若き詩人は自分の殻を破りたいと思い、(怖い事で)有名なデザイナーのところにいきました。
詩人「デザイナーさん、デザイナーさん、どうやったら自分の殻を破れますか?」
デザイナー「どうやったら自分の殻を破れるかを人に聞いている時点で、おまえの感覚は凡人すぎる。そんな奴のところに殻の神はやって来ないんだよ!帰って貝でも洗ってろ!」
若き詩人はたいそう傷つきましたが、今度はめげずに、やさしいエンジニアのところにいきました。
詩人「エンジニアさん、エンジニアさん、どうやったら自分の殻を破れますか?」
エンジニア「自分の殻っていうのは人の自己意識や知覚・感覚に関わる工学的な尺度なんだよね。まずは感性工学に関する古典的な文献と最新の研究論文を読んでみたらどうかな?それから人間工学の点では、ISO/TR 9241-310 Ergonomics of human system interaction—-Part 310: Pixel defects – Visibility, aestheticsand ergonomicsあたりでも議論があるかもしれないな。」
若き詩人は山のような参考文献を借りましたが、どれを読んでも専門的すぎてチンプンカンプンでした。そこで今後は、哲学者のところにいきました。
詩人「哲学者さん、哲学者さん、どうやったら自分の殻を破れますか?」
哲学者「まぁまず自分の殻の定義は置いておくとして、あなたが自分の殻を破るという事と、他の人があなたをみたときに自分の殻を破っているように見えるということは全く違うのだよ。例えば、あなたが自分の殻を破っていないにも関わらず、他の人からみたら自分の殻を破っているように見えるかもしれない。あるいは、自分の殻を破っているにも関わらず、自分の殻を破っていないように見えるかもしれない。では、その<他の人>というのは果たして<自分の殻>を破っているのだろうか?このように考えると、そもそも自分の殻を破っているかどうかは、絶対的な尺度ではなく、はなはだ現象的な観念であるように思えてくる。」
若き詩人は冒頭部分の途中で寝てしまい、哲学者を怒らせた上に部屋から追い出されてしまいました。
困った詩人は友達に、これまでのいきさつを話しました。
すると友達は言いました。
「きみのやった行動はセンスがあるし、十分に自分の殻を破ったと思うよ。」