2008年10月25日土曜日

ホスピタリティのデザイン(その3)~行き着く先は?

 カスタマーケアの分野で定評のあるマリオットホテルについて、こんな冗談を聞いたことがある。

  • 朝、香港のマリオットホテルで目を覚ましたクリスさんは、深酒のため自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。フロントに電話をしてここがどこだかたずねると、「お客様、こちらは香港のマリオットホテルでございます」と丁寧に教えてくれた。
  • 翌年、クリスさんはニューヨークのマリオットに泊まった。そして朝になるとフロントから電話がかかってきた。「お客様、こちらはニューヨークのマリオットホテルでございます」
 ITをつかったカスタマーケアの進展はとどまるところを知らない。一部業界ではいつVIPが現れてもこちらから「いらっしゃいませ、○○さま」と言えるよう、有名人の顔を覚えるための教育システムがあるし、ひとたびVIPが来れば瞬時に適切な対応(すなわちタバコは吸うのか、右利きか左利きか、など)ができるよう情報共有されるようになっていると聞く。
 いずれの例も、ホスピタリティを合理的な仕組みの上で分配している自動化システムであって、そこに対応する人の心が介在する余地は薄い。もちろん、合理的ホスピタリティによって皆が気持ちよくなることは良いのだけれど、バーチャルな仕組みのおかげで気持ちよくなるたびに、何かが少しずつ麻痺しつつあることを、我々消費者は忘れてはならないと思う。極端に言えば、コンビニに入るたびに機械に「いらっしゃいませ」といわれているようなものだ。これは、母が友達の利き手を覚えてくれる「おもてなし」とは、ずいぶんと違う。

 大手サービス会社の社長に「これまでに一番感動した企業サービスは何か」と聞いたインタビューで、全員揃って「無い」と答えていたのが印象的だった。それは、ますます発展する戦略的ホスピタリティの限界を指しているのかもしれない。