2008年10月3日金曜日

うるさい日本の私(その5)~解決に向けて

私たちが出来ることは何だろうか。
最終回の今日は、ポージングというデザインされたノイズを減らし、ときにモラルハザードに陥らないための方策について考えてみたい。

良い張り紙
張り紙に良いも悪いも無いかもしれないけれど、すくなくともこれは良く書けている。

たいていの場合、「消灯禁止!」とか書かれているのが普通だろう。しかしこのデザイナーは、「トイレの照明が点灯しなくなります」と付け加えている。この張り紙を読んだ人が「どうしてこのご時勢に電気をつけっぱなしにするんだろう?」という疑問を想起するのを、あらかじめ予測しているような感じである。

ユーザ中心デザイン(UCD: User Centred Design)というシステム設計思想がある。ユーザがどのように感じ、いかなる思いでシステムと対話するのかを中心にとらえ、そのための道具としてシステムを構築する考え方だ。
ポージングによるノイズを正す処方箋は、このあたりにあると思う。デザイナーは、デザイナー自身の思い込みや組織の都合を表現するのではなく、そのデザインに触れた人がどのように感じ考え行動するのかを想定することで、表現物のほとんどは良いものになって行くと思う。提供者側の意図通りのデザインができるデザイナーは沢山いるけれど、ユーザの気持ちになれるデザイナーは少ない。

クレーム
昨今はクレーマーがとても多くなった。ちょっとした不都合や齟齬のようなものに噛み付いているのを街中でも良く見かける。クレーマーに共通しているのは、「デザインしていない消費者」だということだ。自分で不都合を修正・調整・編集することで簡単に解決できるはずなのに、店員の対応や説明書の文言の揚げ足取りをしたりする。
クレーマーについてはどこかでまた書いておきたいと思うが、ここで奨励したいのは、いわゆるクレーマー的なクレームではない。もっと建設的で発展的なクレームである。ユーザーそれぞれが賢くなり、そのデザインを受け入れるかどうかを選択し、社会的に受容できないとなれば間違いを指摘して、拒否する。本質的に不要なものに対して、不要だと言う事が大切だと思う。
例えば、「個人情報保護法の名の元で同窓会の名簿、回覧板がつくれない」などという全くバカげた話しがまかり通っている。法律の誤解釈によって、コミュニティの信頼の質を下げていると思う。ユーザーそれぞれが、間違ったデザインがなされていると感じたことを高いセンサーで感じ取って、おかしいと言う。こうしたごく自然な民主主義的な解決策があるというのに、今や世の中はクレーマーという表層だけの「指摘屋さん」だらけになっているというところに、ユーザー側も反省しないといけない現状があるのではないだろうか。