このブログは、読者の20%以上がマックユーザと、世の中のマック普及率(7%未満)と比べてマック率が2倍以上も高い。そんな読者の方々に怒られるかもしれないけれど、私は「マッキントッシュというパソコンが大嫌い」だ。それは良くマック批判の槍玉にあげられるように、ジョブスという独裁者が居るからでも、環境 に全く配慮しないアメリカ人デザイナーによるパッケージに包まれているからでも、ユーザサポートが悪いからでもない。それはなんとなく、次の理由によるものだと思う。
1.マッキントッシュはコンピュータをバカにしている
2.マッキントッシュは人の身体性を奪う
1.マッキントッシュはコンピュータをバカにしている
コンピュータの本質は「メカ」だ。それもタイムシェアリングという方法を使って複数のジョブを細切れにこなす、高度な状態遷移メカである。PCを使うということは、この状態遷移メカと格闘することだ。
コンピュータの論理モデルは、アラン・チューリングより前にチャールズ・バベッジという人が発明したといわれている。彼は蒸気エンジンと歯車の化け物を使って、コンピュータを作ろうとしていたらしい。だから今でもCPUのことを「エンジン」と呼ぶ人がいる。近年のコンピュータは、自動車で言えばF1のようなものだ。操作を間違えれば大切なデータが損傷するし、特に近年、そのデータは生活や金銭に絡むものであったりする。
コンピュータを使うということは、デザイナーズブランドの棚からファッショナブルなアイテムを鼻歌交じりに選ぶことではなく、おしゃれなカフェで読む本を選ぶことでもない。コンピュータを使うということは、失敗なくゴールを達成するために、適切にこの高度なメカをコントロールすることにある。そのためにコンピュータはまず、「人に従順な機械」である必要がある。
マッキントッシュはコンピュータを擬人化しすぎている。単なる機械から、「何かクリエイティブが生まれる」ような有害な予感を匂わせている。豊かな発想をしたければブレーンストーミングやスケッチをすればいい。コンピュータは、その発想が正しいかどうかを検証し、シミュレーションし、可視化し、情報共有するための、単なる道具に過ぎない。
Windowsユーザ(左)と、MACユーザ(右)を比較した広告(のパロディ版)