温室効果ガスが増えているって、われわれは誰に聞いたのだろうか。テレビ?雑誌?新聞?彼らは真実を述べているだろうか。本当に確かめたければ、2009年版理科年表の917ページをみてみよう。そこには緯度帯別の二酸化炭素濃度が出ている。
ネコ(覚醒時)は、一秒に2回も脈打っているって知っていただろうか。これがイエスズメになると、一秒に10回以上にもなるらしい。
フナやマムシが30年も生き、チョウザメにいたっては152年も生きるのに、ミジンコやミツバチの雄はわずか6ヶ月の寿命だとご存知だっただろうか。
迷える子羊よ、デザイナーよ、エンジニアよ。理科年表を買いなさい!そこには1000ページにわたって宇宙の真実のみが書かれている。理科年表と、理科年表がベストセラーになる国民性は、日本の大事な文化なのだと思う。
2009年5月30日土曜日
1000ページにわたって宇宙の真実のみが書かれている本(つづき)
2009年5月29日金曜日
1000ページにわたって宇宙の真実のみが書かれている本
久しぶりに「理科年表」を買った。「データの信頼性」が低い世の中になったと感じたからだ。
グラフやら表やらを駆使して、いかにも定量的に話しを進めている(かのようにみえる)主張は少なくない。ブログしかり、雑誌しかり、百科事典しかり、書籍しかり。。。
しかし残念なことに、自分に都合の良いデータだけを集めて煙に巻きつつ、自己主張を加える、といったスタイルが多い。特にエコやらダイエットやら世界恐慌やらのブームに乗っかって書かれた文書には、そういった「意図」が滲み出ていて見るに耐えない。
理科年表は誠意の塊、のような書籍である。すべて学術文献に基づく客観的に証明されたデータのみが掲載されている。なにより素晴らしいのは、主観的な主張が、一切がっさい排除されているという点にある。そこには、著者の恣意的な企みや、読者を惑わそうという気配、あるいはアートの要素が一切無い。ただ純粋な科学的興味によってのみ、この本はつくられているのだ。そして論文のような気難しさも無く、中学生から高齢者まですべての人が読むことができる。
なんとなく「悟りの境地」を感じてしまうこの書籍、実はこの手の本が出版され、累計200万部を超えるロングセラーになっているというのは、世界的にも珍しいことだという。どこか日本人的な几帳面さに通じるものを感じてしまう。
パラパラと中をみていこう。まず目次。これは、暦、天文、気象、物理、地学、生物、環境の順になっている。これはつまり、科学の「エライ順」なのだ。暦を知ることで洪水を予報し、天から方角を学び、気象を研究し、物理学・化学が発展し、そしてこれらの知見に基づいて生物を観察してきた。ちなみに環境の章は、2005年から新設されたものだ。理科年表の目次そのものが、科学の歴史になっている。
(つづく)
2009年5月22日金曜日
ブログって恥ずかしい。
- 三ヶ月前の記事 → まだ記憶に新しい!
- 半年前の記事 → すっかり飽きてしまってどうでも良い内容
- 一年前の記事 → 恥ずかしくてみていられない
恥ずかしがるのは良いことだと思うから、どんな恥ずかしいブログ記事も消さないようにしている。フィードバック(feedback)すなわち自分との対話こそが、賢く生きるための最大の武器なのだと思う。「自分へのフィードバックを失った人」は、とても見ていられない。
2009年5月21日木曜日
インタラクションデザインと経営戦略
電子政府ユーザビリティガイドライン(案)が、公開されたらしい。GUIだけではなくて、行政手続きのサービス全般、運用についてのユーザビリティ向上を目指して欲しい。
ところで、経営者から見たときの、ユーザビリティについての素朴な疑問。
- ユーザビリティを向上させるのに、どれだけコストがかかるのか?
- ユーザビリティが向上すると、どれだけ商品が売れるのか?
- ユーザビリティが向上すると、どれだけ経費を節約できるのか?
2009年5月20日水曜日
骨
21_21の「骨」展が楽しみだ。
先日、「バレル式ソフトエッチング廃液処理装置」といって、エッチング液から電気分解して銅を取り出す技術を見た。電極に付いた銅を見てビックリ!これは「骨」ではないか。液体の中から徐々に金属(骨の素材であるカルシウムも金属の一種ですね)が付着していくと、あのような形になるのだろうか。
2009年5月19日火曜日
進化論的に見るデザイン思考(その5)
3.突然変位
最後の話題は、突然変異(mutation)だ。これは主に、「局所最適解」から脱出するのに用いる。デザインのスタディを行っていると、ある答えにアイディアが収束しつつある事に気がつく。ダ・ヴィンチや「天才博士」であれば、それが最終的な最適解、すなわち「頂上」であるか否かは判断が付くのかもしれない。しかし多くの人は、それに気がつかないだろう。
デザイナーが「これが最高だ!」と思って終着したアイディア、しかし「これが最高だ!」と思ったのは、「これ」の近傍のアイディアと比べて良かっただけのことであって、もっととんでも無いところにより高い頂上が存在していた。こんな、悔しい思いをした経験のあるデザイナーも多いのではないだろうか。
突然変異は、意図的にアイディアに対して「とっぴな変革」をもたらす。例えば高級と安価、無機と有機、動くものと動かないもの。あるいは全くベクトルの違う異質なものを強制的に注入する。
突然変異を阻害する要因は、デザイナーの心の内にあるようにも思う。まったくとんでもないモノを思いつくのは、そもそもデザイナーの気質からしてたやすい事だと思う。
しかし、納期が近づき、アイディアも収束しつつあり、何となく周囲に「コンセンサスの空気」が流れているなかで突然変異という爆弾を破裂させる勇気、そしてそれにも増して、その突然変異を受け入れるチームとしての勇気の方が必要とされるのかもしれない。
おわりに
5回にわたって、デザイン思考のプロセスを進化論に当てはめて整理してみました。デザイン思考そのものを整理する事に意味があるかどうかはわかりませんが、少なくとも、現在うまくいっているデザインファームというのはこの思考過程を客観的に理解し、自分達の生産性を上げるために戦略的に活用しているような気がしています。
2009年5月18日月曜日
進化論的に見るデザイン思考(その4)
2.交配
これはセックスを意味する。すなわち使えそうなアイディア同士を交叉させ、アイディアのフュージョンを起こすのだ。交配のプロセスは、 ある環境において優秀な遺伝子(すなわち評価の高い遺伝子)同士を交配させると、より評価の高い個体が生まれる可能性が高い、という仮説に基づいている。
ちなみに、この仮説は優生学に直結するので、大変危険である。遺伝学は誇大解釈され、かつての日本の優勢保護法、断種手術、ひいてはナチズムといった非人道的な運動に結びついた事があった。もちろん、脳内でのデザイン思考を行う上で倫理的・社会的パラメータは関係が無いけれども、この点については注意しておきたい。
さて、アイディアの交配は、デザイナーであれば誰もが積極的に行っている行為だと思う。造形的交配、インタラクションの交配、グラフィックの交配、アイディア、詩、機構など、その分野も様々に及ぶだろう。交配は、「自然淘汰」を生き残り、交配を行うに値する優良な個体に対して行われるべきたし、交配の結果としてより価値の高いアイディアを生成することを意識付けながら行うべきだと思う。
淘汰も、交配も、いかにも自然の営みのように聞こえるけれども、そこには「偶然」というよりは、デザイナーによるかなり「恣意的」で、かつ「客観的」な指標に基づく操作が伴う。
(つづく)
2009年5月16日土曜日
進化論的に見るデザイン思考(その3)
デザインの思考は、山登りに似ているということを書いた。それは、「山登り法」に示されるような近視眼的でカッコワルイやり方ではない。例えるなら、それは生物の進化のようなものだと思う。
遺伝的アルゴリズム
もう30年以上も前に発明された遺伝的アルゴリズム(Genetic Algorithm, GA)という、コンピュータによる問題発見のための探索手法がある。その名の通り、遺伝子によって複雑な進化を遂げる生命の仕組みを模倣し、コンピュータを使った数理計画、制御、シミュレーションなど様々な分野に応用しようとしたものだ。
生物の進化の仕組みを、コンピュータでも実装できる程度にまで極度に単純化したその考え方は非常にエレガントだし、進化の仕組み自体を理解するのにも役立つ。どのくらい単純化しているのかというと、なんと進化をたったの3段階で表現しているのだ。簡単なので、ぜひ覚えて欲しい。
1.自然淘汰
「淘汰」を英語で書くとnatural selection、つまり「自然(による)選択」となるところが、いかにも西洋的な価値観が反映されていて面白い。それは置いといて、この自然淘汰とは、数あるアイディアの中から、ダメなアイディアを消去し、可能性のあるアイディアを抽出する作業を意味する。これによって、脳の中で処理できるアイディアのチャンク数を適切な数に押さえる事ができる。
もしアイディアの淘汰が行われなければ、頭の中は無限のくだらないアイディアで埋め尽くされ、肝心の頂上を目指すという創造的行為を行うことができなくなってしまう。
淘汰を行う上で最も重要なことは、そのアイディアが良いか悪いかを決定する評価(evaluation)のプロセスである。コンピュータに実装するときは、このプロセスは評価関数(fitness function)と呼ばれる数式を使って自動的に計算してしまうわけだけれども、デザイナーの脳の中でのアイディアの評価は、主観的・客観的要素、環境要因を含めた様々なファクターが絡む。
良い種を良いものとして、悪い種を悪いものとして認識する作業が、デザイン思考においていかに重要かがわかると思う。しかも、その種が「他のデザイナーではなく、自分の考えたアイディア」だったりしても、悪いものは悪いとしてバッサリと切り捨て、例え他人であっても、子供、学生であっても、あるいはWebで見てパクッてきたアイディアであっても、良いものは良いと認める客観性が必要なのだと思う。それはまるで、評価関数という数式に基づいて、淡々と個体の選別を行うコンピュータのような、ドライな客観性なのではないだろうか。
(つづく)
2009年5月15日金曜日
進化論的に見るデザイン思考(その2)
博士の愛した数式にでてくる天才博士は、数式が解ける瞬間を「潮が満ちてくる感じ」と表現している。知り合いの数学好きに尋ねると、「何となくQED(証明終 了)への道筋がたったとき、そんな風に感じる」のだそうだ。
レオナルド・ダ・ダヴィンチは、彫刻について「最初から石の中にある形状が浮き上がってくる」というようなことを話していたらしい。これも、「潮が満ちてくる感じ」と同じく、ジワジワと何かが達成されつつあり、それがどこか不可避効力的で、自分とは別の「客観的・絶対的な価値基準」をもって感じ取っている雰囲気がある。先日の山登りの話しで言えば、それは「頂上」あるいは「高度」という絶対的な価値基準に対して、トライ&エラーを繰り返しながら徐々に近づいていく地図を持たない登山家の気持ちに近いのではないだろうか。
山登り法と準最適解
コンピュータ科学の基本的な話題として、山登り法(hill-climb search、別名:最急勾配法)というものがある。これは自分の見ている地点の周囲を見渡し、今居る地点よりも高度の高い場所を選びながら、どんどん高い場所を目指す、という山登りのアナロジーそのものを、コンピュータの問題探索アルゴリズムに取り入れた手法だ。
この方法のデメリットは、コンピュータ科学に精通していなくてもすぐわかると思う。そう、小さな丘のようなボコッとした部分(これは局所解とか、準最適解と呼ぶ)に、すぐつかまってしまうのだ。局所解に陥ってしまった登山家は、自分の周囲しか見ないから、そこが頂上だと思い込んでしまう。
これは非常にカッコワルイことだと思う。はっきりいって、デザイナー失格である。「センサー」が弱まっており、自分の周辺を見渡せていないのだ。それでいて、自分の解が「イケている」と信じて疑わない。
みなさんの周囲に、そんな人は居ないかもしれないけれども、自分が短絡的で直球でカッコワルイ山登りを行わないように、デザイン思考における「最適解と準最適解」の捉え方については、知っておいて損は無いと思う。
(つづく)
2009年5月14日木曜日
進化論的に見るデザイン思考(その1)
山に登っていると、どこが頂上だかわからなくなる。そんな経験は無いだろうか?うっそうとした林によって視界はさえぎられ、丘陵はゴツゴツと複雑な形をしていて、自分の立ち位置から一見しただけでは、頂上の位置が把握できない。
もし、地図という「人工的な道筋を抽象化して示す道具」が無ければ、あるいはまた、その道さえも無ければ、我々は頂上を目指すためにとりあえずランダムに勾配を登り、少し見晴らしの良いところから周囲を見定め、また少し降り、そして少し登り、といったことを繰り返しながら、より高い場所を目指すしか無いだろう。
すると、山を登ることは、山を降りる事よりよっぽど難しい事だという事実に気づかされる。現に登山家たちが遭難した場合は、頂上を目指すことよりも、山を降りる事を優先するという。ゴツゴツとした複雑な形状の山(=解空間)を、人間というごく小さな存在が歩き回って頂上(=最適解)を導き出すのは、とても難しいことだ。
これは、デザイン思考にも通じていると思う。クライアントから与えられた課題は、山脈のようなものなのではないだろうか。山脈の上には雲がかかっていて、麓から見取ることは出来ない。いったいどんな素晴らしい頂上があるのかさえ、デザイナーは知らない。これから先人たちの残した道しるべ(=ケーススタディー)を頼りにして、ランダムウォークを繰り返すのみである。
(つづく)
2009年5月13日水曜日
エコなフォントって何だ?
とあるデザイナーの人と飲んだときに、「エコフォント」をつくろうという話題で盛り上がったことがある。インクを使う量が少ない、環境と経費に優しいフォント、というアイディアだ。
冗談半分だったのだけれど、どうやら現実に販売されているらしい。
●英語版エコフォント(フリー)
http://www.ecofont.eu/downloads_en.html
●日本語フォント(株式会社ニィス)
http://www.nisfont.co.jp/home/products/package/efont.html
2009年5月12日火曜日
世田谷・羽根木公園の「落とし穴」
羽根木公園を歩いていて、ギョッとしたことがある。プレイパークと呼ばれる子供用のゾーンに入ると、木の枝に縄を縛り付けてブランコをしている少年。地面に大きな穴を掘って落とし穴をつくっている子や、バラック小屋の屋根の上をキャッキャと飛び跳ねる女の子が居た。道具コーナーにはノコギリやノミなどの工具類があり、どうやら火をたいている子もいるようだった。どの子も体中泥だらけで、真っ白な笑顔を浮かべていた。
それもそのはず、ここは他の公園では絶対にできない「遊び」のできる、都内有数の公園なのだ。いわゆる昔の子どもたちの遊びを、リスクを最大限回避・容認しながら、都市公園の中で再現している。
プレイパークには、ファシリテーションを行うプレイリーダーが必ず常駐しており、全ての遊びはリーダーの見守る中で行われている。
一時期の遊具バッシングに踊らされ、大人の論理だけでつくられた「安全で冷たい公園」にはない、刺激と愛に満ちた空間だった。
2009年5月11日月曜日
まるでセーターのように毛皮を脱ぐ羊
岩手県の牧場にて。最近の羊は、上皮細胞増殖因子(EGF)を含む注射をすることで、痛みも無くスルスルと毛皮を「脱ぐ」らしい。これを開発したのは日本の醤油メーカーとのこと、とくに害は無いみたい。
下はEGFで大量に採れた「ウールの海」で遊ぶ知らない子供。なんとも気持ちよさそうなのだけど、大人は入れなかった。
2009年5月9日土曜日
休日の路上観察~フリッカーに対する感受性
人の脳が受ける刺激の80%が視覚によるものだというけれど、気をつけないと人間は、本当に「目にみえるモノ」だけを重要視しがちである。ここで「目にみえる」といっているのは、そこに「ずっとみえている」と思い込んでいる事象全てを指している。
例えば目の前にみえているはずのリンゴが、チカチカと時々消えていたらどんなに気持ち悪いだろうか。それは、照明の「フリッカー」のことだ。
LED信号機
2009年5月8日金曜日
インハウスデザイナーの「憂鬱」(その2)
ところが、モノづくりの衰退、価値観の物質文明からの転換、世界大恐慌といった、日本のインハウス文化を育ててきた本来の価値基準が崩壊するなかで、徐々にインハウスデザイナーの中に「憂鬱」の二文字が蔓延しつつある。インハウスという立場に満足しているいわばノンポリ的なデザイナーを除いて、「デザインによって豊かな生活をつくる」というスローガンがもはや通用しなくなっており、社会がこれまでの「デザイン」を求めていないこと、そしてインハウスデザイナーの立ち位置が危ういことに、誰もが気づき始めている。
社会に必要とされるデザイン
いまもう一度、社会にとって意義ある「何か」を実現するためのデザインを、見つめなおす時期にきていると思う。世の中にはソーシャルエンタープライズ、地域コミュニティ、エコロジーといった取り留めのない未来像が蔓延しているけれども、デザイナーという職業が持つ「身体感覚」でこうした社会に体当たりし、何が必要なのかを敏感に感じて、そして描き出す必要がある。インハウスの武器である技術力やマーケティングなどのアセットは、そのために使われるべきだ。錆び付きつつある「デザインの武器」を再び研ぎ澄まして、新しい時代に相応しいデザインをつくっていくのは、悩めるインハウスデザイナーたちだと思う。さもなければ、シルミドのように消えゆく存在となってしまうのではないだろうか。
2009年5月7日木曜日
インハウスデザイナーの「憂鬱」(その1)
「シルミド」という韓国の怖い映画があった。社会的に必要とされ結成された精鋭部隊が、いつしか時代が変わって不要となったため、「消去」されてしまうという実話に基づくストーリーだ。
社会とインハウスデザイナーの関係
高度成長という特殊な経済情勢に呼応する形で、日本のインハウスデザイナーは生まれ、世界稀なる特殊な「インハウス文化」を生んだ。最初の世代はモノづくりが一番面白かった時代を生き、また現代の世代はその時代をなつかしみ、そして新しい世代は昔話を聞きながら日々デザインに勤しんでいる。
自らの手仕事に誇りを持ち、会社の技術力やマーケティングを盾に多くのワークを行い、世に自らがつくった沢山の製品を送り出し、人々の生活を変える新たな価値を提供し、それに対するフィードバックや評価を得るのがインハウスデザイナーの醍醐味であり、それは欧米型のクラスター化された開発体制や、専業的なアトリエ系のデザインファームと比べると、より多面的で多彩な才能を発揮できるエキサイティングな職業だった。社会にとって意義ある「何か」は、デザインによって解決可能だった。それは新しい製品を出すことにあり、社会もそれを期待していた。
2009年5月2日土曜日
多言語での文化交流を目指すSNS
知らない人同士が仲良くなるきっかけの事を、ワークショップの用語では「アイス・ブレーキング(ice-breaking)」というらしい。
- 共通の趣味(ペットの話題、孫の話題など)
- 共通の経験(何らかの難しい課題に対するグループでの取り組み)
- 共通の目標
TechVenture2009のグランプリ受賞。
http://japan.cnet.com/techventure/2009/winner_lang-8.htm
- 外国語を学びたい世界中の人々が、それぞれの母国語を教えあうことで語学力を高める--そんなコンセプトで生まれたランゲートの相互学習型ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)「lang-8」。
- 文字どおり世界中をターゲットにした同サービスのコンセプトが高く評価され、テクノロジーベンチャーを表彰する「Tech Venture 2009」のグランプリに選ばれた。
- ランゲート代表取締役である喜洋洋氏に同社の概要と今後の展開を聞いた。