博士の愛した数式にでてくる天才博士は、数式が解ける瞬間を「潮が満ちてくる感じ」と表現している。知り合いの数学好きに尋ねると、「何となくQED(証明終 了)への道筋がたったとき、そんな風に感じる」のだそうだ。
レオナルド・ダ・ダヴィンチは、彫刻について「最初から石の中にある形状が浮き上がってくる」というようなことを話していたらしい。これも、「潮が満ちてくる感じ」と同じく、ジワジワと何かが達成されつつあり、それがどこか不可避効力的で、自分とは別の「客観的・絶対的な価値基準」をもって感じ取っている雰囲気がある。先日の山登りの話しで言えば、それは「頂上」あるいは「高度」という絶対的な価値基準に対して、トライ&エラーを繰り返しながら徐々に近づいていく地図を持たない登山家の気持ちに近いのではないだろうか。
山登り法と準最適解
コンピュータ科学の基本的な話題として、山登り法(hill-climb search、別名:最急勾配法)というものがある。これは自分の見ている地点の周囲を見渡し、今居る地点よりも高度の高い場所を選びながら、どんどん高い場所を目指す、という山登りのアナロジーそのものを、コンピュータの問題探索アルゴリズムに取り入れた手法だ。
この方法のデメリットは、コンピュータ科学に精通していなくてもすぐわかると思う。そう、小さな丘のようなボコッとした部分(これは局所解とか、準最適解と呼ぶ)に、すぐつかまってしまうのだ。局所解に陥ってしまった登山家は、自分の周囲しか見ないから、そこが頂上だと思い込んでしまう。
これは非常にカッコワルイことだと思う。はっきりいって、デザイナー失格である。「センサー」が弱まっており、自分の周辺を見渡せていないのだ。それでいて、自分の解が「イケている」と信じて疑わない。
みなさんの周囲に、そんな人は居ないかもしれないけれども、自分が短絡的で直球でカッコワルイ山登りを行わないように、デザイン思考における「最適解と準最適解」の捉え方については、知っておいて損は無いと思う。
(つづく)