クイズ。
以下のデザインに関するエッセイは、誰が書いた何というものでしょうか?
(ヒント:中学生でも知っている有名な自伝です)
- 日本は多くの人々がそう思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術をつけ加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。
- 実際生活の基礎は、たとえば、日本文化が-内面的な区別なのだから外観では余計にヨーロッパ人の目にはいってくるから-生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであった。
- ただ表面的な包装だけが、徐々に日本人の存在様式に調和させられたに過ぎない。
- ある民族が、文化を他人種から本質的な基礎材料として、うけとり、同化し、加工しても、それから先、外からの影響が絶えてしまうと、またしても硬化するということが確実であるとすれば、このような人種は、おそらく「文化支持的」と呼ばれうるが、けっして「文化創造的」と呼ばれることはできない。
アドルフ・ヒトラー「我が闘争」。
こんな人が現代日本のデザインについて的確な指摘をしているかと思うと、複雑な気分にもなる。
日本の、国際社会に対する「文化創造的」なデザインというものは、例えば、同じくドイツ出身でヒトラーに追い出されたブルーノ・タウトの桂離宮礼賛によって見いだされたとされているけれども。タウトは、かつての箒屋や金物屋の陳列が「民衆芸術のアンサンブル」だと絶賛したというけれど、京都清水寺あたりのお土産街でキーホルダーやメダルを売っている様子には、もはや「民衆芸術」なんて見る影もない。日本の庶民による、デザインの洗練に対する監視の目というものは、よっぽど目をこらさない限り、もはや微塵も見当たらない。さて、タウトとヒトラーという二元論、「文化支持的」と「文化創造的」という二元論で日本のデザインを見た場合、どちらが現代的な視点にたっていたと言えるだろうか。
ついでに言うと、日本人の好奇心や、変化を好む特性につけこんで、まずはアメリカ「風の」価値観、次にヨーロッパ「風の」価値観を培養し、低俗な商業主義の視覚競争によって、日本の街や商店を見るも無惨な状態にしたのは誰か。