「デザインされたノイズ」は、音や張り紙などの五感メディアに限らない。世の中の教育や運用、すなわち社会システム全体のデザインの中に、ノイズが多くなりつつある。
わかりやすい例が、1995年施工のPL法(製造物責任法)だ。PL法のおかげで、製品に欠陥があったことを利用者がいちいち証明しなくても良くなったわけだが、その代わり世の中は指示・警告で溢れかえることとなった。
家電製品を買えば、説明書や本体に沢山の警告ピクトグラムが貼り付けてあるのが見て取れる。こうした説明書をユーザに読んでもらうと、面白いことに気づく。ユーザは、まるで街中に溢れる「デザインされた騒音」を聞き流すのと同じように、黄色くて三角形の警告ピクトグラムを避け、「本当に必要な操作方法だけが書かれたページ」を探し出そうとするのだ。
すなわち、黄色や三角形といった認知しやすい形、あるいは丸型に斜め線という禁止のアナロジーなど、グラフィックデザインの狙いであるはずの「目を奪うための工夫」は、その意図とは裏腹に、「利用者にとって価値の無い情報を見分けるためのアイコン」として機能しているのだ。グラフィックデザインとコミュニケーションデザインとに、大きな齟齬が起きている。
法令順守が日本を滅ぼす
元・東京地検特捜部の郷原 信郎氏が、「法令順守が日本を滅ぼす」というキャッチーなタイトルの本を書かれている。その中で、本来は法令が目指した目的・理想を実現すべきなのに、いつの間にか「法令の文言を文字通り実施すること」が目的になってしまっているという日本社会の現状が指摘されている。例えば耐震偽装問題では、本当は偽装に至った業界構造と、その歴史背景に問題があるはずなのに、偽装をした事の一点のみがセンセーショナルに一人歩きしてしまった。そしてその結果として、偽装を発見するための不必要な細かい規則(=ノイズ)ばかりが増え、本質を見失ったまま建築業界全体が足をとられているという。
ポージング・デザインの問題の一つは、ここにあると思う。目先の規則や表示といったノイズだらけの世の中になるということは、社会全体の焦点(フォーカルポイント)が目先にしか向いていないということだ。その背後はピンボケしていて、利用者には全く伝わっていない。ある利用者は面倒くさがりながらも規則に従い、したたかな利用者はそれを無視する。