ずいぶん昔に、奴隷というものは居なくなってしまったわけだけれども。破壊された奴隷制度というのは、粉々に砕け散った無数のカケラとなり、我々の心の中に小さく深く突き刺さっているようだ。
何の話しかというと、労働の話しなのです。
デザイン好きがなるべき職業
これは、愚問だろうか?コンピュータ好きがなるべき職業は、コンピュータエンジニアである。
では、私みたいに「デザインが大好き」な人たちはどうしたら良いのであろうか?デザイン好きが全員デザイナーになろうとしたら、たまったもんじゃない。なぜかというと、この国で、独立してデザイナーとして生計を立てられている人というのは、たったの2万人かそこらしか居ないからだ。これは、例えば国内の弁護士の数に等しい。弁護士は大変な参入障壁と特権が与えられているが、デザイナーにはどちらもない。だからこそ、デザイナーは日夜、野性味溢れる熾烈な過当競争にさらされている。
これから就職活動をする人に
何が言いたいのかというと、「デザイン好きはデザイナーになるべきではない」という事を言いたい。本当にデザインが好きで、一生飽きることの無い幸せなデザインライフを送りたいのであれば、
- デザインを発注する側の立場になる
奴隷と主人
会社組織の主人である取締役会は、例えば執行役員という奴隷を使う。執行役員は部長とか幹部を奴隷として使い、彼らは課長や係長などの中間管理職を奴隷として持つ。中間管理職は平社員という奴隷を操り、平社員は外注先を奴隷として使う。彼らが顧客としてある会社の商品や株を買ったとき、彼らはその会社組織の主人になることができる。こうして、主人と奴隷の関係性はグルグルと循環している気がする。
現代の奴隷制は、もちろん本当の奴隷制ではないから、奴隷と主人は、お互いの人間性を認め合っている感じだ。社員はカリスマ社長を憎みながらもどこか尊敬しているし、いつでも嫌われ役の臭いオッサン中間管理職であっても、周囲は何とか打ち解けようと必死である。
最近、その関係にねじれが生じて、お互いに尊敬しあえない奴隷制、というのが発露している気がする。例えばクレイマーは、頭の痛い問題だ。消費者(奴隷)は、主人(製造元)から与えられる恩恵以上の物を要求するし、主人の人間性を認めていない。逆もまたしかりで、主人はクレイマーなんて消えて無くなれば良いと思っている。
さてデザイナーはどうだろうか。デザインに何かを期待するクライアントが、このところめっきり減っている。ひょっとしてデザイナーとは、製品に味付けをするだけの交換可能な部品だと思われていないだろうか。クライアントはデザイナーを機械部品だと思い、デザイナーはクライアントを「デザインのわからない馬鹿者」扱いしている。
デザインへの理解があり、新しいデザインに挑戦的で、やりがいのある仕事を与えてくれて、ひいては日本のデザイン界の躍進に貢献してくれるような理想的主人としての人材、すなわち「デザイン好きの発注主」が増えてくれる事を祈って、もう一度言いたい。
- デザインが好きな優秀な人は、どんどんデザインを発注する側の立場になってください。