Yr(イア)先生はご近所さんだ。
高校時代の木工の先生である。
休日に家でごろごろしていると、ママチャリに麦わら帽子の出で立ちでセッセとやってきて、エホバの証人の話しをしていく。
「私は理科系の大学を出てしまい、すっかり無神論者になってしまいました」といっても、
「いやいや誰にでも欠点はありますよ」とやさしく宥めてくれるのである。
Yr先生は物知りで、特に木について色々教えてもらった。
良い先生だし、別に高価な壺を買わされるわけでもないので、なるべく足を止めて話をするようにしている。なんせ私の家と会社が近いもので、通勤途中や会社帰りとかにも、Yr先生にしょっちゅう出くわすのである。我が家と、Yr先生の家と、高校とは、きれいな正三角形をなしている。私はこの小さな正三角形の中でほぼほぼ、これまでの33年の人生を歩んできたといって良い。
ついでにいうとYr先生の家は、木工作家らしく手作りのログハウスだ。ログハウスの外壁は、油絵の具ですっかりカラフルに塗られていて、一つの絵画を見ている気分になる。しかもその絵画は、まるで東洋とも西洋ともわからぬ不思議なものになっている。というのも庭先には、古い武蔵野を標榜するかのように、とてつもなく大きな松の木が生えているのだ。このあたりは江戸時代、壮大なる松林だったようで、そのころの名残なのだとか。
そういえばジブリ美術館の周りにも、不釣り合いなほど立派な松林があるではないか。パステルカラーの漆喰で塗られてメルヘンチックなファサードを持つジブリ美術館は、正三角形の真ん中、すなわち重心のところにある。あそこは私の通勤路になっていて、開館に合わせて中国人と韓国人の観光客が行列をなしている脇を、これまた不釣り合いなスーツ姿の自転車ですり抜けながら通勤するのである。
ああ、不釣り合いなのはジブリの方かもしれない。屋上に突っ立っている作り物の巨神兵が見ている先には、いつもひときわ立派な松の木が聳えているではないか。毎日みているから、いつのまにかその滑稽さに鈍感になっていた。松の木が生えたラピュタなんて、あるだろうか?
そういえば4月1日の朝に、汚らしいチェックのネルシャツを着た出っ腹のオッサンが巨神兵の横によじ登って、右手に持った金ピカの美しい鐘を何度も何度も気が狂ったように鳴らしていた。あれは自分が天使か創造主だと思い込んだ誇大妄想のアニメオタクだと思ったのだけれど、今考えれば、宮崎駿その人だったのかもしれない。
松の木と、駿と、金ピカの鐘。
松の木と、駿と、金ピカの鐘。
松の木と、駿と、金ピカの鐘。
閑静な住宅街の道ばたで、先生はいつものように黙々と説教を始めた。
「石垣さん、イエス・キリストがどうして悲惨な死を遂げたか知っていますか?」
「残酷なストーリーの方が、布教する上で都合が良かったんだと思います」
思わず口から理系的な正解をこぼしそうになりながら、先生への敬意から「いいえ、知りません」とだけ答えた。
「イエス・キリストはね、石垣さんの為に死んだんですよ!」
麦わらの初老がスーツ姿の教え子に、なにやらただならぬ事を説教している。近隣住民の空気が凍り付き、おだやかな春の住宅街に、「石垣さんの為に死んだ!」の声が何度もこだましたような気がした。小さな正三角形の面積はその吹き出しでいっぱいになってしまい、もはや逃げ場を失ったかのように思われた。
先生は、その一撃が「決まった」のを悟ると、ふだんあまり見せない得意げな表情をして、いかにしてこの世の終末が恐ろしいものであり、そのための精神的な準備をしなくてはならないかを蕩々と説くのであった。
私はその、自分が置かれたあまりにも滑稽な状況から抜け出したくなった。そして金ピカの鐘を持ってジブリ美術館のてっぺんに登り、松の木に向かって思い切り鐘を鳴らしてみたくなったのである。