省を兼ねて)押しつけてくるのです。そしてちらっと社会の側を見てみれば、なるほど確かに、もはやそういう時代ではないことが明らかなのです。

ベンヤミンという人は、作品の大量複製によって芸術家の「オーラ」(アウラ)のようなものが消失するのではないかと危惧していたようですが、実際のところオーラの消失に変わって蔓延したのはデザイナーの「顔」だったように思います。その大量「自己」複製時代は静かに幕を下ろしつつあり、今、我々は新しい情念の「注ぎ込み先」を探しています。
デザイナーが、エンジニアリングのような無味乾燥で冷徹な世界に興味を持つのも、異分野の融合や学際が叫ばれるのも、 BS 7000-6:2005で示されるようなインクルーシブデザインの方法論がもてはやされるのも、そういった心の働きが関係しているのかもしれません。
いろいろな情念はすべて血液の熱さ冷たさのいろいろな度合いでしかない。
(MS2 564 ラ・ロシュフコー箴言集)
という散文がひょっとしてデザインとエンジニアリングについて語っているとするならば、世界最先端の変革期にある日本人は、相反する両者を「かきまぜたい」という気持ちになっているのではないでしょうか。
このエッセイは、何となくそんな期待感と閉塞感の狭間にある人たちに読んでもらいたくて書きました。自分がどうしてデザインしたいのかを正直に見つめること、つまりデザインを哲学することは、自分を理性的に強くし、精神的に武装してゆくことにつながると思うのです。
若いデザイナーにとって、これからますます大変な時代が訪れます。純粋に「デザイナー」という職業名を持つ人は、10年後には半分以下になるでしょう。しかしデザインしたいという欲求は素晴らしいことだし、その精神的なエネルギーの沸き上がりは決して誰にも邪魔できません。問題は、そのエネルギーをどこに注ぎ込むか、ということだと思うのです。