2008年10月31日金曜日

プスプスプス!刺す阿呆に刺さる阿呆


 NUOP DESIGNの「ARROWS」は、プスプスと突き刺さっているように見えるマグネット。同社のカタログはこちら(PDF)。MOMAやミュージアムショップなどで見かけたことがあるかもしれない。我が家では、ぜひ行きたいイベントのフライヤーをこのマグネットで留めている。「擬態語リッチな製品」は、その使用感が瞬時に伝わると思う。

2008年10月30日木曜日

ヌプヌプヌプ!沈む家具。



Nendo, Japan, Nendo Cabbage Chair, Nendo recycled textile waste, Nendo pleated fabric furniture, Nendo green design, XXI Century Man, Issey Miyake nendo_cabbagechair537_2.jpg


 サトウオオキ氏の作品は擬態語に溢れている。昨年秋のインスタレーションでは、床に沈んだ家具の形状から、家具のad-hocな新しい使い道を考えさせてくれる。ヌプヌプと沈む家具は、まるで夢を見ているようだ。サラサラとした質感のリサイクルファブリックを使ったソファも、思わず触れてみたくなる。

皮膚感覚
 Webデザイナー中村勇吾さんが、「これからはニチョッとしたWebがほしい」といっていた。プロダクト、建築、Web、グラフィック、いろいろな分野で、皮膚感覚のデザインが求められているのだと思う。 擬態語は、皮膚感覚に直結している。「コトバ」と「皮膚感覚」という、一見反発する概念をくっつけている。

2008年10月29日水曜日

ズブズブズブ!隣はどこへ行く猫や


 ZAC Designのフィギュア・マグネットが面白い。猫がズブズブと埋まったり、あり得ないところから生えていたり、ちょっと錯視的な体験ができる。

擬態語で考えるデザイン
 「ズブズブ」というのは、音にならないものを音にしているから擬態語(Japanese Sound Symbolism)である。そして擬態語を多用するのは日本(と朝鮮)独特の文化だと聞いた。確かに英語だと、ZigZagくらいか。

(つづく)

2008年10月27日月曜日

多摩美の芸祭へ遊びに来てください。



 今週末、11/2(日)~11/3(月)に、上野毛(八王子じゃないですよ)の多摩美術大学で芸祭があります。私も作品を出しています。テーマは「デザインのスイッチ」です。

http://techno.kyohritsu.com/products/SRRN1025.JPG

 普段、このブログでは小難しいことばかり書いていますが、それらを「スイッチ」という誰でも知っているアナロジーを使って表現してみました。11/2(日)は終日学校におりますので、ぜひいらしてください。芸祭ホームページはこちら
 展示内容については、追ってこのブログでも取り上げてゆきたいと思います。

2008年10月26日日曜日

(休日の自由研究)神保町シアタービル


神保町シアタービルの検討例と外観(デザイナー:日建設計・山梨知彦氏)

 神保町シアタービルが、面白い。独特なファサードも面白いけれど、もっと面白いのは、この建物が建築法上の天空率の制限のなかで制約されたボリュームを、いっぱいいっぱいに使っている点である。当然、複雑な計算を要するので、意匠設計・構造設計の段階から3次元CADが活用されていると聞いた。

 3次元CADに夢があるなと思うのは、環境性能の向上やら施工の効率化が起こるからではない。設計者のイマジネーションが増幅されるからでもない。設計意図を表現するビジュアライゼーションによって、建築の民主主義化が促進されると思うからだ。
 元来行われてきたパースや模型によるプレゼンテーションは、住宅やマンションを購入する施主にとって認知上の問題があった。普段見慣れていない特殊な表現から、自分の生活を想像しないといけないためだ。3次元CADによって現実性の高い建築空間が再現されれば、実際にそこで生活する様子を文字通り体験することが可能になる。
 神保町シアタービルは住宅ではないし、あくまでフラッグシップ的な要素が大きいのだろうけれど、こうした技術が我々の私生活の「眼に見える」位置まで降りてきてくれることに期待したい。

2008年10月25日土曜日

ホスピタリティのデザイン(その3)~行き着く先は?

 カスタマーケアの分野で定評のあるマリオットホテルについて、こんな冗談を聞いたことがある。

  • 朝、香港のマリオットホテルで目を覚ましたクリスさんは、深酒のため自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。フロントに電話をしてここがどこだかたずねると、「お客様、こちらは香港のマリオットホテルでございます」と丁寧に教えてくれた。
  • 翌年、クリスさんはニューヨークのマリオットに泊まった。そして朝になるとフロントから電話がかかってきた。「お客様、こちらはニューヨークのマリオットホテルでございます」
 ITをつかったカスタマーケアの進展はとどまるところを知らない。一部業界ではいつVIPが現れてもこちらから「いらっしゃいませ、○○さま」と言えるよう、有名人の顔を覚えるための教育システムがあるし、ひとたびVIPが来れば瞬時に適切な対応(すなわちタバコは吸うのか、右利きか左利きか、など)ができるよう情報共有されるようになっていると聞く。
 いずれの例も、ホスピタリティを合理的な仕組みの上で分配している自動化システムであって、そこに対応する人の心が介在する余地は薄い。もちろん、合理的ホスピタリティによって皆が気持ちよくなることは良いのだけれど、バーチャルな仕組みのおかげで気持ちよくなるたびに、何かが少しずつ麻痺しつつあることを、我々消費者は忘れてはならないと思う。極端に言えば、コンビニに入るたびに機械に「いらっしゃいませ」といわれているようなものだ。これは、母が友達の利き手を覚えてくれる「おもてなし」とは、ずいぶんと違う。

 大手サービス会社の社長に「これまでに一番感動した企業サービスは何か」と聞いたインタビューで、全員揃って「無い」と答えていたのが印象的だった。それは、ますます発展する戦略的ホスピタリティの限界を指しているのかもしれない。

2008年10月24日金曜日

ホスピタリティのデザイン(その2)~嗅覚ブランディング


 これは、イタリアのアルファロメオの助手席の下に標準装備されている「フレグランス・シート」だ。香水(CHANELのANTAEUSといわれているらしいけど、定かではない)が浸透された不織布のような素材から、香りがほのかにもれるようになっている。ディーラーで誰でも買うことができるので、興味のある方は聞いてみてはいかがだろう。
 嗅覚、味覚、触覚など五感をフルに活用したブランディング手法を「五感ブランディング」というけれど、身体を快適に保ちつつブランディングを行うこの手法は、ホスピタリティの戦略的なデザインといって良いのではないだろうか。
 似たような事例は、

  • シンガポール航空のアテンダントの香水、おしぼりの香り
  • グランドハイアット東京のロビーや駐車場など
などにも見てとれる。常にトップクラスの顧客満足度を維持するシンガポール航空では、総合的品質管理(TQM)の一環として、リピート客に「ホッとする場所に帰ってきたように感じてもらう」ために、様々なホスピタリティマネジメントを行っている。
 グランドハイアット東京は、ロビーのフラワーアレンジメントの香りや、駐車場の香りに至るまで、徹底的に香りをコントロールしている。駐車場の換気計画は素晴らしく、排気ガスのにおいの代わりに、受付コーナーの裏に隠されたアロマスチーマーから出された独特の香りに満たされている。さらに、こうした香りを自宅へ持ち帰ってもらう「オリジナル フレグランスチップ」も制作しているという手の込みようだ。もっともっと身近な例でいえば、
  • 無印良品のBGM
  • Intelのジングル音
などがわかりやすい。無印良品のBGMは、各地の土着的な音を収録したもので、店舗でかかっている曲とおなじものがアルバム化されている。

  

(つづく)

2008年10月22日水曜日

ホスピタリティのデザイン(その1)~母親の気配りと経験価値

 私の母親は、一度来たお客さんの「利き手」をぜったいに忘れない、という特技を持っている。お菓子や食事をお出しするときの箸・フォークの置き方を、右利きと左利きの人でちゃんと分けて配膳するのだ。右利きの自分はあまり意識していなかったのだけれど、中学生のときに、家に遊びに来た左利きの友達がそれに気づいて、いたく感動していた。

経験価値マネジメント
 2000年以降に流行ったマーケティングの潮流に、経験価値マネジメントというコトバがある。例えば、米国の50%以上の銀行がCCEO(Chief Customer Experience Officer)を設置しているだとか、Google, Yahoo, eBay, SAP, Bank of America, Wells Fargoなどの超有名企業が、経験価値に関する専門組織を設定しているらしい。
 経験価値とは、その企業と顧客との様々なタッチポイントを通じて得られる「経験」を着目することで、企業価値を高めていこうとする手法だ。これまで経験則によってなされてきたホスピタリティ(hospitality)を、より戦略的に、より定量的にマネジメントするのが、その主な狙いである。この「ホスピタリティ」は、日本語で「おもてなし」に近いニュアンスなのではないかと思う。

「おもてなし」はデザイン可能か
 「おもてなし」というと、もてなす側の内面にある「察し」や「美意識」が昇華した芸術的な身体表現だというイメージが強い。利き手を覚えるという母の特技は、まぎれもない「おもてなし」の手法である。
 一方で、例えば顧客の利き手をデータベースに登録し、マニュアルに基づいて配膳のやり方を変えるということをやっているホテルも、実際に存在する。
 両者は、「心」を伴っているかどうかという点では全く異なるけれども、配膳のやり方が変わったという「現象」をとらえれば全く同じである。次回は、もてなしの「心」と「現象」という点に注意しながら、経験価値を高める企業戦略についてデザインの視点から考えてみたい。

2008年10月20日月曜日

女子大生マーケティング部



 女子大生マーケティング部では、女子大生の普段の生活からビジネスのアイディアを見つけてもらおう、という視点で書かれたブログサイトだ。学生向けの商品を考えているマーケターには、必見のサイトだと思う。仕掛け人は、発想源の弘中勝氏。
 学生ならではの「リソース」をビジネスに活用する、という視点は2つの意味があると思う。

  1. 学生に、専門性を生かした仕事をしてもらう
  2. 学生の生活そのものをビジネスの商材にしてしまう
 女子大生マーケティング部は、1に加えて2の可能性を感じさせてくれる。お金のためのアルバイト、理念のためのボランティア、ともまた違って、ノウハウやつながりを求める学生と企業の間でwin-winの関係が出来るようなビジネスモデルができたら良いだろうな。
 次に是非つくってほしいな、と思うのは「老人マーケティング部」。自分の知らないセグメントの生活行動を、ネットワークを使って少しでも体験できるのは、貴重なことだと思う。

2008年10月19日日曜日

(休日の路上観察)下町の軒先にみるデザイン

 先日、カンロ飴のパッケージデザインで良く知られるセキユリヲさんの公演を聞く機会があった。セキさんのプレゼンの半分以上は、千葉にある自宅の庭やら、育てている野菜や、作りかけの梅干やらのキラキラした写真で出来ていた。
 いわく、「デザインってやればやるほど狭くなっちゃう。自分を広げるために、普段から色々なものを写真やコラージュに残すよう、心がけているんです」だそうだ。



 下の写真は、インテリア誌の編集者の方が、取材の合間に集めたという軒先デザインコレクション。デザイナーによらない立派な「デザイン」の要素が見とれる。


左:美しく並べられた植木鉢、真ん中の桜(?)が効いている(デザイナー:下町のおばちゃん)、
右:試しに、左の写真から成分だけをとってみたもの。




左:五線譜のようなレールにハンギングの花がバランスよく配置されている。素材こそチープだけれど、立派なデザインだと思う。右:同じく成分だけを抽出したもの、ちょっとだけ武満徹風?

 セキユリヲさんのように、「自然の、デザインされていないもの」を愛でる姿勢、あるいはインテリア誌の編集者さんのように、「アマチュア&チープなデザイン」を発見する喜び。そしてこれらから、自分の作品性をつくりあげていく融合的な感性は、デザイナーにとっての大切な栄養素なんだと思う。

2008年10月18日土曜日

(休日の自由研究)韓国語の豊富な形容詞で探る「青」

韓国語は、形容詞が豊富だと聞いていた。
そこで友達の韓国人に、「青」を示す言葉がどのくらいあるのか尋ねてみると、

  • pu-reu-da  形 青い。
  • pu-reu-gge-ha-da 形 青みを帯ている。
  • pu-reu-de-de-ha-da 形 下品に青っぽい。
  • pu-reu-deng-deng-ha-da 形 似合わず青味がかっている。
  • pu-reu-di-pu-reu-da 形 真っ青だ、非常に青い。
  • pu-reu-mu-re-ha-da 形 くすんで青味がかっている。
  • pu-reu-seu-reum-ha-da 形 青味がかっている、やや青い。
  • pu-reu-jug-juk-ha-da 形 どす青い。
  • pu-reu-tung-tung-ha-da 形 どす青い。ex)青脹れの顔。
こんなにバリエーションがあるのだという。単なる色の感受性だけでなく、「似合わず」「下品」など、色にとどまらない文脈性があるのに驚いた。青磁器が発達したのには、こんな背景があったのかもしれない。



もちろん、日本も負けてはいないようだ。水色、秘色、白群、瓶覗、新橋色、花浅葱、薄藍、瑠璃色、紺色などなど、かつては多彩な言葉で「青」を表現していた。
韓国人にしろ、日本人にしろ、実際に現代人がどのくらいの色言葉を使いこなせているのだろうか。言葉が失われるということは、色が失われるという事だと思う。

2008年10月17日金曜日

形状操作によるデザイン~スタイリングの二重性


 「ロングエッグ」という商品をご存知だろうか。ファミレスやコンビニのゆで卵に良く使われている、業務用の加工卵のことだ。卵の黄身と白身を再加工することで、端部の無いゆで卵を実現している。いわば、金太郎飴の卵版である。
 ちょっと気持ち悪い感じがするけれど、れっきとした「無添加、無着色」の自然のままの卵である。形状を加工しながらも、顧客が期待する「理想的なゆで卵の形状」を維持している。

スタイリングとは何か
 ゼロから新しいスタイルを生み出すことは素晴らしい。それはプロダクトデザイナーにしか許されない特権的な領域である。しかし、失われつつあるスタイルの「意味」を保持することや、形状を変えられないと思われていたモノをスタイリングし直すことも、同時に世の中から求められているように思う。
 それは時に、ソフト食のような老齢学的なニーズであったり、あるいはロングエッグのような、飽食日本の顧客指向に陥りすぎたマーケットにおける、廃棄食材減少のための発想であったりする。
 また竹の自転車や四角いスイカのように、必然であり、変更不可能であると思われる素材をリ・デザインすることで、新しい価値を創出している例もある。もっと進んで、例えばいきなりベニア板が出来たり、いきなり家が出来るような木があったら、どんなに楽しいだろうか。
 「スタイリングの追及」とは、デザイナーの自己表現にとどまらず、社会との関係性、人々が持っている意味をつかみとりながら、それらの関係性を再構築することだと思う。

顔の写真から「ルビンの壺」的なオリジナル花器をつくってくれるTurnYourHead社のPirolette

2008年10月16日木曜日

形状操作によるデザイン~「意味」のデザイン

 眠りにつく間際の夢のように、もののカタチを自由に変えてみるというのは、デザイナーのもつ日常的思考だと思う。ここでカタチというは、スタイルやフォルムといった見せかけの特徴ではなく、「そのカタチの意味を切り取る」ような作業も含まれる。時には、新しいスタイルを生み出すことよりも、意味を保存することの方が大事な場合もある。



 写真は、ワタミが提供する老人用「ソフト食」の製作過程だ。どうみても「カツオのたたき」にしか見えないこの食べ物は、一度ミキサーでソフト化したカツオを再成型したものだ。それまで「ミキサー食」といわれる流動食に頼っていた分野に、再成型(リ・デザイン)という手法によってイノベーションを起こしている。
 モノの「味」には、目で見る視覚的情報が大いに関係しているはずだ。同じニオイ、同じ味覚のものであっても、ミキサー食とソフト食では全く「味」が異なる。ソフト食は、素晴らしいデザイン思考だと思う。

(つづく)

2008年10月15日水曜日

栽培すると自転車になる竹



 写真は竹製フレームの自転車、米Calfee Design社でつくられており、販売価格は2700ドルらしい。予め型枠のようなものをつくっておくと、竹は意図した形状の通りに生えてくれる。成長した竹のしなり具合や強度は、自転車に適したスペックを有しているとのことだ。

形状操作
 植物を思い通りの形状に成長させるのは、結構簡単なことだ。四角いスイカは、面白みだけでなく梱包・輸送上のメリットもあると聞く。

http://image.rakuten.co.jp/kudamononosato/cabinet/suika/suika-hikaku.jpg

 このあたり、元を辿れば盆栽の考えに近いのかもしれない。次回は遺伝子組み換えやらハイテク技術に頼らない、ごくごくローテクな形状変化によるデザインを見てみたい。

(つづく)

2008年10月14日火曜日

退化するデザイン(その2)~退化による進化

 私が小型プロジェクターにワクワクしてしまうのは、こんな背景を知っているからかもしれない。つまり、

  1. 製品の進化は、技術革新によってもたらされる。
  2. その技術とは、機能の充実やスペックの追求に向けられるものではなく、新しい価値(例えば携帯できることで通勤時間がリッチになる、といった)をもたらすものである。
  3. その技術が本当に革新的かどうかは、賢い利用者の選択によってなされる。
ということだ。こういったイノベーションのジレンマ的な観点で先行的なデザインをみていると、夢が膨らむと思う。

小型プロジェクターの夢
 小型プロジェクターを見たときに、必ずこう言う人が居る。曰く、「バッテリーは持つの?」「解像度が今より悪いんでしょ?」「ちゃんと明るいの?」。そんなスペック主義者たちは、いずれジレンマの罠に嵌ってしまうだろう。
 小型プロジェクターが面白いのは、その製品の投入によって、プロジェクターというプロダクトの利用目的が、「流行のホームシアターセットの一部」というくだらない用途から逸脱して、より新しい、誰も感じたことの無い価値を生み出す可能性があるからだ。

デザインの力
 「スケッチ」という魔法を使って、誰も知らない物に命を与え、まだ見ぬ利用者とのインタラクションを写し取るのが、職業デザイナーの能力だと思う。そこで必要とされるデザイン思考は、技術に迎合したり、スペックや機能を追及した結果としてのスタイリングの追求ではなく、新しい価値を創出し、その使い方をわかりやすく示すために使われないと、あまりにももったいないと思う。

2008年10月13日月曜日

退化するデザイン(その1)~LPからCDへ

 8月に携帯型プロジェクターの話しをしたと思ったら、もうこんな完成度のプロトタイプができていた。今回は、このわくわくするような小型プロジェクターを題材に、デザインの退化と進化について考えたい。


東芝が発表した質量100gの携帯型プロジェクターの実動作モデル(via wired)

退化するデザイン
 音楽プレイヤーの音質は、退化しつづけてきた。多くのオーディオマニアが言うように、アナログLPレコードというものが、市民メディアにおける音質の頂点を極めていたとする。しかしそれは、流通と保管の容易性という別の要因によって市場を圧巻したコンパクトディスクによって、市場から駆逐されてしまった。利用者はハイエンドな音質よりも、「容易性のデザイン」に迎合したといえる。これは、BETA MAXからVHSへの移行が、より標準的で互換性の高いものを欲しがる利用者の賢い選択によってなされてきたのに似ている。このときも、実は画質は低下していた。

 同じ流れを加速したのがiPodだ。MPEG-2 AACという「より粗悪だが保管効率の良い」方式を採用することで、携帯音楽プレイヤーはコンパクトでスタイリッシュな造形が可能となり、現在の不動の地位を確立した。地上波のアナログがデジタルになって、みんな「画質がいい!」と喜んでいるけれど、あれは解像度が高いだけの話しであって、H.264と呼ばれる動画圧縮のせいでとてもおかしな絵を見ている。良く「すばやい動きをするサッカー選手の顔がお化けのように見える」ことがあるが、あれは動画圧縮技術の限界からくるものだ。

技術の幻想
 世の中には「良い製品は良い技術からつくられる」、という迷信がある。この「良い技術」というのが、機能性(スペック)を追求するものだと、結局は利用者に受け入れられることが無い。LPからCDに移行しながら、なおその規格の中で最大の音質を求めようとするSA-CD(Super audio CD)やS-VHS規格などをみると、わかりやすい。ユーザはとっくに「音質や画質ではなく、携帯性や利便性を選択している」のだ。

(続く)

2008年10月12日日曜日

(休日の自由研究)電球から発想するデザイン、つづき


 これも、ありがちといえば、ありがち。電球君がちょっと胴長なのが気になる、海外にはこういう形があるのだろうか。
 この手の雑貨が気になる方は、意味性の強いデザイン雑貨だけを取り扱うBetter Living Through Designまで。日本だと東雲のTORICOあたりに置いてありそうな雰囲気だ。


 先ほどの電球ローソクをグラフィック的にとらえたのが、こちらの作品。金融コンサルティング会社Waycross PartnersのWebページに使われていた。素材は、iStockPhotoのこちらの商品だと思われる。



 共栄デザインのバルブ・ランタン(デザイナー:オカモトコウイチ)。「100V60W型」の印刷がリアル。


2008年10月11日土曜日

(休日の自由研究)電球から発想するデザイン

電球が好きだ。
完成されたアノニマスなフォルムに、「インスピレーション」の隠喩という取り合わせ。
今日は、電球にヒントを得たデザインを探してみた。











 これはありがちな発想だけれども、実際やってみると難しい。角度の調整やら、耐熱の接着剤の付け方やら、やっかいな問題がでてくる。Bulbs unlimitedがスゴイのは、これをちゃんとつくれるキットを販売している事だ。「電球同士の組み合わせ」を発見したことよりも、「誰もが楽しめる仕組み」をデザインした人の方がエラいと思う。

(続く)

2008年10月9日木曜日

科学の美(その2)~情報表現の可能性

聖書の可視化
 一つだけ気になったのは、「聖書の可視化」という題名で、

Bible

聖書の可視化、6万3779件ある相互参照を表し、テキストを結ぶ円弧の1本1本が相互参照1つに対応している。円弧の色の違いは、結びつけられた章の距離の大小を示しているのだとか。

聖書の相互関係を表したダイヤグラムだ。ぱっと見、「ずいぶん沢山の参照関係があるんだなぁ」という印象しか持てないのが残念だけど、もっと「考察」的な余地が残っていれば、深みが出たかもしれない。この作品で思い出したのが、「デーマイニング」だ。

今さらながらのデータマイニング
  莫大な量のデータから何か意味のある情報を発見的に見つける手法をデータマイニング(data mining)という。人工知能プロジェクトの失敗と同時に、最近ではあまり注目されることは無くなってしまった。今ネット上でちゃんと使われているマイニングといえば、Amazonのレコメンド機能やGoogleAdsenseといった、「アイキャッチのためのテクノロジー」くらいのものだろう。

 沢山の人のブログからきざしを推定したり、人とのつながりを再認識させられるMixiGraph、あるいは関心空間のようなアプローチは、人と人との新たな「関係性」を見出そうとしている点でとても面白いデータマイニング手法だと思う。それは単なる検索や、アドの表示にとどまっていない。

 新しい技術によって、創造性をかきたててくれるもの、新しい関係性(つながり)を見出せるものは、素晴らしいと思う。リソースを使った挙句に、ただ目を奪うだけのものは、その時はそれで面白いと思うけど、なんだか「もったいないなぁ」と感じてしまう。

2008年10月8日水曜日

科学の美(その1)~なんでも見てやろう

 メディアアートに続いて、今回はサイエンスアートのお話し(明確な定義の違い、包含関係はあるのかしら?誰か教えてください)。

melanoma
がん細胞(メラノーマ)の電子顕微鏡写真(via WIRED


String Vibrations
弦が三次元的に振動する様子を露光したもの。

Squid Suckers
ごく小さな吸盤を持つアメリカケンサキイカの吸盤、形態は機能にしたがう(Form Follows Function)を思い起こさせる形状。


 高価な機材と、時間をかけたレタッチの割には、やっぱり、、やっぱりすぐに飽きてしまう感じがする。クオリティは高いけれども、情緒感や意味性が希薄だと感じてしまうのは私だけだろうか。

(続く)

2008年10月7日火曜日

メディアアートは実用化の夢を見るか(その3)~おわりに

 前回までで、メディアアートを救うためには、

  1. 伝搬性
  2. 色気とセックスアピール
  3. 社会的受容性
の3つが必要だと考えた。今回は3番目の一番大切な要素「社会的受容性」について考えたい。

「おもしろい」のその先は?
 メディアアート的発想から生まれ、最終的にまともに商業化できているのはちょっと前のポストペットと、岩井俊雄さんのTENORI-ONくらいではないだろうか。テノリオンは価格設定もあって、月産100ロットくらいの生産のようだけど、まずまずの人気だと思う。
 「それはアートであるから、実用性やらマーケティングやらを考えなくて良い」という人が居るかもしれないけれど、メディアアートの本質が「人工物の可能性を提示することによる面白さ」である以上、その暗黙の最終目的(ビジョン)は、「実用化」にあるのではないかと思う。アーティストも、オーディエンスも、「おもしろい!」の「その先」を考える必要がある。そうして行かないと、ただ「使い捨て消費するだけのメディアアート」から脱却できないような気がする。


ビジョンが無ければ粗大ごみ?
 先端技術をカッコよく見せれば、それはそれはキャッチーである。キャッチーなモノは瞬間的に目をひく。そして別のものが現れ、すぐに飽きられる。
電気通信大学の児玉幸子先生によるモルフォタワー、磁性流体を使ったパフォーマンス。CGのように美しい!?

 ポストペットは、無機質なITコミュニケーションの中に愛着という要素を入れることで、人とネットワークの「関係性」を豊かなものにする、というビジョンがあった。TENORI-ONも、楽器という高度な鍛錬を要するメディアを、より身近なものにして楽しんでもらいたいという、楽器と人の新たな「関係性」を見出す明確なビジョンがあったと思う。
 ビジョンが無いものは、いかに着眼点がフレッシュでも、いかに美的感覚に溢れていても、いかにディテールが優れていても、最後はゴミ捨て場行きになる運命にある。



2008年10月4日土曜日

(休日の路上観察)上野の特異点

デザイナーは、
この特異点を「意図してつくった」のだろうか。
それとも偶然だろうか。

意図してつくったのであれば、
この特異点をデザインしたのは、
もちろんデザイナーである。

意図してつくってないのであれば、
この特異点をデザインしたのは僕だ。

とても、気になるところだ。

(撮影場所は上野公園内、交番近くの噴水広場の周りにあるベンチ群です)

2008年10月3日金曜日

うるさい日本の私(その5)~解決に向けて

私たちが出来ることは何だろうか。
最終回の今日は、ポージングというデザインされたノイズを減らし、ときにモラルハザードに陥らないための方策について考えてみたい。

良い張り紙
張り紙に良いも悪いも無いかもしれないけれど、すくなくともこれは良く書けている。

たいていの場合、「消灯禁止!」とか書かれているのが普通だろう。しかしこのデザイナーは、「トイレの照明が点灯しなくなります」と付け加えている。この張り紙を読んだ人が「どうしてこのご時勢に電気をつけっぱなしにするんだろう?」という疑問を想起するのを、あらかじめ予測しているような感じである。

ユーザ中心デザイン(UCD: User Centred Design)というシステム設計思想がある。ユーザがどのように感じ、いかなる思いでシステムと対話するのかを中心にとらえ、そのための道具としてシステムを構築する考え方だ。
ポージングによるノイズを正す処方箋は、このあたりにあると思う。デザイナーは、デザイナー自身の思い込みや組織の都合を表現するのではなく、そのデザインに触れた人がどのように感じ考え行動するのかを想定することで、表現物のほとんどは良いものになって行くと思う。提供者側の意図通りのデザインができるデザイナーは沢山いるけれど、ユーザの気持ちになれるデザイナーは少ない。

クレーム
昨今はクレーマーがとても多くなった。ちょっとした不都合や齟齬のようなものに噛み付いているのを街中でも良く見かける。クレーマーに共通しているのは、「デザインしていない消費者」だということだ。自分で不都合を修正・調整・編集することで簡単に解決できるはずなのに、店員の対応や説明書の文言の揚げ足取りをしたりする。
クレーマーについてはどこかでまた書いておきたいと思うが、ここで奨励したいのは、いわゆるクレーマー的なクレームではない。もっと建設的で発展的なクレームである。ユーザーそれぞれが賢くなり、そのデザインを受け入れるかどうかを選択し、社会的に受容できないとなれば間違いを指摘して、拒否する。本質的に不要なものに対して、不要だと言う事が大切だと思う。
例えば、「個人情報保護法の名の元で同窓会の名簿、回覧板がつくれない」などという全くバカげた話しがまかり通っている。法律の誤解釈によって、コミュニティの信頼の質を下げていると思う。ユーザーそれぞれが、間違ったデザインがなされていると感じたことを高いセンサーで感じ取って、おかしいと言う。こうしたごく自然な民主主義的な解決策があるというのに、今や世の中はクレーマーという表層だけの「指摘屋さん」だらけになっているというところに、ユーザー側も反省しないといけない現状があるのではないだろうか。

2008年10月2日木曜日

うるさい日本の私(その4)~ノイズがもたらす最悪のシナリオ

 「デザインされたノイズ」によって引き起こされる問題として、

  1. 聴覚、視覚などのメディアを通じたコミュニケーションのS/N比が低下して、肝心な情報が行き届きにくくなる(デザインの質の低下)。
  2. 利用者が無意識にノイズを無視することで、本当に大切な情報が失われるというデザインの矛盾が起きる(利用者の意識の低下)。
  3. インシデント防止の既成事実づくりという無意味なデザイン行為によって、モラルハザードが起きる(提供側の意識の低下)。
の3つを挙げた。1つ目(デザインの質の低下)は割とわかりやすいけど、住環境のデザイン欲求レベルの事まで考えるとけっこう根が深い。

写真:車椅子用トイレの入口。情報が重複していて、読み手側が頭の中で整理しないと意図を理解できない(撮影:六本木ヒルズ)。

 また、昨今の「エコ」をスローガンとした消費喚起ブームをグリーン・ノイズ(green noise)と揶揄したのはニューヨークタ イムズ誌だった。

世の中はデザインされた「グリーン・ノイズ」でいっぱいだ!
(デザイナー:Ken Orvidas)

 2つ目(利用者の意識の低下)については、前回の警告ピクトグラムの矛盾で書いた通りだ。Pマークの話しは冗談としても、警告マークの氾濫は確実にピクトグラムの「狼少年化」をもたらしていると思う。

そしてモラルハザードが起きる
 3つ目(提供側の意識の低下)によるモラルハザードは、一番深刻な問題だ。意味の無いノイズをデザインすることで、提供者側が十分な対策を講じたと思い込んで満足してしまい、結果として本質的な問題解決を怠ってしまう。先のトイレの例では、ビル管理の団体、トイレメーカー、設備メーカーによって提供された警告表示を全て貼ることで、管理者側は「万全の表示」が出来たと思い込んでしまう。あるいは製品を設計する段階で見つかった欠陥について、「想定される事故を列挙し、注意書きを列挙しておけばいい」と結論付けてみたり。皆さんの周りでも、そういった風潮が見とれないだろうか?

※ここでモラルハザードは「モラルが低下する」という意味ではない。詳しくは池田信夫氏の解説がわかりやすい。

2008年10月1日水曜日

うるさい日本の私(その3)~ポージングのデザイン

 「デザインされたノイズ」は、音や張り紙などの五感メディアに限らない。世の中の教育や運用、すなわち社会システム全体のデザインの中に、ノイズが多くなりつつある。
 わかりやすい例が、1995年施工のPL法(製造物責任法)だ。PL法のおかげで、製品に欠陥があったことを利用者がいちいち証明しなくても良くなったわけだが、その代わり世の中は指示・警告で溢れかえることとなった。


 家電製品を買えば、説明書や本体に沢山の警告ピクトグラムが貼り付けてあるのが見て取れる。こうした説明書をユーザに読んでもらうと、面白いことに気づく。ユーザは、まるで街中に溢れる「デザインされた騒音」を聞き流すのと同じように、黄色くて三角形の警告ピクトグラムを避け、「本当に必要な操作方法だけが書かれたページ」を探し出そうとするのだ。
 すなわち、黄色や三角形といった認知しやすい形、あるいは丸型に斜め線という禁止のアナロジーなど、グラフィックデザインの狙いであるはずの「目を奪うための工夫」は、その意図とは裏腹に、「利用者にとって価値の無い情報を見分けるためのアイコン」として機能しているのだ。グラフィックデザインとコミュニケーションデザインとに、大きな齟齬が起きている。


いっそのこと、ポージング・デザインであることを示す、なるべく目立たないピクトグラム「Pマーク」をつくってはどうだろうか。(デザイナー:石垣陽)

法令順守が日本を滅ぼす
 元・東京地検特捜部の郷原 信郎氏が、「法令順守が日本を滅ぼす」というキャッチーなタイトルの本を書かれている。その中で、本来は法令が目指した目的・理想を実現すべきなのに、いつの間にか「法令の文言を文字通り実施すること」が目的になってしまっているという日本社会の現状が指摘されている。例えば耐震偽装問題では、本当は偽装に至った業界構造と、その歴史背景に問題があるはずなのに、偽装をした事の一点のみがセンセーショナルに一人歩きしてしまった。そしてその結果として、偽装を発見するための不必要な細かい規則(=ノイズ)ばかりが増え、本質を見失ったまま建築業界全体が足をとられているという。
 ポージング・デザインの問題の一つは、ここにあると思う。目先の規則や表示といったノイズだらけの世の中になるということは、社会全体の焦点(フォーカルポイント)が目先にしか向いていないということだ。その背後はピンボケしていて、利用者には全く伝わっていない。ある利用者は面倒くさがりながらも規則に従い、したたかな利用者はそれを無視する。