2008年10月7日火曜日

メディアアートは実用化の夢を見るか(その3)~おわりに

 前回までで、メディアアートを救うためには、

  1. 伝搬性
  2. 色気とセックスアピール
  3. 社会的受容性
の3つが必要だと考えた。今回は3番目の一番大切な要素「社会的受容性」について考えたい。

「おもしろい」のその先は?
 メディアアート的発想から生まれ、最終的にまともに商業化できているのはちょっと前のポストペットと、岩井俊雄さんのTENORI-ONくらいではないだろうか。テノリオンは価格設定もあって、月産100ロットくらいの生産のようだけど、まずまずの人気だと思う。
 「それはアートであるから、実用性やらマーケティングやらを考えなくて良い」という人が居るかもしれないけれど、メディアアートの本質が「人工物の可能性を提示することによる面白さ」である以上、その暗黙の最終目的(ビジョン)は、「実用化」にあるのではないかと思う。アーティストも、オーディエンスも、「おもしろい!」の「その先」を考える必要がある。そうして行かないと、ただ「使い捨て消費するだけのメディアアート」から脱却できないような気がする。


ビジョンが無ければ粗大ごみ?
 先端技術をカッコよく見せれば、それはそれはキャッチーである。キャッチーなモノは瞬間的に目をひく。そして別のものが現れ、すぐに飽きられる。
電気通信大学の児玉幸子先生によるモルフォタワー、磁性流体を使ったパフォーマンス。CGのように美しい!?

 ポストペットは、無機質なITコミュニケーションの中に愛着という要素を入れることで、人とネットワークの「関係性」を豊かなものにする、というビジョンがあった。TENORI-ONも、楽器という高度な鍛錬を要するメディアを、より身近なものにして楽しんでもらいたいという、楽器と人の新たな「関係性」を見出す明確なビジョンがあったと思う。
 ビジョンが無いものは、いかに着眼点がフレッシュでも、いかに美的感覚に溢れていても、いかにディテールが優れていても、最後はゴミ捨て場行きになる運命にある。