「デザインされたノイズ」によって引き起こされる問題として、
- 聴覚、視覚などのメディアを通じたコミュニケーションのS/N比が低下して、肝心な情報が行き届きにくくなる(デザインの質の低下)。
- 利用者が無意識にノイズを無視することで、本当に大切な情報が失われるというデザインの矛盾が起きる(利用者の意識の低下)。
- インシデント防止の既成事実づくりという無意味なデザイン行為によって、モラルハザードが起きる(提供側の意識の低下)。
写真:車椅子用トイレの入口。情報が重複していて、読み手側が頭の中で整理しないと意図を理解できない(撮影:六本木ヒルズ)。
また、昨今の「エコ」をスローガンとした消費喚起ブームをグリーン・ノイズ(green noise)と揶揄したのはニューヨークタ イムズ誌だった。
2つ目(利用者の意識の低下)については、前回の警告ピクトグラムの矛盾で書いた通りだ。Pマークの話しは冗談としても、警告マークの氾濫は確実にピクトグラムの「狼少年化」をもたらしていると思う。
そしてモラルハザードが起きる
3つ目(提供側の意識の低下)によるモラルハザードは、一番深刻な問題だ。意味の無いノイズをデザインすることで、提供者側が十分な対策を講じたと思い込んで満足してしまい、結果として本質的な問題解決を怠ってしまう。先のトイレの例では、ビル管理の団体、トイレメーカー、設備メーカーによって提供された警告表示を全て貼ることで、管理者側は「万全の表示」が出来たと思い込んでしまう。あるいは製品を設計する段階で見つかった欠陥について、「想定される事故を列挙し、注意書きを列挙しておけばいい」と結論付けてみたり。皆さんの周りでも、そういった風潮が見とれないだろうか?
※ここでモラルハザードは「モラルが低下する」という意味ではない。詳しくは池田信夫氏の解説がわかりやすい。